今年の「音楽の星座」では原点回帰というか、おゆき先生体験レッスンのときに持っていった曲を引っ張り出して弾くという話を書きましたが、
←昔は何の疑問もなくみんな全音版使ってたのよ
練習はまだしてないけどヤル気だけは見せてコピー譜の製本はしたよ、ほら♪
前回弾いたときは全音版の楽譜を使っていましたが、今回は原典版(新モーツァルト全集)に乗り換えました。もしも内藤先生のところに持っていっても「そんな楽譜捨てちゃいなさい」といわれないようにね…というのはともかく(^^;; 指使いとか検討しなおして書き込んだりするのにかえって何にも書いてないほうが便利かなと。
元の楽譜と比べるとけっこう景色が違います。指使いだけではなくて強弱に関する記号もいろいろ原典版にはないし、
それに、弧線(スラー)がね…
ま、でもこの曲はまだ差が地味かな。
わかりやすい曲でいうと、前に弾いたKV330の一楽章:
これ、全音の楽譜では1小節目の2音目から、2小節目の最後までがひとつの弧線がカバーされているんです。
全音版(解釈版)に、原典版にはなかったいろいろな記号が追加されているというのはわかるんです。指使いだって、モーツァルトは何も書いてくれていないけれど、学習者の便宜のために「よさげ」なものをふっておく、というね。でも、元々ある弧線を外して、違う弧線をかけているのは、いったいなぜでしょうか?
別に、出鱈目を広めたいとか、学習者を混乱させたいとかそんな意図はあるはずもなく、これもたぶん何かの親心。どこのどなたかは存じませんが(全音版には、何をもとにどう編纂したとかそういう記述がない)、誰か音楽の専門家が一生懸命考えて、よいと思う楽譜にして出版されたんだろうけど…
というのが長年、漠然と疑問だったのですが、
「shig式譜読みメソッドテキスト(草稿)」
を読んで「あぁ」と納得。
弧線には、アーティキュレーションを示すものとフレーズを示すものがある。
(その他、「タイ」を示すこともあるけどとりあえず置いておく)
ということです。フレーズはわかりますよね、ひと息で歌う部分というか。
アーティキュレーションというのは何かというと、フレーズの形をもう少し詳しく決定するもので、リズムや強弱、あるいは活舌(?)みたいな部分というか、たとえば「I love you」「Ich liebe dich」「Je taime」ってみんな、リズムとか強弱とかつながりとか、そういうのを総合した「形」が全然違いますよね。アタックがあって音の保持があって…という。
で、shig式譜読みメソッドによれば、大雑把にいって19世紀以降の作品であればフレーズを弧線で示しているけど、弧線はフレーズを示すものではなくて多義的である。18世紀以前の弧線は原則的にフレーズではなくアーティキュレーションを表す。
つまり、モーツァルトの原典版なるものに書かれているのはだいたいアーティキュレーションを示す弧線で、上記楽譜でいえば、1小節目の「ミレドシ」とか、これはバイオリンなら「ひと弓」で、あるいはピアノなら「レガート」で弾かれることを示しているんですね。また、弧線の頭はしっかり、末尾は消え入るように弾くということ。
そして、「ミレドシ」と、次の(2小節目の頭の)「ド」は別物である。細かい隙間があるかもしれない。まぁ、隙間は空けなくてもいいのかもしれないけど、とにかく一体になってなだれ込んでよいものではない。
ということは、全音版の楽譜のほうは、19世紀以降的な考え方に基づき、フレーズをわかりやすくするように弧線が引き直されていると思えばよいですね。しかしその分、元々あったはずのアーティキュレーションの情報が落ちちゃってるわけで、いいのかそれで?? という疑問も当然あるかとは思いますが、ともかくフレーズのまとまりがわからないで演奏するよりかはずっといいだろうって親切心で。
そう思ってさらに楽譜を見比べていくと、原典版にはない「fp」などの記号がついている箇所が、「shig式譜読みメソッドテキスト(草稿)」にあるいくつかの原則を当てはめていったときに、強調が読み取れるはずであるような部分には、親切にも「fp」などが書かれているということが見て取れます。
別に、出鱈目に改竄してるわけじゃないんですよ!!
