会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

故郷

2016-02-27 16:47:21 | 地域情報
2016年2月27日(土)晴 7.9℃~-2.9℃
「城西界隈ぶらりぶらり」
 夜中から雪が降り10cm位積もっただろうか。午前10時頃からからりと晴れてあっという間に雪が融けた。
 肩こりと腰痛がまたひどくなったのでインターナショナルスイミングクラブに出かけた。ストレッチを30分やってからプールに入って水中運動などを50分行った。体が軽くなり気分も晴れ晴れ。帰宅後は一昨日の講演の資料などの整理をした。


 講演では、次のようなことから話をはじめた。
『間もなく卒業ですね。中学生活は充実して思い出いっぱいでしょう。
私にもみなさんと同じ中学生時代がありました。振り返ってみますと1954年3月会津若松市立第四中学校を卒業しました。
何年前になるでしょうか? 63年前ですね。第5回卒業生です。
場所は現在の3中があるところです。
太平洋戦争後 教育制度改革で小学校六年間、中学校三年間の6・3制義務教育になりました。
若松市には学校を建設するお金がありませんでした。とりあえず若松一中と二中を建設しました。
三中生、四中生は現在の会津高、若商、葵高(会女)、学鳳(若女)の校舎を借りて学びました。
当時の市長 横山武氏は鶴ヶ城内に競輪場を作り、その収益金で中学校建設をしました。
若松四中は私が一年生の時校舎だけできました。分散して学んでいた四中生は各自机と椅子を運びました。
校庭は水はけが悪いので大川から石を運んで敷き、ローラーを引っ張って整地しました。
 教室で学んだことよりも学校づくりに汗を流したことなどが思い出されます。
 高校進学は卒業生の半数くらい、残りは“金の卵”といわれて就職しました。
 このようにして中学を卒業し、それぞれの道を進みましたが、家業を継いだ人や地元に就職した人によって、時々同窓会を開き交流を深めています。
 集まるとみんな中学時代にもどって 〇〇君、○○さん、○○ちゃんと呼び合って盛り上がります。また、住んでいた町のことなども話題になります。
みなさんも卒業後それぞれの道を進み、何年か後に集まった時、中学時代のことが懐かしく、話が盛り上がることでしょう。』


 『その時のために會津の城西界隈について少しお話します。





※奈良・平安時代は律令制度 国司・郡司・里長などや地方の豪族がいた。
 
 鎌倉時代以降:1185:初代佐原十郎義連(よしつら)が源頼朝の命により會津へ
→1378 七代葦名直盛 ・1384 幕の内 小高木(小田垣)東黒川の館
→1589 葦名氏 磐梯山麓で伊達氏に滅ぼされる(芦名時代約400年)
→1592 蒲生氏郷會津へ 黒川 若松城 城下町を作る。 2代目秀行 宇都宮へ移付
→1598 上杉影勝  →1601 蒲生秀行 會津へ戻る →1627加藤嘉明
→1643 保科正之
→1868 松平容保 會津藩 降伏開城(松平氏約230年)

 ○ヘンリースネル邸跡(会津藩軍事顧問、子守 おけい 日本人女子 初のアメリカへの移民)
 ○可月亭 名庭(小堀遠州流 心字の池 築山)御薬園と同じ目黒浄定が庭師
 ○秀長寺・住吉神社(戊辰戦争古戦場跡 佐川 官兵衛 指揮 会津藩大勝利)
 ○二本木稲荷神社(七代芦名直盛 この地で幕を張って政務 地名が幕ノ内となった)
 ○会津藩酒蔵跡⇒若松測候所跡⇒現福島気象観測所

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・など30ヶ所スライドで提示説明


 春休みに皆さんの自宅の周辺を歩いてみてください。
いろいろな発見があると思います。
町名の由来など調べてみると、いつも歩いている路が変わって見えてきます。
歴史的なことがわかると、いろいろなことを思い巡らして歩くことが楽しくなります。
楽しく歩く これは大事なことです。 
皆さんは間もなく卒業です。人生の中で中学時代はあっという間。体を鍛え、心も鍛え、友達も一杯できたことでしょう。
この素敵な思い出とともに生まれ育った地域のことも忘れないでください。高校受験も通過点でいいかもしれません。
無理しないで、自分に合った道を、見つけて歩いていってください。』