路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【日曜論壇】:問題は「政治的公平」か

2023-04-03 08:13:10 | 【新聞社・報道・マスコミ・雑誌】

【日曜論壇】:問題は「政治的公平」か

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【日曜論壇】:問題は「政治的公平」か 

 マスメディアと政治的公平およびそれに関わる“偏向報道”と“政治的介入”は、古くて新しいテーマである。とりわけ新聞などの印刷メディアと異なり、有限希少な国民共有の財産である電波を使用する免許事業の放送メディアにおいては、選挙や政局に絡んでしばしば物議を醸してきた問題である。今般また、放送事業を管轄する総務省の内部文書の暴露によって、にわかに注目されている。

 放送法第1条には「放送の不偏不党」の保障によって「表現の自由」を確保すること、第4条には「政治的に公平であること」が明記されており、今回問題となっているのは“放送”が放送番組全体か、一つの番組か、の解釈だが、そこに以前から燻[くす]ぶっている表現の自由を侵害する圧力が存在したか、が争点になっている。

 つまり、偏った放送は放送法違反であるため免許不交付の根拠になる、と判断された場合、政権の意に沿わない報道が規制される、少なくとも放送局を委縮させる、それによってマスメディアの権力監視機能が果たせなくなる、といった事態になりかねない。

 ただ、近年メディアが多様化し、インターネットの隆盛によってテレビ離れも進み、かつてのような社会的影響力も影をひそめつつある現在、そもそも一つの情報ソースの偏向がどれだけ問題なのか、という見方もあり、実際これまでも、米国式の政治的公平原則撤廃を含めて、放送の法規制自体も論議の的になってきた。

 投票率もテレビ視聴時間も若年層の2倍強である高齢者層にとっては、未[いま]だテレビは主要メディアだ。しかし現在の趨[すう]勢[せい]を見れば、まさに今がテレビあるいはマスメディアの正念場かもしれない。

 今回、放送免許を欧米のような独立機関ではなく国が交付する日本の放送制度の問題が周知され、改めて2022年の「報道の自由度ランキング」七十一位という日本のジャーナリズムの脆[ぜい]弱[じゃく]性が露呈することになった。

 同じく問題を抱える国の一つが、同ランキング一〇六位のウクライナだ。今回の戦争の遠因ともなった西側依存は、戦争によって加速することになったが、そのネックの一つが、「ウクライナは(欧米と同じ)民主主義国家なのか?」という疑念だという。その目安の一つが“表現の自由”の存在である。西側からの支援を受けるためにも、ウクライナのメディア関係者は、過酷な状況下でも報道を通して改革し、証明していかなければならない。しかも、戦時の報道は自国の不利益となる報道が様々に制限されるという矛盾の最中にいながらである。そこで最も懸念されているのが、記者の自己検閲が染みつくことだという。

 状況は違えども、自主規制が長年海外から特異な文化と目されてきた日本のマスメディアも同様の問題を抱えている。そこにこそ復権の鍵があるのではないだろうか。(福迫昌之 東日本国際大学副学長)

 元稿:福島民報社 朝刊 ニュースセレクト 社説・解説・コラム 【日曜論壇】  2023年03月19日  09:05:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。


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