ずいぶん前のことになりますが、ゆかりちゃん(芸大を卒業してこの秋からは留学)が中学生だったときに、桐朋子どものための音楽教室の発表会を見に行きました。
←確かにシンフォニアかっこいいし、一生弾いてみないのはそりゃ残念だよね
そこでは、中学生までの子たちが出てきてそれはそれは聞きごたえのある演奏をするのですが、その演奏のインパクトもさることながら、開演前にその教室の偉いヒト(?)がしていた挨拶の内容が衝撃的でした。
「教室に入るための面談にいらした親御さんは、よく
『この子に向いていれば(才能があれば)やらせたい』とか
『この子がやりたいといえばやらせたい』とかおっしゃいますが、
才能があるかどうか、あるいは本人の意思があるかどうかを確かめていたのでは遅いです」
ふぁっ(o_o)
「音楽の道というものは、本人の才能や意思がわからないうちに、親御さんが決めてその環境をプレゼントしてあげるものなのです」
いやそんな乱暴な…
そんなこというから数々の悲劇を生んでるんじゃないですかーー
とは思ったのですが、まぁ確かに、ピアノやバイオリンのプロ奏者としてやっていくなら三歳とかから始めないと現実問題無理なわけで、間違ってはいないよね。もちろん、三歳からやればプロになれるわけじゃないのは当然だけど。
で、それだけ早くから徹底した訓練をほどこすことで何が変わるのかといったら、言うまでもなく大人からピアノの人と違って「お指」がてきぱき動くということも大きな違いですが、そのほかに
・絶対音感
・多声音楽の捉え方
が重要なポイントのようです。絶対音感はなきゃいけないってものではない(あれば便利?)からおいとくとして、「多声」これはピアニストとしては譲れない線。バッハはもちろんですが、ショパンとかほかの作曲家だって、多声感覚がなくては弾きこなせない部分がたくさん出てきますからね。
前に、どこの音大を出てるからってのがピアニストの品質保証にはならないという話を書いたと思うのですが、その中で、あえていうなら桐朋系の人はバッハがうまい(下手な人が少ない)ということは思います。国立系のほうがバッハ下手な人います。早期教育の徹底ぶりという点でいえば文化がかなり違うのがそこには効いてるのではないでしょうか。(ピアニストとしてどっちが優れているとかは別)
脳みそがやわらかいうちに、一人分の脳で複数の声部をコントロールする徹底訓練をするわけです。要するに脳みその中にそういう分業部門を創設しちゃうんです。乱暴です。なんか別の部門が虐げられているかもしれない。
じゃあ、50近くなってようやくバッハのインベンションから手をつけてる人(私のような)は、100歳まで弾いてても(笑)シンフォニアやら平均律やらに進みようがないのかというと、わりと実際その道のりは困難。シンフォニアを弾く「大人からピアノ」の方も多いですが、弾いたときに、タテ線(同時に鳴らす音は何か)はきちんと合っているのになんかバッハに聞こえない(横の声部がつながっていない、もしくはそれぞれの声部を分離できていない)ということは起こりがちです。
おゆき先生がいうには、本当の意味でやるなら…つまり声部ごとに奏者がいてそれ全体で統合されて演奏されるようなシンフォニアを弾くってのはたぶんできないのではないかと。
あえて弾くなら、ちゃんと多声としてとらえているかのような状態をいわばシミュレートするというか、強弱や音色やフレージングを工夫してそのように聞かせる。
なんかめんどくさそうではある(よくわかってない)けど、いつか弾いてみたいかなシンフォニアも。けどあんまり深入りしないで(ひとつかふたつやってみて、へーこんなふうに難しいのね、ってことがわかればよしとして)、バッハの中でもあんまり多声音楽的でないものを弾くのがコスパいいかなぁとも思います。
イタリア協奏曲、フランス組曲、あるいはパルティータの一部。きれいなのいっぱいあるものね。100歳までにはあと50年もあるし(^^;;
結局何がいいたいかというと、早期教育には早期教育のわけというか意義はあるらしい。けど別にそれがなくても一生分楽しむのに困らないだけの曲はある(ありすぎる)。
(それと早期教育で多声用の脳みそ作るまでいかない人でも十分、音大行ってると思う。「ピアノ男のソナチネソナタ」のたーちゃんさんへ)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←確かにシンフォニアかっこいいし、一生弾いてみないのはそりゃ残念だよね
