アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ピアノ再開13年目、だんだん豊かになる(中編)

2014年08月22日 | ピアノ
「ハイドンの名によるメヌエット」をどう弾くか、自力で考えたとき、私が思いついたのはストーリーをつけることだった。

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映画音楽から始まって8年間にわたるレッスンの中で、私が「ただ音を並べる」以外の手ごたえを感じたのは、まず
ブルグミュラー18番の中の
大雷雨」「ゴンドラの船頭歌
これははっきりと状景が浮かぶ曲だからわかりやすい。これがクラシックに転ぶきっかけ(^^;;

それから、レッスンのかなり後のほうでやった
モーツァルトピアノソナタK.333 三楽章
のときは、先生がめずらしく詳細にイメージを具体的に詳細に語ってくれて、それがまた私の気持ちにもクリーンヒットしたので楽しく弾けた。王子様が出てくる劇のような感じで、「見栄張って歩いてるところ」「結局、王子様はお姫様助けないで逃げちゃったよね」という具合。

だからイメージをつけたらそのときみたいに「ただ音を並べたのじゃないもの」が弾けるかもと思った。私は「ハイドンの名によるメヌエット」を何度も弾きながら、合うストーリーを考えて、
「不思議な世界に行って帰ってくる」
というふうに決めた。それも、アリスのイメージ。不条理な世界までいっちゃうんだけど、深刻というよりファンタジー、作り話っぽくて、結局最後には馴染みのある世界に戻ってきて、ふっと落ち着くような。

こういうアプローチが音楽として正しいのかどうかわからないんだけど、このとき私は、同じ楽譜を演奏して人により(どこでミスしたかとかではなく表現として)異なる部分が出でくるモトとなるものとして、こういう方針しか思いつかなかったということだ。

ところがこのころから、いろんなピアノサークルに出入りするようになったことが大きな転機となった。ヤマハ教室を辞めたことで、人前で弾く機会がなくなるから代わりにと思って始めたことだったけど、これがほんとに大鉱脈。

様々な技量の大人がそれぞれ自分の思い入れをてんこもり込めて弾くピアノは、子どものピアノとはレベルが違う。レベルというのは、技術のことではなくて、聞くおもしろさ。ヤマハの発表会は、うまいのも下手なのもおしなべて私以外ほとんどみんな「子ども」だったけど。

非の打ち所のない演奏をするようなプロっぽい人も中にはいるけど、たいていの人は、非もたくさんある中に、その人ならではの光る部分があるという状態で弾いている。その「光る」部分は本当に人によっててんでんばらばらで、こんなのもあり、あんなのもあり…

「私はこの曲のココが好きなの!!」。言わないでも伝わってくるそんな強烈な想いだって演奏の個性で、ちゃんと平板でない演奏を作っているもの。

そっかー、なんか納得した。

同じ曲をもっとうまい人が弾いていたら、改めて弾く意味はもうないかっていうとそんなことはまったくない。

だって、人によってぜんぜん違った演奏、ぜんぜん違うおもしろさが出てくるんだから。

そしてそれは、頭の中で作り上げたストーリー(イメージ)がどうこうとか、そんなところから来るもの以外の部分が大きいように思えてきた。

ともかく、なるべく人の知らない曲を弾かなきゃというこだわりもいつしか消えて、超有名曲は人前じゃ弾けないという縛りもだんだん消えてきたのでした。

まだつづく。

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