子どものころの私にとって、「平均律」という言葉は、音大を受けるとおぼしきお姉さん方が抱えてレッスンに通ってくるあの楽譜を指す固有名詞みたいなもので、具体的な意味内容というものはとりたててなかった。
←なかなか「平均律」まで辿りつかないんだけどね
大人になってからは、純正律に対して平均律という言葉があることはわかっていたけれど、だからつまりわざわざそんなタイトルの楽譜を出したバッハさんは平均律のピアノのために曲集を書いたんだろうくらいに思ってて…
さらにその後、元の「Wohltemperirte」というのは「うまく調整された」というくらいの意味であって「平均律」というのは誤訳であるという話を聞き…なにやらややこしいことになってきた…
つまりバッハの想定していた調律は「平均律」ではなかったというのが結論なのかなと思いきや、いろいろ検索してみると「1985年にR.ラッシュの研究によって覆され」なんてのがひっかかり
…しかしどういう研究だったのかわかんなかった…
それでようやく決着がついたのかと思いきや、さらに後があって「1999年にダルムシュタット技術大学の数学者、アンドレアス・シュパルシューが、WTCのタイトル・ページ上部に書かれた螺旋渦巻模様にバッハ調律の秘密が隠されているという説を唱えた」(「やわらかなバッハ」橋本絹代)
これ、バッハが書いた自筆譜のタイトル上部、わりと勢いよく自然な筆致でぐーるぐる、と描かれているんだけど、この「ぐるぐる」の中にそれぞれマルが1個あったり、なかったり、2個あったりするのでそれを暗号解読(^^;; してどうのという解釈で、結論は不当分律ということに。
ほんとかね。。
まだこの先もひっくり返りそうだし、私ごときが考えても詮無いことなので、まぁもし私の目の黒いうちにほんまもんの結論が出たら教えて。結論だけでいいから。みたいな。
それはともかく、バッハが意図していたのが平均律だったにせよそうでないにせよ、シャープやフラット多めの曲まで弾けて、それに作曲のときふだんよく使う調で作っておいてふだん使わないような調に転調して全調セット揃えたという話もあるようなので、不均等にしてもわりと平均律に近い音律を考えていたということでよろしいのではないでしょうか。
それで次なる問題は、バッハさんが調ごとに異なるキャラクターがあると思っていたのかどうか…
全調コンプリートして曲集を練り上げるくらいだから、調ごとのキャラクターを網羅したカタログ的なものを作ろうとしていたなんてことがあっても不思議はないかと思ったんだけど、上述の「やわらかなバッハ」をナナメ読みした感じでは特にバッハさんそのような意図はなかったみたいで、同じ調でもぜんぜん違うキャラの曲もあるし、
いろんな「調性格論者」の作ったキャラクターリストとつきあわせてもそんなに一致してないようで、結論。あんまりよくわかんない。
曲の途中で転調することは、シャープ増える側に行くのか、フラット増える側に行くのか、曲調に大いに影響ありますし演奏上重要なことは間違いないんですが…
曲の始まりが何調であるかということはそんなに気にしなくてもいいものですかね?
---
もし、あなたが「等分平均律」のピアノでWTCを弾いているならば、調性格の多様性は完全に消えていることを認識してかからなければならないだろう。実際に調整格の違いがあるかのように調性格を右顧左眄するのは、さながら裸の王様と同じではあるまいか。(中略)"裸の王様"たちは、調をピッチと混同しているに違いない。
--- (「やわらかなバッハ」橋本絹代)
うーん、まぁそういわれてみればそう…もちろん…でもよく大人初心者向けにある楽譜のように「ハ長調で弾く~」とかはやっぱりちょっとヤな気持ちがするんだけど…それって「裸の王様」なのかな??
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←なかなか「平均律」まで辿りつかないんだけどね
大人になってからは、純正律に対して平均律という言葉があることはわかっていたけれど、だからつまりわざわざそんなタイトルの楽譜を出したバッハさんは平均律のピアノのために曲集を書いたんだろうくらいに思ってて…
さらにその後、元の「Wohltemperirte」というのは「うまく調整された」というくらいの意味であって「平均律」というのは誤訳であるという話を聞き…なにやらややこしいことになってきた…
つまりバッハの想定していた調律は「平均律」ではなかったというのが結論なのかなと思いきや、いろいろ検索してみると「1985年にR.ラッシュの研究によって覆され」なんてのがひっかかり
…しかしどういう研究だったのかわかんなかった…
それでようやく決着がついたのかと思いきや、さらに後があって「1999年にダルムシュタット技術大学の数学者、アンドレアス・シュパルシューが、WTCのタイトル・ページ上部に書かれた螺旋渦巻模様にバッハ調律の秘密が隠されているという説を唱えた」(「やわらかなバッハ」橋本絹代)
これ、バッハが書いた自筆譜のタイトル上部、わりと勢いよく自然な筆致でぐーるぐる、と描かれているんだけど、この「ぐるぐる」の中にそれぞれマルが1個あったり、なかったり、2個あったりするのでそれを暗号解読(^^;; してどうのという解釈で、結論は不当分律ということに。
ほんとかね。。
まだこの先もひっくり返りそうだし、私ごときが考えても詮無いことなので、まぁもし私の目の黒いうちにほんまもんの結論が出たら教えて。結論だけでいいから。みたいな。
それはともかく、バッハが意図していたのが平均律だったにせよそうでないにせよ、シャープやフラット多めの曲まで弾けて、それに作曲のときふだんよく使う調で作っておいてふだん使わないような調に転調して全調セット揃えたという話もあるようなので、不均等にしてもわりと平均律に近い音律を考えていたということでよろしいのではないでしょうか。
それで次なる問題は、バッハさんが調ごとに異なるキャラクターがあると思っていたのかどうか…
全調コンプリートして曲集を練り上げるくらいだから、調ごとのキャラクターを網羅したカタログ的なものを作ろうとしていたなんてことがあっても不思議はないかと思ったんだけど、上述の「やわらかなバッハ」をナナメ読みした感じでは特にバッハさんそのような意図はなかったみたいで、同じ調でもぜんぜん違うキャラの曲もあるし、
いろんな「調性格論者」の作ったキャラクターリストとつきあわせてもそんなに一致してないようで、結論。あんまりよくわかんない。
曲の途中で転調することは、シャープ増える側に行くのか、フラット増える側に行くのか、曲調に大いに影響ありますし演奏上重要なことは間違いないんですが…
曲の始まりが何調であるかということはそんなに気にしなくてもいいものですかね?
---
もし、あなたが「等分平均律」のピアノでWTCを弾いているならば、調性格の多様性は完全に消えていることを認識してかからなければならないだろう。実際に調整格の違いがあるかのように調性格を右顧左眄するのは、さながら裸の王様と同じではあるまいか。(中略)"裸の王様"たちは、調をピッチと混同しているに違いない。
--- (「やわらかなバッハ」橋本絹代)
うーん、まぁそういわれてみればそう…もちろん…でもよく大人初心者向けにある楽譜のように「ハ長調で弾く~」とかはやっぱりちょっとヤな気持ちがするんだけど…それって「裸の王様」なのかな??
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(今回もイラストはまたろう)