たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(3)

2021年10月01日 00時57分22秒 | 美術館めぐり
2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b805f8bbb058b5da975a1b3a8ed19d61

特別出展作品
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》
1670年頃 
アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵、
アルフレッド・ペイト卿及びペイト夫人より寄贈(ペイト・コレクション)、
油彩、カンヴァス
72.2× 59.7㎝

(公式カタログより)

「ヴァーガラ(1998年)は、本作品をヘーラルト・デ・ライレッセが『大絵画本』(アムステルダム 1707年、巻1、第3書)のなかで触れた、「古代」と「近代」という絵画理論に結び付けた。デ・ライレッセは、フェルメールの没後に書かれたその理論書のなかで、「古代」の主題は高貴で、古代に発し、永続するすべてを体現するが、今日「風俗画」と呼ぶものに近い「近代」の主題は、世俗的で、家庭的で、日常的で、はかないものすべてを含むという区別をした。デ・ライレッセは前者を好み、賞賛した。しかし、多くの情趣は双方の主題で表現し得るとも主張し、「近代」の主題も、とりわけ上層階級の優雅な主題を取り上げた場合には。画家たちにより自由に采配をふる余地を与えるとした。ヴァーガラは、聖書の主題と上流市民の主題を結びつけることで(つまり、手紙を書く女を、ファラオの娘によって体現される理想的な女性なるものの伝統に位置づけることで)フェルメールは「近代」の絵画に対する己れの野心を表明した、と見たのである。

 本作品は、フェルメールの生前には売られず、亡くなったときには、未亡人カタリーナ・ボルネスの手元にあった。しかし、未亡人は本作品をもう一点の作品とともに担保してパン屋のヘンドリック・ファン・バイテンに譲らざるを得なかった。彼に617ギルダーものパン代を負っていたからだ。最後にこの作品を入手したのは、南アフリカのダイヤモンド鉱と金鉱で財を成した富豪のコレクター、アルフレッド・ベイト(1853-1906年)であった。その後、同じくアルフレッドと呼ばれる甥(1903-1994年)の手に渡った。彼は、ダブリン近くのブレシントンにあるパッラディオ風の別荘、ルスボローを手に入れた。本作品は、そこから最初はIRA(アイルランド共和軍)、次にはダブリンの闇の世界により、二度にわたり盗まれ、1993年、奪還された。アルフレッド卿は、本作品が取り戻され、アイルランド・ナショナル・ギャラリーに納まる様子をかろうじて目にすることができたのである。なお、同卿は、1987年にはハーブリエル・メッツーの手紙を主題とした有名な対作品を同ギャラリーに寄贈している。」


《手紙を書く婦人と召使い》、2018年から2019年にかけて開催された『フェルメール展』でも来日しました。

2018年『フェルメール展』at上野の森美術館
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4aac6e7e14469786d1384037a1c40a96





≪モーセの発見≫が《手紙を書く婦人と召使い》より小さいサイズで描き込まれた≪天文学者≫(1668年、パリ、ルーヴル美術館)は2015年に来日しました。

2015年『ルーヴル美術館展』_「天文学者」「両替商とその妻」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2690284e2a4d67e423ff9ccfe4e106ce





 たびたび美術館を訪れたことも股関節に負担をかけすぎて軟骨を摩耗させたことになりますが、絵画と対話するひとときもまた涸れた心が満たされる、幸せな時間でした。後悔はありません。

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