アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

レイトスターターが受けた「英才教育」!?

2014年08月26日 | ピアノ
私の場合、ピアノ再開が35歳くらいから、バイオリンは42歳で始めたとなると、まー立派なレイトスターターですが…

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←実は音大附属幼稚園出身です(笑)

自分ではあまりふだん意識に上りませんが、もしも私がほんとにこの年で「音楽を始めた」んだったとしたら、もっとずっとずっと制約の大きいものになっていたはず。別に、それで悪いってことはないですけど。

子どものころに受けていた音楽教育というものは、本人が思う以上に影響しているんだろうなぁ、とときどき感じます。

先日の八ヶ岳で、歌の伴奏しようと思ってイタリア歌曲集、ドイツ歌曲集を買い込みましたが、ふだん歌なんて何も馴染みがないのに、ちょっとメロディーを弾いてみると、あぁコレ知ってるコレも知ってる…

小さいころ、私の母はピアノを教えていただけで、歌を教えていたのではないのですが、なんか生徒が音大受験するころになると、歌もやらなきゃ的なことになるのか(よく知らないんですが)、「セントーネルコーレ♪」(←風呂屋、と呼ばれていた)なんてやってたようです。

それと、母の教えるピアノは、当時の正統派(?)カリキュラムに概ね従ったものだったので、バッハインベンションとかはお腹にいたころから(笑)浴びて育っています。だから自分が練習する前から、音の並びだけはもう頭の中に入ってたりとか。

で、私はそんな環境の中で、たぶん二歳ごろから歌をうたい、三歳ごろからピアノを習い、たいして練習はしないんだけれどもバイエル、ブルグミュラーと済んで簡単なソナチネも何曲か弾いて、小学三年生でエリーゼのためにを弾いて終わったわけです。

偉い先生に習っていたのではなくて、母の元弟子で音大を出た人に習っていたのですが、バランスよくきちんと指導があったらしく、譜面も読めるしリズム数えられるし音取れるし、そういう音楽の基本動作みたいなものはちゃんと刻み込まれているんですよね。

ピアノを習う中で、ソルフェージュや聴音の指導も受けていたところから推察するに、私がもし音大に行きたいといったら困らないようにしようとは思っていたのだと思います。

でもそのわりに、私のピアノの凡庸な進捗にも、なんのおもしろみもない弾き方にも、不満の意を表明することなく、練習を強制するわけでもなく、私が「やめたい」といったら即やめさせる潔さ。

私は、ピアノ習ってる間、特にピアノが大好きだという様子も得意だという様子もなく、ただみんながやるからやる(?)的な態度だったと思われるのですが、唯々諾々と六年間ほど月謝を払い続けたことになります。

今、たいしてやる気のないお子さんの音楽の月謝を、なんかお金をドブに捨ててるみたいと思いつつも払い続けている親御さんがいたら(←たくさんいるような気もする)、それはものすごく価値の高いプレゼントになるかも、って教えてあげたい気持ちでいっぱいです。

親が子どもにしてあげられることって、まぁそんなことなんじゃないかな、と思うんで、私も、またろうがピアノ未満みたいなピアノをずっと続けている中で、進行についてもやり方についてもノータッチで見守ってきました。

そしたらこの間、またろうがゲーム関連の動画を作るのに、「なんかBGMがほしいな」ということで適当に耳コピし、適当に左手つけて、ピアノで弾いて、録音して、切りつなぎして使っていたのを見て、ここまで来れてよかったな~とうれしく思ったのでした。

どのくらいうれしかったかというと。「おぃほかにやること(英語とか!!)あるじゃろう!!」というのを脇に置いちゃったくらいです。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする