会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都夏の旅25

2011-08-24 22:34:04 | 旅行
2011年8月 25日(木 ) 曇り 雨 
 疲れがまだ残っていてだるい。でも腰痛を少しでも和らげたいとプールに行きストレッチと水中運動をした。いくらか体が軽くなった。帰り道 大型電気店によりノートパソコンやプリンターを見ていたら知人に合う。店外に出て少し四方山話をした。日曜日東山温泉で高校の同期会があったことを話してやった。風評被害で観光客は激減しているというが「御宿 東鳳」はほぼ満員だった。避難者も随分少なくなり50人程度。9月頃までには宿をでる。
 同期生 会津応援 集う宿

 この同期会は会津高校9回卒の在京会の会津を応援しようという呼びかけで、各地から集まった。もちろん地元の私も参加した。急な呼びかけだったが約30人集まりおおいに語り、飲み旧交を温めた。久しぶりに芸者さんの唄や踊りをみた。


7月19日(火)くもりのち風雨 「智積院」へ


 18日は「高桐院」をゆっくり見学してから来た時と同じように地下鉄北大路駅までタクシーで行き、烏丸線で五条駅まで乗った。交通費があまりかからないですんだ。
地下街や伊勢丹デパートで買い物をし、 駅前のホテル法華クラブにチェックイン。
(通常一人7,000~9,000円がインターネットで予約すると朝食付きで二人で11,000円だった)
 19日いよいよ帰る日となった。電車は午後1時56分。それまで、NHK大河ドラマ「江」に関係する所を回ることにした。時間を有効に使うためタクシーを利用した。
まず、はじめに行ったのが「智積院」。この寺は真言宗智山派の総本山。
 私の家の菩提寺威徳院も真言宗智山派であり、一度はお参りしたかった所である。
「智積院」は「ちしゃくいん」と読むのだが、恥ずかしいはなし「ちせきいん」と読んでいた。タクシーの運転手さんははじめきょとんとしていた。真言宗智山派の総本山と説明したら「智積院」へ案内してくれた。
 豊臣秀吉が建てた祥雲寺と豊国社の一部を合わせ、徳川家康が紀州根来寺智積院に与えたものである。
長谷川等伯一門の障壁画が多数残っている。下の絵は等伯の作品。

庭には歩く庭、立ち見の庭、座って見る庭があるが、この名勝庭園は座って見る庭の中でも傑作の一つに数えられている。
 (つづく)



京都夏の旅24

2011-08-24 06:59:29 | 旅行
2011年8月 24日(水 ) 快晴 真夏日 
 「半袖か 長袖かと 迷う晩夏」

 朝方は涼しく夏背広でも着ようと思ったほどの気温。
豊齢研ITサロン会津の授業日なのでいつものようにラジオ体操をした後、授業する内容に目を通し一通りはやってみた。

 午前中の会員は初心者からベテランまで多様。どこに基準をあわせてよいか迷ってしまう。「地図つくり」なのでLibreOfifice のDraw(図形描画)のいろいろなツールを使う。はじめの30分はツールの使い方に慣れてもらうように練習の時間をとって一緒に勉強した。

 後半は資料にもとづいて各自が各自のペースで進めてもらうことにした。練習したからみんな順調にできるだろうと思ったのが間違いだった。高齢者が多い。初心者もいる。結局ばらばらな未完成の地図をコピーし、Writerに貼り付けるまでで授業は終わった。

 次回見栄えのする文書づくりの時にでもこのやり方を利用したい。午後4時まで會津稽古堂に居る。1日仕事をするのは疲れた。

7月18日(月)雨 後 晴れ 「高桐院」へ

 京都夏の旅は時々休みました。すみません。
広い大徳寺を歩きようやく「高桐院」へ着いた。
雨上がりの「高桐院」の草木の緑は長く続く石畳とマッチして実に美しかった。妻も感動写真を随分撮った。
 「高桐院」は大徳寺の塔頭の一つで、江戸時代初期の武将で茶人としても有名な細川忠興(三斎)が、父・幽斎の弟・玉甫紹を開祖として建立した細川家の菩提寺である。

三斎は、千利休の七人の高弟(利休七哲)の一人に数えれれる名手で、書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。書院に続く茶室「松向軒」は三斎好みの二畳台目で、三畳の水屋が付き、壁や天井にも趣向が凝らされている。書院の庭は江戸初期の作庭で、また、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。

 寺宝として、中国南宗時代の画家利唐の山水画二幅は有名で、現存する墨絵山水画の圧巻と賞賛されている。
 境内には三斎と夫人ガラシャのほか、歌舞伎の創始者とされる出雲阿国らの墓がある。
三斎の墓標の石灯籠は、利休が秀吉の望みを断って三斎に贈った物と伝えられている。