2014年4月18日(金)曇 15.5℃~7.8℃
初夏を思わせるようなお天気が数日続いたが今日は3月末の肌寒い天気に逆戻りした。この繰り返しで本当の春がやって来るのだろう。
16日、17日と町内で長年続いている「古峰神社・成田山新勝寺 講中」の人々と小旅行をして来た。
大勢いた講中も亡くなった方、体が不自由になった方などいろいろな理由で退会された方がおり人数が少なくなってしまった。
隔年で参加すればよかったのだが、一昨年から毎年全員参加しないとバス貸切も一人あたりの負担金が積立金では間に合わない。今年などは12名参加したが追加料金を出して実施した。
会津地方では田植えなど農作業が忙しくならない冬(1月か2月)に講を実施してきた。私たちの講は農業従事者もいないし、ほとんど高齢者だけになったので春に実施するようになった。古峰神社・成田山講の他にも柳津虚空蔵尊講、伊勢神宮講などもある。
若い人が講に入らないので講中も無くなった地域もある。町内もそのような道をたどるのかもしれにがもう少し続けていくことに話し合った。
古峰神社のホームページによると
講とは
古峯神社を参拝するため、崇敬する人々が集まって組織する仲間のこと。講元・世話人が中心となり、古峯神社参拝に関する費用や総ての運営をその仲間の人々達で行います
古峰神社の由緒は
今を去る1300余年の昔、隼人というお方が京都からこの地に移り、尊(御祭神・日本武尊)の御威徳を慕いつつ、京都よりこの古峯ヶ原の淨地に遷座(創祀)申しあげたのが始まりといわれております。
その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。
この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。
古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。
初夏を思わせるようなお天気が数日続いたが今日は3月末の肌寒い天気に逆戻りした。この繰り返しで本当の春がやって来るのだろう。
16日、17日と町内で長年続いている「古峰神社・成田山新勝寺 講中」の人々と小旅行をして来た。
大勢いた講中も亡くなった方、体が不自由になった方などいろいろな理由で退会された方がおり人数が少なくなってしまった。
隔年で参加すればよかったのだが、一昨年から毎年全員参加しないとバス貸切も一人あたりの負担金が積立金では間に合わない。今年などは12名参加したが追加料金を出して実施した。
会津地方では田植えなど農作業が忙しくならない冬(1月か2月)に講を実施してきた。私たちの講は農業従事者もいないし、ほとんど高齢者だけになったので春に実施するようになった。古峰神社・成田山講の他にも柳津虚空蔵尊講、伊勢神宮講などもある。
若い人が講に入らないので講中も無くなった地域もある。町内もそのような道をたどるのかもしれにがもう少し続けていくことに話し合った。
古峰神社のホームページによると
講とは
古峯神社を参拝するため、崇敬する人々が集まって組織する仲間のこと。講元・世話人が中心となり、古峯神社参拝に関する費用や総ての運営をその仲間の人々達で行います
古峰神社の由緒は
今を去る1300余年の昔、隼人というお方が京都からこの地に移り、尊(御祭神・日本武尊)の御威徳を慕いつつ、京都よりこの古峯ヶ原の淨地に遷座(創祀)申しあげたのが始まりといわれております。
その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。
この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。
古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。