アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

二つの手話(デフ・ヴォイス)

2018年09月05日 | 生活
今、私がこの年から、目が見えなくなることと耳が聞こえなくなることを比べたら、目のほうが圧倒的に不便であることは確かだ。

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耳が聞こえなくなった場合、もちろん趣味の主要な部分(音楽)が失われることはものすごく痛いことだけど、日常生活、家事をしたり外出したりということはさして支障なく、他人の手を借りなくてもできるし、ひょっとすると仕事もかなりの部分までできるかも。なにしろ、現状でもPCに向かってかちゃかちゃやってる時間が大半で、コミュニケーションのほとんどがメールなど文字に頼っているんだからね。

そう、今から点字を覚えるんだって手話を覚えるんだって難しいというかたぶんできないけど、まぁ耳が聞こえなくても最悪、筆談すれば通じるわけで(今ならペンとメモ帳ではなくてスマホか?)

しかしそれはつまり、「中途から」であればということ。現在の自分にとって、日本語という母語がある(聞く・話すであれ、読む・書くであれ)ということは所与のものになってしまっているけど、実はそれって当たり前のことではないんだ、と…

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」という本を読んで改めて衝撃を受けました。

昔、中学生のころだったか、手話入門のようなパンフレットをもらったことがあって、それによれば手話というのは
・「あ」「い」「う」「え」「お」のような、いわゆる50音に対応する指文字
・単語に相当する形(動作)
の両方があって、単語が存在すればそのサインを用いて示すし、なければ(人名など)一文字ずつ示すものらしかった。

要するに、私が使っている音声日本語というもの、それと対応してただ音声でなく「手」で示すものであるというだけなのかと思ったんだけれども…

確かにそういう(音声日本語に対応した)手話というものもあって、ただ私がわかっていなかったことに、対応したといっても助詞のような部分にはいちいち対応しているわけではないので、この手話を操る人が、文字「だけ」学べば「(音声)日本語」の読み/書きを完全にできるとも言えない。

そしてもうひとつ。それとはまったく別に自然発生的(つまり自然言語としての)手話というものがあって、これは「(音声)日本語」とは違う独自の文法を持ったもの。こっちが元々の(?)手話であって、これはいわゆる「日本『語』」に対して「日本『手話』」と呼ばれる。

あらゆる(自然言語としての)外国語がそうであるように、日本手話もやはりそれがひとつの「文化」を形成しているもの。

ただ、文化であるということはつまり、継承されなければ身につけられないので、親からとか、学校でとか、とにかくどこかで学ばなければいけないのだけれど、親は耳の聞こえる人かもしれないし、学校では…必ず「日本手話」をまず母語として学ぶというようなものではなく、むしろ唇の動きを読み取るとか、音声日本語を発声する練習をするとか、そちらが中心という歴史があるそうで、そして大人になって耳が聞こえなくなった場合は当然のことながら、日本手話より日本語対応手話のほうが学びやすい。

ということになると、耳の聞こえない人といっても、
日本手話しか使えない人
日本語対応手話しか使えない人
どちらもあやふやな人(o_o)

などが混在することになり、実にややこしい。どちらもあやふや、ってそりゃ困るでしょうと思うし実際困るのだが、日本語と英語の狭間に落ち込むとバイリンガルじゃなくてセミリンガルになることがあるように、二つの文化の狭間に落ち込むと、母語が(半端にしか)ない状態というのはありうる。

上記の本の中では、法廷で手話通訳者がすべての手を尽くしても(日本手話でも日本語対応手話でも筆談でも読唇でも)「黙秘権」という概念を理解してもらうことができず、裁判が中断したというシーンがありました。なに語でもいいからとにかく言葉というものがネイティブ言語としてその人の中で確立していなければ通訳のしようもないというわけです。

その手話通訳者というのが主人公なんだけど、彼は両親と兄が先天的に耳の聞こえない人で、家族でただひとり耳の聞こえる人として育ったのです。そのため、音声日本語と、日本手話と、それから日本語対応手話もすべて流暢に扱えるようになった完璧バイリンガルなのですけど、それゆえに深い悩みもあり(なにしろ家族の中で自分だけ文化圏が違うようなものですから)、手話通訳としては高いスキルがありながらそれを仕事にしようとはしていなかった。避けていたのですが、しかしやむを得ない事情からだんだんそれを仕事として引き受けるようになり、殺人がらみの事件を追いかけていくはめにもなるんですけど。

ま、小説としては文句なくおもしろく、最初から最後まで息もつかせぬ展開です。読んで損はありません、お奨めです。そして読み終わると…

そうだ、全盲の人なら身近にけっこういるけれど(会社の社員にもいるし、大学にもいてピアノの伴奏をしてもらったこともあった)、耳の聞こえない人ってあまり知り合いにいなかった!! ということに気付きました。つまり文化圏(使用言語)が違う(一方、全盲の人の使用言語は日本語)ということだったのですね。言語が違うということはいろいろやっかいなことであって…英語と日本語の翻訳ならそのうちAIがなんとしてくれるだろうけど手話は遠いかなぁ。というようなことをぐちゃぐちゃと考えてしまうのでした。


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コメント (2)
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