たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組がまっているよ

2018年09月09日 22時04分01秒 | 日記
 休日はあっという間に終わろうとしています。明日からのことを考えるとほんとに気がおもいです。面倒くさいと投げ合いになるのはありがちな話でしょうがなんでもかんでも都合よくふられてもほんと対応できなくって困るし、アルバイトの立場でそこまでやることでもないし、でも外にはアルバイトだって言えないし、あーほんとに苦しい。明日と明後日上司はいないから一人でやれなかったら水曜日まで待ってください。仕方ないじゃないですか、アルバイト使っているんだからさ。尋常な相手ではないので一人で太刀打ちできるだけの経験も力量もありません、今まで自分が生きてきた経験値ではさっぱりわからんです。また大雨とか。雨に濡れながら、熱中症になりながら、メンタルを訪問しなければならないというノルマもあるし、説明文に書いてある日本語すら理解できず全く頭にはいってこない事務作業もあるし、頭の中、飽和状態。すっごい坂で痛めた右足の股関節がぴいんとつっています。足がしびれています。あと2カ月と2日で終わりですがその前に倒れそうです。ここまで無理してやる意味なんかない、ここまで無理してやるほどの仕事でもない、どうしましょうね。あと二週間余りで花組。そこまでは生き延びたい。日比谷で這っていくことは実際できませんが、気持ちは這ってでもいくよ。花組がまっているよ、花組がまっているよ、自分・・・。

2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たちより_アウデ・デルフト運河と旧教会の眺望

2018年09月09日 19時11分26秒 | 美術館めぐり
 もう10年前になる展覧会、ようやく振り返り。楽しく、幸せな時間でした。フェルメールばかり気がいってしまいがちでしたが、同時代の画家の作品充実していて、イヤホンガイドをききながら夢中でみました。イヤホンガイドからOTTVAの音楽が流れてくるのも素敵でした。


 

イヤホンガイド1の絵のお話、公式カタログからの引用です。ご興味があれば・・・。


「ヤン・ファン・デル・ヘイデン(1637‐1712アムステルダム)

《アウデ・デルフト運河と旧教会の眺望》1660年頃、デトロイト美術館蔵


 ヤン・ファン・デル・ヘイデンは実に多才な人物であった。都市風景画を一つの独立したジャンルとして確立するに際し先駆的な役割を果たし、かつて描かれた都市風景画のなかでも最も美しい作品を残した。のみならず、技術者にして発明家でもあり、街路灯、消火ポンプ、消防ホースを完成させ、アムステルダムの街路灯システムを管理し、市の責任者として弟とともにアムステルダム市の消防長をつとめるなど、大成功の人生を歩んだ。

 作品の大半はアムステルダムを描いたものであるが、それ以外のオランダの街々やブリュッセル、ドイツの都市をも取りあげている。郊外の実在する家々や、想像上の建物、そして都市空間の美しい家並みの描写にも筆をふるった。驚くことに、場所を特定することはできても、その景観を正確に描いた絵は少ない。大半の作品には、想像上の要素が取り入られており、実在する記念建造物が形を変えたり、再配置されたりしている。純粋に空想の産物が描かれていることもある。ファン・デル・ヘイデンとそのパトロンたちは、明らかに、都市の様子を記録したり、目前の主題を忠実に再現することよりも、見た目に面白く、おそらくは典型となるような景観をつくり上げることに関心を抱いていたのである。

とはいえ、本作品と、オスロの美術館にある類似の作品(イヤホンガイド2)は、旧教会へと続くアウデ・デルフト運河の風景といった、デルフトお馴染みの光景をほぼ正確に描写していると言えよう。そしてこれらの作品は、ファン・デル・ヘイデンが、アムステルダムの卓越した都市風景画家でありながら、デルフト・スタイルの基礎を築くのにも一役買ったかもしれないことを示唆する。

 左手にはデルフラントの堤防管理高等事務所、その向こうにはラテン語学校の階段状の破風、そして1584年に暗殺された総督ウィレム沈黙公の公邸プリンセンホフが見える。都市風景画の研究者の多くは、ファン・デル・ヘイデン、そして彼の同僚でもあり共に都市景観画を確立させたハーレム出身の画家ヘリット・ベルクヘイデが、ファヴりティウスによる遠近法の試みや、実際に遠近法を取り入れたファブリティウスの数少ない現存作品に多くの着想を負っているだろうと指摘する。そしておそらくはデ・ホーホによる中庭風景にも影響を受けているとの声も多い。もしファン・デル・ヘイデンが、旅行者としても、革新的な動きのなかにあった1650年代半ばから後半にかけてのデルフトに滞在していたのなら、デルフト・スタイルの作風に多くの学び、もしくはその発展に一役買っていたことだろう。本作品には、ファン・デル・ヘイデンのその頃の、つまり初期にみられる乾いた、細心きわまりない、影のない作風で描かれている。


 ファン・デル・ヘイデンのモノグラフを執筆したヘルガ・ヴァーグナーは、本作品が完成度の高い初期作品であることには同意しながらも、左側の散策中の優雅なカップルは、後の付け加えである可能性を示唆する。服飾研究家のマリーケ・デ・ウィンケルは、このカップルの衣装を1675年前後のものとする。これはオスロの絵の年紀と同じ年であり、したがってこのカップルは、本作品の類似画であるオスロ作品が制作されたときに付け加えれたものかもしれない。ファン・デル・ヘイデンは、きわめて芸術性の高い数々の事業を通して財をなしたので、大半の作品は死ぬまで彼の手元にあった。生計を立てるために売る必要性がなかったのだろう。本作品の添景人物としては、ほかに、左手の戸口の所に姿をみせる少年と、右手の上半分の開いたドアのところの母親、家の前の小ポーチ上の子供がいる。母親は腕を曲げて戸口越しに財布を差し出す。遠くに見える橋には数人の人物が確認できる。右手の、背の高い木々の下には、洗濯物をするためにひざまずく女がいる。優れた目利きであり画商であったジョン・スミスは、1834年に、これらの自分の作者をアードリアーン・ファン・デ・フェルデとしたが、しばしばファン・デル・ヘイデンと共同制作した画家ではあるものの、本作品の添景人物はとてもファン・デ・フェルデ風とはいえない。」

