英霊と呼んでゴカマス不道徳命つながる復員の兵!
復員の兵士の戦後見るたびに生きるの大切ゴマカス国家
英霊に感謝するとは呆れたり殺しておいて美化免罪す
戦争責任を負った戦争犯罪人を祀り
侵略戦争を美化する装置は人道主義に反する!
「ご英霊に対する感謝の気持ち、靖国への思いは変わらない」
終戦70年の靖国/国守る大切さを伝えたい
産經新聞 /2015/8/16 6:00
http://www.sankei.com/column/newslist/../../column/news/150816/clm1508160003-n1.html
戦後70年の終戦の日、東京・九段の靖国の杜(もり)には酷暑の中、早朝から多くの人々が参拝に訪れた。国に命をささげた人々の御霊(みたま)に、改めて哀悼の意を表したい。
靖国神社には幕末以降、国に殉じた246万余柱の御霊がまつられている。このうち213万余柱は先の大戦の戦没者である。
「戦没者」と簡単に言ってしまうところに、産経の不道徳が浮き彫りになります。国家によって「殺された臣民皇軍兵士」なのです。これは大日本帝国憲法・教育勅語・軍人勅諭を視れば、単なる「戦没者」ではなく、国家によって「殺される」ことを「義務付けられた」からこそ、「殺された」ということが浮き彫りになります。
この点をゴマカスということは、大日本帝国憲法体制そのものをゴマカシ・デタラメ・大ウソつくことになります。これは臣民に対する背信行為であり、犯罪行為であり、最大級の不道徳行為です。
安倍晋三首相は自民党総裁として玉串料を奉納した。名代の萩生田光一総裁特別補佐に「ご英霊に対する感謝の気持ち、靖国への思いは変わらない」と言葉を託したという。
「ご英霊に対する感謝」とはどういうことでしょうか。「国家のために、快く死んでくれてありがとう」という意味です。「靖国」という言葉が示しています。「国」を「靖・安んずる」というのは、大ウソです。それは、「国」である日本列島がどういう状態に陥ったか、を視れば、「靖・安んずる」などいう言葉が、大ウソであり、「感謝」などということがスリカエ・ゴマカシ・デタラメであることが浮き彫りになります。また、国民生活が、戦争によって、どのような塗炭の苦しみを強制されたか!
そろそろ、このような日本語を使ってゴマカス輩を永久に追放する時が来ているのではないでしょうか。日本国民の道徳心が試されていると言わなければなりません。
閣僚では、有村治子少子化対策担当相、高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相の3人が参拝した。
戦後70年談話の閣議決定と閣僚の靖国参拝が全く矛盾していない!という思想は国際社会から認められないでしょう!
14日の安倍談話の「美辞麗句」・「情緒言葉」・「思考回路」の本質が、翌日に、しかも「終戦記念日」に表面化するとは、この国の行政権力を担っている政治家の資質が、国際社会に、恥として、不道徳として、地球儀全体に曝け出されたということです。
安倍首相は第1次政権時代に靖国神社に参拝できなかったことを「痛恨の極みだ」と繰り返し語っていた。現政権では一昨年暮れに参拝を実現させたが、その後は参拝していない。
靖国神社はわが国の戦没者慰霊の中心施設である。伝統文化に従って戦没者を追悼することは、どの国の指導者も行っている。平和を誓い国を守る観点からも、欠かせぬ責務である。
「平和を誓い国を守る観点」を言うのであれば、「英霊」を創りだした装置。憲法・諸法規。諸教育制度。諸弾圧機関など、「軍国主義」の装置を永久に放棄するために「駆逐」する装置を創りだすべきです。産経は、その先頭に立つべきです。
首相が直接参拝しないことは、やはり残念だ。安倍首相には春秋の例大祭などの機会もとらえ、堂々と参拝してもらいたい。
かつて首相が閣僚を率いて靖国神社を参拝することは普通の光景だった。中国が干渉するようになったのは中曽根康弘首相が公式参拝した昭和60年8月以降だ。
この「昭和60年」に何が行われたか!産経は、いつものようにゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソをつくのです。この年の7月27日、中曽根首相は「戦後政治の総決算」を打ち出し、8月15日、歴代首相としてはじめて靖国神社参拝を強行するのです。これは日中平和友好条約路線に反する暴挙として捉えられたことは明らかでした。だから、中曽根首相は、10月の秋の例大祭参拝を見送らざるを得なかったのです。
そして、「戦後政治の総決算」路線の扇動の中で、翌年7月25日、藤尾正行文部大臣の植民地支配正当化発言があり、罷免される事件が起こったのです。そこで日中は、11月8日に4原則を確認するのです。以下ご覧ください。「内政干渉」論のゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソが浮き彫りになります。
戦後の中日ハイレベル交流を振り返る (4) http://jpn_cpc.people.com.cn/65014/7144837.html
中日両国は、4つの原則的共通認識をしっかりと遵守する必要がある 2014年11月8日http://j.people.com.cn/n/2014/1108/c94474-8806320.html
日中関係の改善に向けた話合い 平成26年11月7日http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page4_000789.html
程永華駐日大使,時事通信社のインタビューに応じる 2015/06/26 http://www.china-embassy.or.jp/jpn/mtfw/t1276223.htm
