アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

妄想しなくても表現はできる

2014年08月25日 | ピアノ
私が「ピアノ再開13年目、だんだん豊かになる(中編)」で書いたことを読んで、おゆき先生は苦笑していたらしい。

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要するに、イメージというか妄想をたくましくしていって、演奏の表現やら個性やらに結びつける方法は、それが必ずしも間違いというわけでなくても、少なくとも私には向いてないだろうと(根が理屈っぽいからね)。

「アンダンテさんは妄想しなくていいですから」

それより、音の上がり下がりが、滑らかであるとか、じくざぐであるとかそういう形。
和音が、明るいとか暗いとか「変」とか、そういう色合い(妄想でなく理屈から)。
フレーズの区切り。

そういう、楽譜にちゃんと盛り込まれている部分を意識して弾けば十分表現豊かな演奏はできるから。無理に妙なイメージふくらまそうとしなくていいと。

あ、そうですか(^^;; そういっていただけるとちょっと気が楽です。


その面では、去年、自分的にエポックメーキングな出来事があったんです。

娘の学校の授業参観、音楽で。

ソプラノ、メゾソプラノ、アルトに分かれて、生徒たちが
S: ソーラーソーソーソー
M: ミーファーミーレーミー
A: ドードードーシードー
と歌うんです。カデンツァですね。

私が教室に入った瞬間、ちょうど聞こえたその歌声も、まぁまぁ音程揃っていて特におかしなことはなかったのですが、そこで先生が、各声部を別に歌わせて「メゾソプラノさんは、レからミに行きたい気持ちで」「アルトさんは、シからとてもドに行きたい気持ちで」みたいなことをちょいちょいと指示。

それでもいっぺん合わせて歌わせると…

ぜんぜん違う(o_o)

ちょうど居合わせたこの出来事が、「和声進行を意識して弾け」という、わかったようなわからんような気持ちで聞き流していたこととビビビッとつながって、ほんとに違って聞こえるんだ、という、ヘレンケラーの「ウォーター」体験。

そんなことがあってから、妄想はしなくても表現できることはあるということを、自分でもだんだん思うようになったんです。

でもなにしろ、ピアノってば、自分で全部やらないかんですから、なかなか思ったように弾けないんですけど。
ソプラノさんとアルトさんが別人じゃないからね。つられる(ピアノだから音程のことじゃないですけど、弾き方が)からごっちゃになったり。

重なっている音にそれぞれ神経をゆきとどかす、ってのは難しいです…

そんなこともあって、インベンションをお勧めされていると思うんですけど。今、8番をやっていて、あれって掛け合いがおもしろいですね。

なかなか、左右が同時に別のことしなきゃいけないと難しいんですが、「こういうところはおいしいのよ」とおゆき先生。フレーズの特徴部分が、左右時間差で出てくるときは、そこをしっかりわかるように弾いておくと、あとがちょっとこちゃっとしてしまっても、ちゃんと弾き分けているように聞こえるからという、裏テク(^^;;

そうそう、音階の練習も、無味乾燥体育会系というのでなくて、音階なんだから、なめらかーとかころころーとか、そういう表現を考えながら弾けばとっても楽しいとのことです。その話が頭にあってやってたら、昨日もつい長くなっちゃって…

おゆき先生、私を乗せるツボをすごく心得ているようです。付き合いはまだ浅いのに、なんでわかったん??

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コメント (11)
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