                               (もう少し続きます)

 


 しゃくねつの夏をカレンダー通りに出勤中。疲れが出てあまり動けなかった休日でした。先ほどコンタクトレンズと目薬のためなんとか眼科にいってきました。寄り道ブログ中。こうして絵画へと心の旅をするささやかなひとときがわたしのなかで非日常になっていますように。

 きびしい、ほんとにきびしい一週間が待っています。どうか今夜も無事に眠れますように・・・。


カウンセリングスクールのつぶやきメモより(8)

2018年09月09日 14時36分01秒 | 祈り
「2004年9月10日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

 行動療法は、今まで自分になじまないものと決めつけていましたが、方法のひとつとしてセルフカウンセリングやSSTについて少し深めてみたいと感じています。

 内気、引っ込み思案、内向的、自己主張性が弱い、ソーシャル・スキルの欠如とされるものは、子供時代の私の性格に全部あてはまるし、大人になった今でも苦しんでいる。性格は変えることができるとわかれば、楽になれるのだろうか。」

 昨夜は平日より少しおそいだけの1時には就寝。すごく疲れていたせいかすぐに寝ついたようですが途中お手洗いで目がさめたあとへんな夢にもがいたような気がして目がさめたときはすごく疲れを感じました。なんとか8時間睡眠。断捨離は部屋でしかできないし、プログラムやDVDは部屋でしかみることができませんが、ビニールに覆われて空がみえない部屋、ヘンなオッサンもチャラ坊も土日関係なくずうっとずうっといるし、ほとんど気持ちが休まらないず、ほんとにちっそくしそうな心持ちなのでとにかく逃げ出してきました。心身共にかなりへばっていて、ヨガかピラティスで矯正すると心身共にすごくリフレッシュできるんだろうなあと思いながらこうしてブログに逃げ込んでいます。とにかくメンタル、メンタル、メンタルな毎日。リストから高齢者をとっぱらったらメンタルたちがずらずらずら。健康な人を数えた方が早いぐらいずらずらずら。明日も朝からメンタル、メンタル。ひょえーな現実がずらずらずら。奴らに振り回されながら、あれもこれもときりがなく知らないことがどんどん出てくる事務作業をやらなければならないのはほんとにきついです。毎日何をやっているのかよくわかりません。これで手取りが奴らの不労収入とあまり変わらないことを知ってしまったのでモチベーションを保つのはさらにきついです。強烈なメンタルに電話しなければならないのに、ほんとは専門部署の仕事でしょ、っていうことなんですが入口として電話しなければならなくなり、あてにしている上司が明日と明後日は夏休みをとるみたいでいないので相談できる人もなくすごく心細いです。自分力量不足でそんなにできない、アルバイトだしそんなにできない。色々と勉強にはなりますがもういいかな。これ以上やっていたら体がおかしくなってしまいます。そんなにエネルギーもちません。こうしてなんとか自分を保ちながらやっていられるのは、子供時代幸せだったっていう記憶が自分の中にあるからなのかなあとはふっと思います。母は病気になり、妹は自死してしまったけれど間違いなく幼い頃は幸せな家族でした。そのやり方がどうだったかはともかく父からも母からも愛情を受けました。それは間違いない事実。だから今自分がいられるんだろうなあとは思います。愛された経験がないとこんなにも歪んでしまうものなのかという現実をみるとそう思います。比べるわけでじゃないけど、まだうちずっとマシなんやなーって。

 認知行動療法はやっぱり苦手で楽なったのかなあと考えるとこの時から14年の歳月がすぎましたがやっぱり苦しいです。ただここまできて限りある人生の時間でこれ以上性格を悩んでも仕方ない。今さら変わらないの仕方ないなあと思います。気がつけがおばさんと言われてもおかしくない年齢になってしまいました。気がつけばずっと一人。友達はいるけどいない感じで特に会いたい人はいません。人に疲れてしまっているので一人観劇、舞台を観ている時が一番幸せなこの頃。固定の勤務先がないし、昨年の源泉徴収票を出せっていわれたらアウトなので引っ越しは無理なんでしょうね。引き上げて家に帰るか、今の勤務先を記入して更新しまた失業給付を受けながら次をさがすか。決断の時はだんだんせまってきているのに決断できずです。これからどう生きていけばいいんでしょうね。歯も目もボロボロ、足腰がたがた。昨日右の足首の筋が痛むのを感じました。歯医者に行かないといけないのに口をあけていると気持ち悪くなってしまうのでいけないし、気持ちがすごく落ち込むし。まずは休息が必要なんだろうなあと思います。。ヘンな部屋に暮らし続けながら、また日中の居場所がない生活を送るのは無理だと思います。明らかに怪しまれます。ほんと無理。どうすればいいのか。

 文学館に行こうかなと少し思いながら部屋を出ましたが、陽射しが照りつけるなかを坂道あるかないといけないので挫折しました。三連休連続。その間にいけるかしらね・・・。