たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『私自身のための優しい回想』より-「サルトルへの手紙」(1)

2022年06月08日 16時37分42秒 | 本あれこれ
『私自身のための優しい回想』より-「愛読書」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/edba966a85e2bcc95e394a9703553b8f




「親愛なるお方(ムッシュウ)。

 あなたを《親愛なるお方(ムッシュウ)》とお呼びするのは、辞書になるムッシュウという語の定義、「それがいかなる人であれ一人の男性を指す語」という子供っぽい定義を考えてのことです。あなたに向かって《親愛なるジャン=ポール・サルトル》とは言えません、それではあまりにもジャーナリステックすぎますし、《先生(シェール・メートル》もやめます。これはあなたが最も嫌う言い方ですし、また《親愛なる同業者(シェール・コンフレール》も、あまりにも私が圧しつぶされる感じですから。私はもう何年も前からあなたに宛ててこの手紙を書きたいと思っていました。ええ、ほとんど30年も前になるでしょう。なにしろ私があなたの著作を読みはじめたころですから。そしてここ10年か12年いらい特にそう思っていました、というのはそのころから讃嘆ということが世間では滑稽とみなされて稀になり、そのため滑稽であることを自ら祝福したいくらいになったからです。ことによったら現在では私自身も滑稽(に見える)ということが気にならないほど歳をとったか、あるいは若返ったかしたのでしょう。もっともあなたご自身は滑稽(に見えること)などいつも颯爽と無視なさってこられましたね。

 ただ、私はあなたがこの手紙を6月21日に受取って欲しかったのです。6月21日という日はフランスにとってはれの日です、なにしろフランスは幾年かの間隔をおいて、あなた、私、そして最近ではプラティーニ(有名なフランスのサッカー選手)が生まれるのを見たのですから。この三人の善き心情の持ち主は、彼ら自身その理由についてはなんのことやらさっぱり判らない過度の名誉ないしは恥しらずの行為ゆえに、あるいは凱旋将軍のようにもてはやされ、あるいは野蛮にも足蹴にされたのでした-あなたと私の場合は、ありがたいことに、たんに抽象的だけで済みましたが。しかし夏は短く、激動的で、すぐに委れてしまいます。私はけっきょく誕生日祝いの頌歌しょうか(オード)をつくるという考えを断念しましたが、でも私がこれからあなたに言いたいこと、それはこの(愛の手紙)という感傷的な題(タイトル)を正当づけるでしょうが、それだけはぜひとも言わずにはいられないのです。

 初めに言ったように、私は1950年に、あらゆるものを読みはじめ、それいらい私がフランスあるいは外国の、特に現存の作家をどれほど愛し、あるいは讃嘆したかは神が、あるいは文学が、知っています。それいらい私はその幾人かと知り合い、また他の幾人かの仕事も遠くから見守ってきました。そして私がいまなお作家として讃嘆する人はまだたくさんいますが、しかし、人間として讃嘆しつづけているのはあなたただ一人です。

私が15のころ、15歳といえば知的で厳しい年齢、明確な野心を持たないだけにいっそう妥協をしない年齢ですが、その15歳のころに、あなたが私に約束なすったすべてのこと(もちろん個人的になされた約束ではなく、将来その人が為すであろうと彼女に革新されたこと、の意)、それらの約束をあなたはすべて果たされたのです。あなたはあなたの世代の最も知的な、そして最も誠実ないくつかの書物を書きましたし、またフランス文学全体の中でも最も才能に輝く所も、『言葉』をさえ書いたのです。しかも同時にあなたはいつも弱いもの、辱められた者たちを援けるために何事も恐れずに挺身なさったのでした。

あなたは人々を、いくつかの大義や一般的真理を信じ、時には、誰もがするように、誤りをおかすこともありましたが、しかし(そしてこれは決してだれもがすることではありません)その度ごとにあなたはそれを認めました。あなたはあなたの栄光がもたらすあらゆる精神的栄誉とあらゆる物質的収入を頑なに拒みつづけました。あなたは、あらゆるものに不自由していた時に、名誉のしるしとされているノーベル賞を拒否しました。アルジェリア戦争の際、あなたは三度もプラスチック爆弾を仕掛けられて、露頭に放り出されたのに、肩ひとつ動かさなかったのです。あなたは好きだった幾人かの女性を必ずしも適役ではなかった役柄に採用するようにと劇場主に押しつけましたが、そうすることによって愛はあなたにとって逆に《栄光の輝かしい喪》となり得ることを晴れがましく証明したわけです。

要するに、あなたはあなたが与え得るすべてのことをそしてそれは重要なことだったのですが、人に与え、人と分かち合い、書き表し、愛したのですが、それと同時に、世間があなたに差し出すすべてのことは、そしてそれはまさに権威だったのですが、すべて拒否したのです。あなたは作家であると同じだけ人間でありました。つまり、作家としての才能が人間としての弱点を正当化すると主張したことは一度もないし、創造することの幸福が、それだけで、自分の近親者、他の人々、他のすべての軽蔑ないし無視することを許すと考えたことも決してなかった。

あなたはまた才能あるいは善意をもって誤りをおかすことは過誤を正当化すると言い張ることさえしなかった。事実、あなたは作家なる者の例の名高い脆弱性、つまり作家の才能というあの双刃(もろは)の剣の背後に逃げ隠れたことはなく、また現代の作家に附与されたただ三つだけの役柄の一つである自己陶酔者(ナルシスト)-あとの二つは卑小な先生、それと偉い従僕という役ですが、この自己陶酔者-として振舞ったことも一度としてなかった。その反対に、この双刃と考えられている武器(才能)によって、多くの者のように得意げに騒々しく傷つくどころか、あなたはこの武器があなたの手には軽く、有効で鋭利であり、それを愛すると主張して、用いたのでした。あなたはそれを被害者たち、あなたの目にほんとうに犠牲者と映る人々、書く術を知らず、発言することも、闘うことも、また時には嘆く術さえも知らない人々の用に供したのでした。
 

 あなたは審判することを欲しないので正義(司直)に訴えることをせず、名誉をあたえられることを欲しないので名誉について語らず、自分が寛容(無私無欲)そのものであることを意識しないので寛容について言及さえしなかったのですが、そのあなたはわれわれの時代の唯一の正義の人、唯一の名誉の人、そして唯一の寛容の人であったのです。そして絶えずはたらき、すべてを他の人に与え、ぜいたくもせずに、そうかといって苦行者ぶりもせずに暮らし、禁忌(タブー)なしに、また書くということの圧倒的な愉悦いがどんな華やかさもなしに、愛を行い、愛を与え、人を魅惑し、それでいていつでも人に魅惑される用意があり、あなたの友人たちをあらゆる点で越え、速度で、知能で、光輝で彼らを追い越し、しかしそのことを彼らに気付かれないように絶えず彼らの方へ振り向くのでした。あなたは無関心であるよりは人から利用されたり、騙されたりするほうを選び、また希望しないことよりは失望させられるほうを選びました。人の手本となることなど一度として欲しなかった人の、なんという模範的な生涯でしょう!」

(フランソワーズ・サガン、朝吹三吉訳『私自身のための優しい回想』新潮社、160-164頁より)

                                       →続く


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