たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

通信教育レポートー国文学

2024年01月01日 08時54分36秒 | 日記

課題1;万葉集中の歌人を二人とりあげ、その人物像、作風を比較しつつ、論述せよ。

 柿本人麻呂が宮廷詩人として活躍したのは、律令国家の支配体制が整い、天皇の専制君主体制が確立した時代であった。人麻呂は、役所で宮廷の儀礼に必要な詞章を伝承し、記録し、新たに制作する職務に任じた人々の中の一人として考えられる。このような立場の人麻呂が詠んだ歌は、天皇の御幸に従った折に詔に応じてうたった、あるいは皇族が亡くなると挽歌を詠むなど、公的な立場のものである。

 後に文武天皇となった軽皇子が阿騎野に宿った時、お共した人麻呂は、長歌と反歌四首を詠んでいる。軽皇子は近い将来帝位につく人であったから、山における禊ぎと魂ふりとを行わなければならなかった。と同時に、かつてこの地を訪れたことのある亡き父の魂を慰める意味をもっていた。このような御幸に従った人麻呂の長歌は宮廷儀礼に密着した儀礼歌の域を出ていない。皇子が都を発って山越えし、阿騎野に到着した道行きを詠み、結句で「古昔思ひて」とようやく感情を現わしている。この結句を直接受けて繰り返しながら、反歌は内容を深めていっている。長歌にあった人麻呂の皇子に対する敬語が、反歌では使われていない。亡き父を慕う皇子の気持ちを、皇子になり代わって人麻呂が、自分の感情をうたうかのように詠んでいる。叙景歌においても皇子を中心にして描いている。そうして最後に、馬上の皇子の姿に亡き父の姿を重ね合わせ、過去の栄光が再現されそうな皇子が今まさに神として君臨しようとしているかのような神々しい様をうたいあげている。美辞麗句をおさえた荘重な詠みぶりの連作で、職業的に歌の制作に任じた人麻呂の佳篇である。天皇の権威が確立した時代を背景として、天皇を讃える気持ちが流れている。それは人麻呂個人ではなく、この御幸に従った人々に共通したそうした気持ちを、宮廷詩人の人麻呂が代表して歌った。個人の私的な感情ではなく、公の立場で詠まれたのである。

 政治的に安定していた人麻呂の時代と比べて、大伴家持の時代は、藤原氏が勢力を増しつつあり、社会的同様の激しい不安定な時代であった。古代以来の名家である大伴氏も、藤原氏の勢いが増すにつれて、衰えていった。家持は、その族長としての誇りをもっていたが、クーデター計画に加わった一族の多くが刑死するなど、大伴氏はかつての勢いを失っていくばかりであった。

 人麻呂の人生については、史実がほとんどわかっていないので歌から探る以外にない。それに比して、家持は履歴が詳細に伝えられているからといって、背後の史実を安易に作品鑑賞にもちこむことはよくないだろう。しかし歌が詠まれた背景として、史実もやはり考えあわせたいと思う。

 藤原氏優勢の社会状況の中で、一族の没落をまのあたりにした家持の創作の場は、宮廷儀礼からはなれ、個人の感情を表わそうとする全く私的な世界であった。家持の歌は孤独な心のつぶやきである。家持は、内向的に自らを孤独な世界にどんどん追い込んでいって、淋しくてたまらずどうしようもない、やり場のないあふれるような思いを詠んだように思われる。

 ようやくぽかぽかとあたたかくなってきた春の日に、普通なら明るく喜びに満ちた気持ちを詠むだろう。なのに家持の心は、春の光の中で暗くかげり淋しさに満ちている。春の野に霞がたなびいていることが、かえって孤独感を誘い立て、鶯の鳴く声が孤独な心をさらに揺り動かすと、細やかな世界を詠んでいる。また、庭のすみのわずかな竹の群の、かすかに揺れる音をききとめようとしている様を詠んだ歌は、しみとおるように作者の澄んだ孤独感が伝わってくる。どちらも、作者のふるえるような繊細な心持ちを表現していて、作者個人の感情を打ち出した純粋抒情詩の極地だといえる。

 このような家持に対して、人麻呂の創作態度は職業的である。宮廷詩人として職業的な歌の制作に任じながら従来の類型から脱却した個性的な羇旅歌(きりょか)を詠んでいる。羇旅歌は、旅の途中の要所要所でそこの神に対してあいさつするという宗教儀礼がもとになっていた。地名はそれぞれの土地の霊魂を保有しており、その地名を歌の中に入れることによって、その歌自身がその霊魂を保有することになる。しかし、人麻呂は、地名を入れながらそのような宗教的儀礼の域をはるかに越えて、純粋叙事詩の境地を開いている。釣をしている異種族の船の間を通っていると景観を描写しながら、そこにいる自分も他からは異種族の一人にみえるだろうと、ふと自分を顧み。わびしい反省の心を感じている。自己の内面に語りかけているかのような孤独な心持ちである。

