たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組博多座ライブビューイング『あかねさす紫の花』_思い出し日記

2018年09月01日 20時34分15秒 | 宝塚
「福岡・博多座にて上演される、宝塚歌劇花組「万葉ロマン『あかねさす紫の花』」「レビュー・ファンタスティーク『Sante!!』~最高級ワインをあなたに~」のライブビューイングが決定した。

生中継されるのは、5月12日15:30開演回および25日15:30開演回。会場となる全国各地の映画館は、ライブ・ビューイング・ジャパンのサイトで確認を。チケットの先行抽選販売は3月31日11:00から4月16日12:00まで受け付けられ、5月12日公演分の一般販売は4月28日11:00、5月25日公演分は5月3日11:00にスタート。

なお対象となる2公演は一部配役が異なっており、12日の公演では大海人皇子役を明日海りお、天比古役を柚香光、中大兄皇子役を鳳月杏が務め、25日の公演では中大兄皇子役を明日海、大海人皇子役を柚香、天比古役を鳳月が演じる。

1976年に初演された「あかねさす紫の花」は、中大兄皇子と大海人皇子、そして女流歌人・額田女王が繰り広げる愛憎劇。併演の「Sante!!」では、“ワインを飲んで見る数々の夢”をテーマとしたショーが展開する。公演は5月4日から26日まで博多座にて。」

 記事はステージナタリーより引用しました。

 あらためてゆっくり思い出し。5月12日(土)Aパターン、5月25日(金)Bパターンをライブビューイングで観劇。リアルタイムの記事を読み返すとだいたいのことは書けています。書き足りないところを少し。

 Aパターンで中大兄皇子、Bパターンで天比古を演じた鳳月杏さんの舞台役者としての力を魅せてくれた役替わりでした。Aパターンの中大兄皇子、主役はあくまでも明日海りおさんの大海人皇子なので弟に対して出過ぎてはいけないけれど、弟である大海人皇子に対して大きく強い兄でなければならない。むずかしいさじ加減が絶妙で主役に対して出過ぎることなく、同時に額田王を弟から強引に奪ってしまう、あがない切れない強さを存分に感じさせる中大兄皇子でした。なによりも品があって、色気にも品があってリアルに中大兄皇子でした。この方のためにある役なのでは、と思わされるほどの納得度。大海人皇子がどこか慕わずにはいられない、拮抗しながら逆らえきれない中大兄皇子でないと物語全体が生きてこないので納得の配役でした。Bパターンの天比古は、10代の額田王と出会った頃を、子供っぽい声色にかえることなく、表情と仕草で幼さを醸し出していたところがすごいなと思いました。これがこの方の役作りなのか。作っているというよりも100%以上で役を生きていて役で呼吸しているのだと思いました。でもトップスリーじゃないから「ル・サンク」の舞台写真プレゼントには鳳月さんの写真はなくって宝塚の番手式の中では扱いきびしいのかと、もう少し扱いが上でもいいのではと、「ル・サンク」みながら、思ってしまいました。舞台写真の中大兄皇子のアップ、美しさと品のある色気に溜息しかありません。桜咲彩花さんの鏡大女の凛とした静かな輝きも素敵でした。内側から輝く感じ。役者さんそのものの輝きだと思います。鎌足に対して「あなたはわたしをもらってくださいますか」っていう時の雰囲気、なかなかむずかしくって雪組では違和感があったのですが、桜咲は内側に秘める苦悩を感じさせながら品位がありました。これまた役そのものを生きているのだなあと。Bパターンの中大兄皇子との逢瀬、デュエットの場面も素敵でした。鳳月さんと桜咲さんの大人コンビ主演の小劇場作品あったらいいのに無理ですかね、宝塚さん。乙羽映見さんの小月も、自分はもう終わったと崩れ落ちる天比古を、この人ならほんとうに立ち直らせくれそうに感じるたくましさがあって素敵でした。「おれはもうだめだ」っていう台詞。柚香光さんの天比古は人間全体としておれはもう終わってしまった、鳳月さんの天比古は仏師としておれはもうだめだ、っていう感じだったでしょうか。瀬戸かずやさんの中臣鎌足、雪組のタータンの印象が強すぎる役ですが、男役として脂が乗りきっている感じでどこまでいってしまうのか、まだまだ伸びしろを感じさせてくる方だなあと思いました。

 花組東京宝塚劇場公演開幕に向けて販売される舞台写真の画像をみていると、花組さん、トップ娘役がかわってききちゃんが宙組に異動してから、雰囲気がアダルティ過ぎる路線になってきているみたいでちょっと心配、わたし『ポーの一族』をみてからトップ娘役さんの過度なアダルティが苦手だと気づいてしまいました。歌も芝居もダンスもなにもかも完璧に上手いですけどね、わたしのなかでは役を生き切っている感じとなんだかちがって苦手だなあと・・・、みりおさんにはクリスのさわやかさと少年っぽさも持ち続けてほしいなあと・・・。でも次の作品はさらにアダルティなんですよね、うーん。あくまでも個人的な感想です。まだ書き足りない感ありますが、けっこう時間がかかっているのでひとまずこれにて。

