2011年8月7日(日) 快晴 真夏日 夕方雨が少し降った。
会津若松市長と市議会議員の投票日。例年4日に親類一族が集まって読経をし堂内で会食する墓参りをして来たが、実家の義姉が亡くなり、長兄が入退院を繰り返すようになってからこの墓参りもなくなった。寂しい限りである。夕方妻と一緒に菩提寺である威徳院へ墓参りに行き、帰りに投票した。
7月17日(土)快晴 「太覚寺」
昨年 訪れる時は玄関から入場料を500円払って境内を見学した。今回は五大堂(本堂)通用口から拝観なので順路も変更されており少し違っていて戸惑った。
「大覚寺縁起」によると大覚寺の正式名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といい、真言宗大覚寺派の本山で、心経写経の根本道場・いけばな嵯峨御流の総司所である。
門跡寺院とは、天皇または皇族が住職に就かれた寺院のこと。遠く平安の昔、嵯峨天皇の離宮嵯峨院が建立され、弘法大師(空海)も幾度も立ち寄った。その後、嵯峨天皇の皇女正子内親王(惇和天皇皇后)が清和天皇に上奏して大覚寺と改め、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂入道親王が初代の住職に就いた。南北朝時代には南朝の御所となり、ここで争いに終止符を打つ講話会議が開かれた。
会津若松市長と市議会議員の投票日。例年4日に親類一族が集まって読経をし堂内で会食する墓参りをして来たが、実家の義姉が亡くなり、長兄が入退院を繰り返すようになってからこの墓参りもなくなった。寂しい限りである。夕方妻と一緒に菩提寺である威徳院へ墓参りに行き、帰りに投票した。
7月17日(土)快晴 「太覚寺」
昨年 訪れる時は玄関から入場料を500円払って境内を見学した。今回は五大堂(本堂)通用口から拝観なので順路も変更されており少し違っていて戸惑った。

門跡寺院とは、天皇または皇族が住職に就かれた寺院のこと。遠く平安の昔、嵯峨天皇の離宮嵯峨院が建立され、弘法大師(空海)も幾度も立ち寄った。その後、嵯峨天皇の皇女正子内親王(惇和天皇皇后)が清和天皇に上奏して大覚寺と改め、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂入道親王が初代の住職に就いた。南北朝時代には南朝の御所となり、ここで争いに終止符を打つ講話会議が開かれた。