やっぱり、いつものことだが
最後の最後の段階で米政権がTPPを押し付けてきたな!
安倍政権に「脅し」をかけてきた!
「日本主導」などと言ってウソをつく官房長官だが
茂木政調会長は誰と会ってご挨拶したか!
強行採決のシナリオを報告したのでは?
この構造は砂川違憲判決以来一貫している!
日本の独立を売り渡した日本の名ばかり保守政党≒自由民主党の本質浮き彫り!
日米軍事同盟こそ、日本社会の歴史と伝統を踏みにじった諸悪の権化なり!
それを壊したのは
偽装・偽造・名ばかり「保守」政党である「自由民主」党だ!
産経は、この事実を「押し付け」とは絶対に言わない!
「鬼畜米英」から「ポチ米」に転身したから!
この思考回路には
「屈辱」「従属」「おしつけTPP]はナシ!
米政府が「対日輸出で中国より不利になる」と報告書
TPP成立せずRCEPが成立したら
産経 2016.11.4 10:22
http://www.sankei.com/economy/news/161104/ecn1611040010-n1.html
【ワシントン=小雲規生】米ホワイトハウスは3日、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)が成立せず、米国が加わっていない東アジア地域包括的経済連携(RCEP)が実現した場合、米国が日本市場への輸出で中国に対して不利になるとの報告書を発表した。TPP不成立のリスクを強調し、米議会にTPPの早期批准を促すことが狙い。報告書はTPPが成立しなければ約1200万人が働く36万社が日本市場への輸出拡大のチャンスを失うと試算した。そのうえで日中韓などによるRCEPが成立した場合は、中国製品にかかっている関税が現在より中央値で5・1ポイント下がる一方、米国製品への関税は下がらないと分析。この結果、約470万人が働く米国の約16万2千社が不利になるとしている。米通商代表部(USTR)のフロマン代表は3日の電話記者会見で大統領選からオバマ大統領の任期末までのレームダック期間中のTPP批准について「決してあきらめていない」とし、オバマ氏がTPP実現に向けた努力を続けていることを強調した。報告書は経済諮問委員会(CEA)がまとめた。交渉中のRCEPが実現すれば、すでに発効している日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の包括的経済連携協定と同じペースでの関税引き下げが中国にも適用されると想定している。(引用ここまで)
菅義偉官房長官、TPP採決延期に危機感
「TPPを日本主導で仕上げないといけない」
産経 2016.11.3 13:30
http://www.sankei.com/economy/news/161103/ecn1611030017-n1.html
菅義偉官房長官は3日、東京都内で講演し、環太平洋連携協定(TPP)承認案の強行採決を巡る発言を「冗談」とした山本有二農相の1日の発言を受けて衆院TPP特別委員会での採決が延期されたことに危機感を示した。「市場の拡大は極めて大事だ。TPPを何としても日本主導で仕上げないといけない」と述べた。自身も「失言に気を付ける」と強調。米大統領選の民主、共和両党候補が共にTPPに反対している現状に関連し「保護主義の流れを変えないと世界は間違った方向に行ってしまう」と指摘し、TPP早期承認の必要性を訴えた。アジア諸国との関係については「中国との間だけが若干ぎくしゃくしているが、首脳会談の度に良くなっている」と述べ、日中間のさらなる改善に期待感を示した。(引用ここまで)
産経 TPP早期批准で一致 自民・茂木敏充政調会長、ケネディ米大使と会談 2016.11.2 17:37
自民党の茂木敏充政調会長は2日、ケネディ駐日米大使と党本部で会談し、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の早期批准を目指す考えで一致した。茂木氏は今国会でTPPを承認し、関連法も成立させると強調。ケネディ氏は「オバマ政権でしっかり進めたい」と応じた。会談は、沖縄を8日に訪れる茂木氏が要請した。(引用ここまで)
産経は
GHQと米国政府は
「ベツバラ」ならぬ「別物」「別人」と
マジで思い続けている奇異で不勉強な新聞だな!
産経の思考回路で言えば
米軍人のマッカーサーこそ、「押し付け」の張本人だが
国会も国民も「感謝」していた!
日本国憲法は米国の「押し付け憲法」と言うのであれば
日米軍事同盟を容認しているのはどう説明するのか!
産経の厚顔無恥・支離滅裂の不道徳ぶりを徹底して全国津々浦々に拡散を!