 宝塚は人生のご褒美だという方がいるそうな、残りの人生、ご褒美のために働く、それでいいです、わたし。
『ル・サンク』表紙が明日海りおさんの大海人皇子。




『ル・サンク』裏表紙が明日海りおさんの中大兄皇子。目のつり上げ方とか表情筋の使い方で大海人皇子との違いをだしています。すごいなあ。



プログラムの表紙。






山本健吉・池田彌三郎著『萬葉百歌』より_額田王・天武天皇

2018年09月01日 19時48分18秒 | 本あれこれ
「あかねさす 紫野行き 標野行き、野守は見ずや。君が袖振る(巻1・20)

 むらさきの にほへる妹を。憎くあらば、人妻ゆえに、われ恋ひめやも(巻1・21)


 天智天皇は都を大和から近江に移したが、天智の次に弘文天皇が即位するや、天武天皇との間に壬申の乱がおこって大和側が勝利をおさめ、都はふたたび大和へ帰った。この両朝の争いの原因の中に、世間では、額田王を中にした天智・天武御兄弟の「妻争い」を数えて来た。それを裏書きするように、萬葉集巻1には、天智天皇の「三山の歌」があり、さらにここにあげた額田王と天武とのやりとりの歌がある。しかし、壬申の乱はもとよりそうした恋愛事件に出発した事件ではないし、この歌についても、歴史的知識を古代の詩歌の解釈にもちこむ、という誤りを犯して来たように思う。

 天智天皇が、大海人皇子(天武天皇)を始め群臣を引具して、蒲生野に猟をした。猟といっても、野獣を食用に供したり、武芸をねったりするだけのことではなく、宗教的意味を持った宮廷の行事である。その折に、宴会が行われた。もちろん「宴会」は神を迎えての宗教行事の一段階である。その時に額田王が歌いかけたのである。

 袖を振るのは恋愛の意思表示だ。この時額田王は、天武のもとをはなれて天智のものとなっていたから、天智の見ている前での、天武のそうした行動をとがめたのが額田王の歌だ。それに対して天武が答えたのが次の歌だ。紫草のようにはではでしいわが愛人よ、たとえお前が人妻だって、なんで焦がれずにおられようか、というのである。

 これは深刻なやりとりではない。おそらく宴会の乱酔に、天武が武骨な舞を舞った、その袖のふりかたを恋愛の意思表示とみたてて、才女の額田王がからかいかけた。どう少なく見積もっても、この時すでに40歳になろうとしている額田王に対して、天武もさるもの、「にほへる妹」などと、しっぺい返しをしたのである。

 日本紀によると、蒲生野の狩猟は天智7年(668年)5月5日である。これは薬狩で、男は鹿茸(鹿の袋角)、女は薬草を採り、民間でも行われた。(略)華々しい行事だったことはこれでわかろう。

 この二首は、そのときの宴席の唱和の歌である。この二首から、あまりに真剣な恋の経験を、これまで引出しすぎたのである。異説があるが、近江鏡山山麓の蒲生野の豪族、鏡王の娘に、鏡王女・額田王の姉妹があり、兄媛・弟媛と揃って高貴な賓人にめされたとなれば、兄媛は主賓中大兄、弟媛は副賓大海人に仕えたという想像も可能である。その後弟媛も中大兄にめされたが、それらは全て若い日の物語である。いまいずれも40前後であってみれば、感情のしこりがまだ残っていたなどとは考えられない。

 額田王の言いかけの歌は、畳句を用い、倒句を用い、修辞の限りを尽くして、華やかな情緒をかもし出している。池田氏の言う通り、大海人の舞いぶりにからんで、「君が袖振る」と言ったのだろう。「袖振る」は古代の魂ふりの方法であり、また愛情表出の方法である。昔の袖は筒袖で、袖口が長く垂れている。「野守は見ずや」つまり、人が見てますよとたしなめてはいるが、見られて悪いわけではなく、宴席の座興であり、あけひろげた気持ちでの戯れなのである。40歳の場馴れした気持ちが、そんな冗談を言わせるのである。

 大海人のこたえ歌は、相手の言った「紫」という言葉をそのまま取って、「紫の匂える妹」と言った。当意即妙である。40女の残りの色香を讃めるポーズをして見せた。
真情を吐露しているように見えて、座興であり、仮構なのである。だが、技巧的な額田王の歌に対して、いかにも直線的な表現で、男歌の特色を発揮している。
 
 宴席の自由な雰囲気にふさわしく、おおっぴらな愛情の言葉をなげつけあいながら、戯れ、演技している。それがこの座の喝采を博したのだ。」

   (33-36頁より引用)


万葉百歌 (1963年) (中公新書)
山本 健吉,池田 弥三郎
中央公論社