そこでは、中学生までの子たちが出てきてそれはそれは聞きごたえのある演奏をするのですが、その演奏のインパクトもさることながら、開演前にその教室の偉いヒト(?)がしていた挨拶の内容が衝撃的でした。
「教室に入るための面談にいらした親御さんは、よく
『この子に向いていれば(才能があれば)やらせたい』とか
『この子がやりたいといえばやらせたい』とかおっしゃいますが、
才能があるかどうか、あるいは本人の意思があるかどうかを確かめていたのでは遅いです」
ふぁっ(o_o)
「音楽の道というものは、本人の才能や意思がわからないうちに、親御さんが決めてその環境をプレゼントしてあげるものなのです」
いやそんな乱暴な…
そんなこというから数々の悲劇を生んでるんじゃないですかーー
とは思ったのですが、まぁ確かに、ピアノやバイオリンのプロ奏者としてやっていくなら三歳とかから始めないと現実問題無理なわけで、間違ってはいないよね。もちろん、三歳からやればプロになれるわけじゃないのは当然だけど。
で、それだけ早くから徹底した訓練をほどこすことで何が変わるのかといったら、言うまでもなく大人からピアノの人と違って「お指」がてきぱき動くということも大きな違いですが、そのほかに
・絶対音感
・多声音楽の捉え方
が重要なポイントのようです。絶対音感はなきゃいけないってものではない(あれば便利?)からおいとくとして、「多声」これはピアニストとしては譲れない線。バッハはもちろんですが、ショパンとかほかの作曲家だって、多声感覚がなくては弾きこなせない部分がたくさん出てきますからね。
前に、どこの音大を出てるからってのがピアニストの品質保証にはならないという話を書いたと思うのですが、その中で、あえていうなら桐朋系の人はバッハがうまい(下手な人が少ない)ということは思います。国立系のほうがバッハ下手な人います。早期教育の徹底ぶりという点でいえば文化がかなり違うのがそこには効いてるのではないでしょうか。(ピアニストとしてどっちが優れているとかは別)
脳みそがやわらかいうちに、一人分の脳で複数の声部をコントロールする徹底訓練をするわけです。要するに脳みその中にそういう分業部門を創設しちゃうんです。乱暴です。なんか別の部門が虐げられているかもしれない。
じゃあ、50近くなってようやくバッハのインベンションから手をつけてる人(私のような)は、100歳まで弾いてても(笑)シンフォニアやら平均律やらに進みようがないのかというと、わりと実際その道のりは困難。シンフォニアを弾く「大人からピアノ」の方も多いですが、弾いたときに、タテ線(同時に鳴らす音は何か)はきちんと合っているのになんかバッハに聞こえない(横の声部がつながっていない、もしくはそれぞれの声部を分離できていない)ということは起こりがちです。
おゆき先生がいうには、本当の意味でやるなら…つまり声部ごとに奏者がいてそれ全体で統合されて演奏されるようなシンフォニアを弾くってのはたぶんできないのではないかと。
あえて弾くなら、ちゃんと多声としてとらえているかのような状態をいわばシミュレートするというか、強弱や音色やフレージングを工夫してそのように聞かせる。
なんかめんどくさそうではある(よくわかってない)けど、いつか弾いてみたいかなシンフォニアも。けどあんまり深入りしないで(ひとつかふたつやってみて、へーこんなふうに難しいのね、ってことがわかればよしとして)、バッハの中でもあんまり多声音楽的でないものを弾くのがコスパいいかなぁとも思います。
イタリア協奏曲、フランス組曲、あるいはパルティータの一部。きれいなのいっぱいあるものね。100歳までにはあと50年もあるし(^^;;
結局何がいいたいかというと、早期教育には早期教育のわけというか意義はあるらしい。けど別にそれがなくても一生分楽しむのに困らないだけの曲はある(ありすぎる)。
(それと早期教育で多声用の脳みそ作るまでいかない人でも十分、音大行ってると思う。「ピアノ男のソナチネソナタ」のたーちゃんさんへ)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)