中国や韓国が首相の玉串料奉納や閣僚の参拝を非難するのは内政干渉である。静かな追悼の場を外交カードに使うべきではない。
「内政干渉」という場合は、戊辰戦争まででしょう。侵略戦争・侵略のための海外武力行使の場合は「内政干渉」という言葉は全く道理がありません!被害者の立場を冒涜するものです。
強い日差しのなか、参拝者には戦没者の、ひ孫世代の子供を連れた家族も目立った。
靖国の社頭には、戦死者らの遺書、辞世の書が月替わりに掲示、紹介されている。
23歳の若さでフィリピンの地で逝った陸軍曹長の文には「戦死の報あるも決して悲しんで下さるな」との気丈な言葉とともに、父母の健康を心配し、「小生の貯金その他は、弟妹等の教育費に御使用願ひます」と家族への気持ちがつづられていた。こうした思いの一つ一つが、靖国にはある。
ここに産経など、侵略戦争である大東亜戦争を正当化する勢力のスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソが、改めて浮き彫りになります。こんな手口は、卒業させるべきです。自分たちこそが、愛国心の、家族思いのであるなどという自惚れに、そして欺瞞に満ちた言葉と言えます。
それは、この陸軍曹長の「言葉」を勝手に利用しているからです。これこそが「政治利用」そのものです。そもそも、すすんで「戦死」を希望した国民など、いるはずがないということです。もし、いたとすれば、それは、死を奨励していることを、産経自身が認めることになります。そして、それを美化するということは、今日の政治の世界において、また教育界において、戦前のような「戦死」を奨励する政治を推進する側に立っていることを、自ら認めていることになります。
子どもの「生きる」ことより、「国家のために死ぬ」ことを奨励する!のです。
この陸軍曹長が、父母の健康を想う「家族思い」「親孝行」ぶりを表現・強調することで、陸軍曹長の「戦死」を、道徳的であるかのように美化するのですが、これもスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソです。
生きて父母の健康を願うことこそが、道徳的だからです。「小生の貯金その他は、弟妹等の教育費に御使用願ひます」などという言葉を「家族への気持ちがつづられていた」として、これこそが「靖国にはある」などと、こうした行為を「靖・安んずる」行為として美化するのです。
トンデモありません!当事者は、ちっとも靖・安んずる」ことなどありません。諦めです。そもそも生きてこそ!「貯金その他」を家族のために使うことが、本来の喜びであるはずです!国家によって死を強制され、それに対して抵抗などするものならば、「非国民・国賊」の罵声が浴びせられ、「村八分」など、権力監視の下に置かれ、時には弾圧される社会であったのです。そのことが、生きて「家族への気持ち」を注ぐことを断ち斬らされたのです。産経は、このことを隠ぺいしているのです。
鎮魂の思いとともに、尊い犠牲のうえに国が築かれ守られてきた歴史を次代へ伝えていきたい。
「魂」を「鎮める」行為と思いこそ、無念の死を強制されたことを象徴しています。しかも「尊い犠牲のうえに国が築かれ」たという「国」とは、どのような国でしょうか。産経は、全く語っていません。「英霊」に祀り上げられ「無念の死」を強制させられた臣民である皇軍兵士たちの本当の願いとは何か!産経は全く語っていません!隠ぺいです。ゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソです。
しかも「英霊」たちによって「守られてきた歴史」とは何か!これも全く語っていません。ゴマカシ・スリカエ・デタラメです。抽象的で、情念的な日本語を使うことで、「英霊」たちの隠ぺいされた諸事実と思いを掘り起こして、産経は安倍首相らの侵略戦争正当化の思想を暴きだしていくことが大切です。
そのことこそが、人生を中途で遮断され、無念の死を受け入れざるを得なかった「213万余柱」の本当の思い、もっと生きて生きて、家族を創り、社会に貢献し、人生を全うしたかったという思いに報いることになるのではないでしょうか。
簡単に「英霊」に『感謝』『尊崇の念』などという言葉を使うな!ということです。彼らに対する冒涜です。不道徳です。「英霊」の「御霊」を「鎮魂」しなければならないことを、国家がやったこと、そのことをしっかり暴いて責任を取らせることです。
「英霊」たちの限りない未来のある人生を断ち斬ったことに対する責任を明らかにして、謝罪とお詫び、補償と懸賞、そして二度と同じ過ちをくり返さない政治への決意を、具体的に明らかにすることです。
戦後70年談話問題では、キーワードが中韓や欧米の植民地宗主国の方にだけに向けられていましたが、以上述べてきたことを踏まえることこそが、アジア諸国の被害国とその国民、そして民衆との和解と連帯の構築が可能になると、断じておきます。
それは、加害者に仕立て上げられた臣民である皇軍兵士と臣民の加害の事実を真正面から捉えることこそが、被害者の立場に寄り添うことができるのです。それは加害者自身が、被害者であるからです。この加害と被害の相関関係を暴きながら、それらを創りだした諸装置、すなわち「軍国主義」を「共通の敵」とすることで、それを「駆逐」することに、連帯して取り組む方向を展望することができるのです。そしてそれこそが、「同じ過ちを絶対にくり返さないぞ」という日本国民の決意となるのです。
そのことを被害国と、その国民は注視しているのです。
産経や安倍首相派は、真逆の存在であることが、この産経の『主張』と閣僚の靖国参拝で、改めて浮き彫りになったのでした。