むしろ、「shig式譜読みメソッドテキスト(草稿)」にあるような暗黙ルールを知らない人の場合、原典版だけを見て弾くよりは、全音版を見て弾いたほうが「音楽的っぽい」演奏になるかもしれず、まぁしかし全音版なり他の解釈版なりに取り込まれた「考え」がすべて正しいとも限らないし(実際、今から考えると間違っていることもけっこうあるっぽいし)、学問的態度としてはなるべくモトに当たるのが大原則。というか、誰が何を底本にしてどう考えて作った解釈版なのかを書いてない全音版(むかーし買ったやつ)は学問的云々からいえば「失格」ということになるだろうけれども。
しかし参照用に置いておくのは悪くないと思う…なにか疑問に思ったときにいつでも横にshigさんとかいるわけじゃないからね。あー、一家に一台shigさん…便利そう(何)
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練習はまだしてないけどヤル気だけは見せてコピー譜の製本はしたよ、ほら♪
前回弾いたときは全音版の楽譜を使っていましたが、今回は原典版(新モーツァルト全集)に乗り換えました。もしも内藤先生のところに持っていっても「そんな楽譜捨てちゃいなさい」といわれないようにね…というのはともかく(^^;; 指使いとか検討しなおして書き込んだりするのにかえって何にも書いてないほうが便利かなと。
元の楽譜と比べるとけっこう景色が違います。指使いだけではなくて強弱に関する記号もいろいろ原典版にはないし、
それに、弧線(スラー)がね…
ま、でもこの曲はまだ差が地味かな。
わかりやすい曲でいうと、前に弾いたKV330の一楽章:
これ、全音の楽譜では1小節目の2音目から、2小節目の最後までがひとつの弧線がカバーされているんです。
全音版(解釈版)に、原典版にはなかったいろいろな記号が追加されているというのはわかるんです。指使いだって、モーツァルトは何も書いてくれていないけれど、学習者の便宜のために「よさげ」なものをふっておく、というね。でも、元々ある弧線を外して、違う弧線をかけているのは、いったいなぜでしょうか?
別に、出鱈目を広めたいとか、学習者を混乱させたいとかそんな意図はあるはずもなく、これもたぶん何かの親心。どこのどなたかは存じませんが(全音版には、何をもとにどう編纂したとかそういう記述がない)、誰か音楽の専門家が一生懸命考えて、よいと思う楽譜にして出版されたんだろうけど…
というのが長年、漠然と疑問だったのですが、
「shig式譜読みメソッドテキスト(草稿)」
を読んで「あぁ」と納得。
弧線には、アーティキュレーションを示すものとフレーズを示すものがある。
(その他、「タイ」を示すこともあるけどとりあえず置いておく)
ということです。フレーズはわかりますよね、ひと息で歌う部分というか。
アーティキュレーションというのは何かというと、フレーズの形をもう少し詳しく決定するもので、リズムや強弱、あるいは活舌(?)みたいな部分というか、たとえば「I love you」「Ich liebe dich」「Je taime」ってみんな、リズムとか強弱とかつながりとか、そういうのを総合した「形」が全然違いますよね。アタックがあって音の保持があって…という。
で、shig式譜読みメソッドによれば、大雑把にいって19世紀以降の作品であればフレーズを弧線で示しているけど、弧線はフレーズを示すものではなくて多義的である。18世紀以前の弧線は原則的にフレーズではなくアーティキュレーションを表す。
つまり、モーツァルトの原典版なるものに書かれているのはだいたいアーティキュレーションを示す弧線で、上記楽譜でいえば、1小節目の「ミレドシ」とか、これはバイオリンなら「ひと弓」で、あるいはピアノなら「レガート」で弾かれることを示しているんですね。また、弧線の頭はしっかり、末尾は消え入るように弾くということ。
そして、「ミレドシ」と、次の(2小節目の頭の)「ド」は別物である。細かい隙間があるかもしれない。まぁ、隙間は空けなくてもいいのかもしれないけど、とにかく一体になってなだれ込んでよいものではない。
ということは、全音版の楽譜のほうは、19世紀以降的な考え方に基づき、フレーズをわかりやすくするように弧線が引き直されていると思えばよいですね。しかしその分、元々あったはずのアーティキュレーションの情報が落ちちゃってるわけで、いいのかそれで?? という疑問も当然あるかとは思いますが、ともかくフレーズのまとまりがわからないで演奏するよりかはずっといいだろうって親切心で。
そう思ってさらに楽譜を見比べていくと、原典版にはない「fp」などの記号がついている箇所が、「shig式譜読みメソッドテキスト(草稿)」にあるいくつかの原則を当てはめていったときに、強調が読み取れるはずであるような部分には、親切にも「fp」などが書かれているということが見て取れます。
別に、出鱈目に改竄してるわけじゃないんですよ!!
むしろ、「shig式譜読みメソッドテキスト(草稿)」にあるような暗黙ルールを知らない人の場合、原典版だけを見て弾くよりは、全音版を見て弾いたほうが「音楽的っぽい」演奏になるかもしれず、まぁしかし全音版なり他の解釈版なりに取り込まれた「考え」がすべて正しいとも限らないし(実際、今から考えると間違っていることもけっこうあるっぽいし)、学問的態度としてはなるべくモトに当たるのが大原則。というか、誰が何を底本にしてどう考えて作った解釈版なのかを書いてない全音版(むかーし買ったやつ)は学問的云々からいえば「失格」ということになるだろうけれども。
しかし参照用に置いておくのは悪くないと思う…なにか疑問に思ったときにいつでも横にshigさんとかいるわけじゃないからね。あー、一家に一台shigさん…便利そう(何)
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