【憲法公布70年】
GHQ“素人”が米合衆国憲法を「コピペ」で原案
押し付け憲法なのに一度も改正せずもう70年…
2016.11.3 08:14
http://www.sankei.com/politics/news/161103/plt1611030009-n1.html
日本国憲法は終戦翌年の昭和21年11月3日、連合国軍総司令部(GHQ)による占領下で公布された。その成り立ちを振り返れば、「押しつけ憲法」というしかないが、日本国民の手で一度も改正することなく70年が過ぎ去った。
この問題をめぐっては、安倍晋三首相は「占領軍の影響下で原案が作成された」と指摘し、「私たち自身の手で憲法をつくる精神こそが新しい時代を切り開く」と訴えてきた。これに対し、民進党は前代表の岡田克也氏が「70年間国民が育んできた事実の方が重要だ」と繰り返すように、認識に相当な乖離(かいり)がある。
事実関係はどうか。
連合国軍最高司令官のマッカーサーは21年2月3日にホイットニー民政局長に憲法草案の作成を命じ、(1)天皇は国家元首の地位(2)自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄(3)日本の封建制度は廃止-の3原則を示した。後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる指示で、日本の防衛法制を過度に縛る9条は、日本の無力化を狙った(2)に由来する。
民政局は翌4日からマッカーサーの指示に沿って、ケーディス大佐ら二十数人の“素人集団”が原案作成の作業を一気に進め、9日後の13日、日本政府に提示する。その原案は米合衆国憲法などを切り張りした「コピペ」(コピー・アンド・ペーストの略)と呼ぶしかない代物だった。
日本国憲法前文の「われらとわれらの子孫のために(中略)自由のもたらす恵沢を確保」と米憲法は完全に一致する。また、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」という前文も、1941(昭和16)年に米英首脳が戦後の世界秩序のあり方などについて調印した大西洋憲章にある「一切の国の一切の人類が恐怖および欠乏から解放され」とうり二つだ。
憲法前文には本来、国の歴史や伝統、文化など国柄が記されるものだが、GHQによる「盗作憲法」をいまだに日本国民は背負わされている。西修・駒沢大名誉教授(比較憲法学)がかつて、憲法原案を作った民政局員8人に話を聴いた際には、みな異口同音に「自分たちの案は暫定的な性格のものであり、早晩、日本国民の手で恒久憲法が作成されるだろうと思っていた」と語っていたという。
マッカーサーは新憲法で日本を非武装化してみたものの、昭和25年に朝鮮戦争が勃発すると、日本政府に警察予備隊を発足させた。予備隊は保安隊となり、現在の自衛隊になった。
泉下のマッカーサーも、まさか70年後の日本国民がこの「押しつけ憲法」をそのまま抱き続けているとは夢想だにしなかっただろう。自分たちの占領政策の成功の結果、頑迷固陋(ころう)な護憲勢力が幅を利かせ続けることも。(峯匡孝)
産経 【阿比留瑠比の極言御免】もはや意味不明の護憲派主張 押し付け憲法論をめぐる論理の混濁 2016.11.3 14:00
(6)GHQの政策により、「国旗」の自由掲揚は禁止されていたが・・・
(7)衆参の「マッカーサー元帥に対する感謝決議」鬼畜米英から救世主様へ
http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist1_1_2_06.htm
東京朝刊「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法」否定の新史料 2016年8月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201608/CK2016081202000116.html
世界史用語解説 授業と学習のヒントマッカーサー
http://www.y-history.net/appendix/wh1601-024.html
アメリカ軍人で、太平洋戦争で連合軍を指揮し、勝利後、日本占領を統括し民主化を主導した。朝鮮戦争では国連軍総司令官となったが、途中でトルーマン大統領と対立し、退任させられる。
厚木飛行場に降り立つマッカーサー
Douglas MacArthur アメリカの陸軍軍人で、第二次大戦中は太平洋戦争での日本軍との戦闘を指揮し、連合国軍最高司令部(GHQ)の最高司令官として日本の無条件降伏を引き出し、1945年9月2日の東京湾ミズーリ号艦上での日本の降伏文書に署名した。マッカーサーは8月30日、厚木飛行場に降り立ち、横浜のホテルニューグランドに滞在して9月2日のミズーリ号降伏文書調印式に立ち会い、その後は東京の第一生命ビルの一室で、日本占領の指揮に当たり、9月27日は昭和天皇の訪問を受けた。連合国軍総司令官(SCAP)として、日本国憲法の制定など、日本の民主化をめざす戦後改革の指揮を執った。その日本滞在は1951年4月11まで、二千日におよんだ。1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると、国連軍最高司令官として仁川上陸作戦を決行、北朝鮮軍を鴨緑江まで後退させた。中国軍が参戦して押し戻され、中国領への爆撃と原爆投下を主張してトルーマン大統領と対立し解任された。
Episode 「アイ・シャル・リターン」
マッカーサーは第二次世界大戦において、欧州戦線でのアイゼンハウアーと並んで、太平洋戦線での英雄であった。また、戦後の日本の方向性を決定づけた人物としても忘れがたい。太平洋戦争勃発時はアメリカ軍のフィリピン派遣軍司令官であったが、日本軍の攻撃を受けフィリピン占領を許し、"I shall return" の言葉を残してオーストラリアに撤退した。その約束通り、反撃に転じてフィリピンを奪回し、ついに日本を敗北に追い込んだ。
朝鮮戦争で原爆使用を主張
マッカーサーは「1951年4月、北朝鮮の背後にある中ソを攻撃するために、中国大陸での原爆使用をトルーマン大統領に進言した。」しかし、当時の原爆は空中爆発型で、鉄道・トンネル・橋梁などの破壊には適していなかったのでその軍事的効果は小さく、政治的には中国・ソ連との全面戦争の危険が大きいこと、また日本に続いて中国で原爆を使用すれば、アジア人に対してのみ使うという人種偏見ととれれかねないことなどから、トルーマンは原爆使用を許可しなかった。
(引用)トルーマンが人道主義者だからというのではなく、原爆を使用できる条件にはなかったのである。こうして第三次世界大戦の危機は回避されたのであり、まさに危機一髪であった。・・・これに対し、日本人の多くはほっとしたが、同時に天皇より偉いと思われていたマッカーサー元帥を解任できる、もっと上位の人物がアメリカ本土にいることを知って、驚いたものである。1951年4月16日、衆参両議院はマッカーサーに対する感謝決議案を可決、見送りの群衆二〇万人が羽田空港まで沿道を埋め尽くした。帰国後、マッカーサーは米上下院合同会議で退任の演説を行い、「老兵は死なず、消え去るのみ」という有名なことばを残した。<中村政則『戦後史』2005 岩波新書 p.51-52>
この言葉は古い軍歌の一節だそうである。マッカーサーはその後も反共のシンボル、国民的英雄とされ続けた。(引用ここまで)
日本国憲法の草案はメイドインジャパン - YouTube