 人麻呂には、天智天皇をはじめとする近江の朝廷の魂を慰めようとする創作態度がみられる。近江の国はかつて天智天皇が都を移したが壬申の乱で廃墟と化した。天武の朝廷にとっては、近江の国の魂の荒びるのを慰撫しなければならなかったので、人麻呂も宮廷詩人として慰撫鎮魂の歌を作ったようである。近江の湖に夕方浮いている千鳥の鳴き声をきくと、心がくたくたになってしまうほどに、昔の天智天皇の時代のことが思われると、うちしおれた心持ちを歌っている。今は荒れはてた都の跡について、宗教的畏怖の心を詠んでいて、根底には人麻呂の宮廷詩人としての作歌の履歴を考えねばわからぬものがある。しかし、そうした儀礼を抜け出して、流動的な柔らかい詠みぶりの中にも、作者の近江の国に寄せるため息が伝わってくる。昔のことを思いおこして、心がくたくたになってしまうというのは、人麻呂の主観である。天武朝の人々を代表して、人麻呂が公の立場で詠んだ懐古の歌であるけれど、人麻呂個人の感情としてうたわれているところが、この歌を忘れがたいものにしていると思う。

 また、人麻呂の鎮魂の呪術(じゅじゅつ)の折の歌は、呪術に関連して使われてきたことばによって、個人の抒情をさらに深く表現している。鎮魂の道具に使われた小竹の葉の「さや」と風が吹きざわめき乱れている中で、わたしは心を澄ませひたすらに別れてきた妻を思っていると詠んだ歌は、旅中の平安無事を祈る鎮魂歌であるが、純粋に妻を思う作者の心持ちを歌った全く私的な世界である。

 人麻呂は公の立場で歌を作りながら、個人を自覚し、自らの主観を詠むにいたった、集団的表現の中から個を確立したもっとも大きな歌人であったといえる。

 このような個の確立が、家持になるとさらに自分の心の奥へと向ってゆき、自分だけの世界をうたって、個人の抒情がずっと潤い深く詠まれているのである。

 家持は、30歳代の壮年期に、足かけ6年にわたって中央の政界からはなれ、越中の国の国守として赴任した。政治の中心からはなれた家持は、都にいる時の苦悩を忘れ、ゆったりと過ごしながら、なにということもなく、ふと感じたことをつらつらと書きとめていたように思われる。一日の中で三首詠んでいることもあって、家持は丁寧な目録を残しているので、制作の順に追ってみていくこともできる。

 一首目は、夕暮れの春の庭に紅色の美しい桃の花が咲いていて、その下に乙女がひとりぽつんと立っているという一枚の絵をみているかのような詠みぶりである。二首目になると、同じく桃の花を眺めて詠んだ歌であるが、少し気持ちが深まり、日がとっぷりと暮れた夜になって、淋しい孤独な心持ちがさらに深まり、かえって歌の調子をかり立てているのだろう。三首目は、ようやく春になってなんとなく満たされない思いでいる時に、夜がふけて鴨が羽音を立ててとび立っていった、鴨はどこの田へ行こうとしているのだろうかと、うつろな心持ちをしみいるように詠んでいる。もの悲しい自分の行方を追おうとするような気持ちが、同時に飛び立つ鴨の行方をたずねようとする気持ちと通い合うのである。特別になにかの出来事があって悲しいのではなく、日々うつうつとそぞろに孤独な心持ちで過ごしている。そうした誰かに訴えることもできない、慰めようのない心持ちがかり立てるようにして家持に歌を詠ませていたように思われる。歌より他に表現する方法がなかったといっていいかもしれない。

 同じく、越中に滞在中の春の日に詠んだ歌がある。春の日の朝、まだ床にいて、川を船をこいで上りながら歌っている船人の声を、うつらうつらと遠くはるかにきいていると歌って、叙景歌ではないが、叙景歌と同じような効果が出ている。船人の声をきこうとして耳をそば立てているのではなく、きくともなしにきいている。なんとなくもの憂い心持ちである。それも特別この日の朝だけのことではない。毎朝繰り返される船人たちの声が、怠惰な心を誘っているのである。

 このように家持の歌には、特別な折にということではなく、毎日感じる心の空虚さが込められていて、個人の日常生活から生まれたものである。家持にとって歌を詠むのは、日記をつけるようなものであったと思う。

 人麻呂の歌は、背景の政治体制、宮廷儀礼、宗教的畏怖の心を考えあわせなければならない。そこから個人の感情を詠むに至ったのに対して、家持は全く純粋に個人の心だけを描いていて、現代のわれわれにも通じるような孤独な憂愁があふれている。家持は、1200年も前に、我々近代人のメランコリーを知っていた人だということがいえる。伝承的色彩をもって始まった万葉集は、家持にいたって、公の場からはなれ、個人の生活の記録となった。

参考文献

『萬葉百歌』
『万葉びとの一生』


**********
評価はB。

講師評は、
「人麻呂と家持を「個の自覚」という面から比較しています。丁寧に論じている点は高く評価されますが、残念なのは具体性に乏しいこと。具体的に歌をあげて、「個の自覚」について解説してほしいと思いました。」でした。

 

 

この記事についてブログを書く
« 外資系企業が"約700ヘクター... | トップ | 麻生さんがパンデミック条約... »

日記」カテゴリの最新記事