昨日書いた「大人×ピアノ=楽しい!」で、「義務感とかないほうが続きやすいと思ってる」についてちょっと補足です。
←私がピアノ弾かなくても誰も怒らないし困らない。だから弾きたいの。
たとえばですが、
選択の余地なくやらなきゃいけないとされている「宿題」よりも、
「受験勉強」のほうが、
実際やることは形のうえで似ていても(問題解くとか、何か覚えるとか)、断然ヤル気もするし効果も上がるし続くし楽しいじゃないですか。
だいたいが、やれと言われればやりたくないうえに、自分に合ってるとも限らないものを押し付けられればつまらないに決まってますし、嫌々やったら苦痛なうえにせっかく時間を使ってもさっぱり効果が上がりません。
「受験勉強」ならば、そもそもやるのかどうか、やるとしてもどれだけやるかは自分次第、中身ややり方も自分で工夫して決められるんです。ヤル気もするし楽しいければそのほうが身につきますし、そうしたら受験に役立つだけじゃなくて人生のあちこちで効くでしょ。
ただ、そういう比較(義務感ないほうが効果的)が成り立つのはある程度以上「大人」であるからで、その受験が大学受験ならいいんだけど、中学受験とか(子供)、勉強の仕方が組み立てられないとか、そもそも勉強すると何がいいのかわからないという場合には「義務感なし即OK」とはならない。環境とか、勉強の仕方とか、リズムとか、親や先生がある程度考えて、誘ったり時には脅したり(笑)しながら「乗せて」いって、そのうち「こうするとわかる、できる、楽しい」というのがようやく本人にもわかってくる。
これでいえば子どものピアノ(昭和)なんて中学受験みたいなもんで、先生が決めたカリキュラムで習っていって宿題してレッスン受けて…というのが妥当なわけですね。
私も、最初はバイエルから始まって、ブルグミュラー25番やって、そこまでは特に疑問とか不満とかなく、かといって確固たる意志とかもなく、唯々諾々とやってました。それはそれで、非常に価値あることだったと思うのです(のちの幸せにこんなに役立っているんですから!!)
でもブルグ済んだら今度はツェルニー30番で、なんかアレッて思うじゃないですか。「貴婦人の乗馬」とかとキャラ違いすぎでしょう…ハイ次はメトロノームいくつまで上げてきてね、って…だから何??
もうちょっといい教材ってなかったんでしょうか…
おゆき先生にもちょっと聞いてみたんだけど、ブルグミュラー25番からつながるいい教材ってなかなかなかったものだそうです。今ならいろんな楽譜出てて選択肢あるだろうけども。当時そんなに豊富に売ってなかったし。
ブルグミュラー25番とブルグミュラー18番ってあまりつながってない感じですよね。コドモにいきなり18番はハードル高い。
チャイコフスキーの子供のためのアルバム、とかどうでしょうか。それとソナチネアルバムを組み合わせるとかであれば当時でも楽譜は入手しやすかったと思います。
ともかくブルグからツェルニーの接続が悪くて(うまく「乗せられる」ことができなくて)私はピアノやめちゃったんですけど。
なんかもうちょっとうまいカリキュラムが組まれていたらもうしばらくピアノを続けていたかもしれません。
まぁ、とはいっても…有り余る情報や音源を頼りにいくらでも曲が選べて、練習の仕方も自分の意志で組み立てられる、大人のピアノの楽しみに比べたら、子どものピアノが何年生まで続いていたかなんてたいした問題ではありません。今が幸せならそれでいい。私のピアノ人生はまだ折り返し地点にも達していない(←主観的な表現です)
---- 今日のブルグミュラー: 6. 進歩
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たとえばですが、
選択の余地なくやらなきゃいけないとされている「宿題」よりも、
「受験勉強」のほうが、
実際やることは形のうえで似ていても(問題解くとか、何か覚えるとか)、断然ヤル気もするし効果も上がるし続くし楽しいじゃないですか。
だいたいが、やれと言われればやりたくないうえに、自分に合ってるとも限らないものを押し付けられればつまらないに決まってますし、嫌々やったら苦痛なうえにせっかく時間を使ってもさっぱり効果が上がりません。
「受験勉強」ならば、そもそもやるのかどうか、やるとしてもどれだけやるかは自分次第、中身ややり方も自分で工夫して決められるんです。ヤル気もするし楽しいければそのほうが身につきますし、そうしたら受験に役立つだけじゃなくて人生のあちこちで効くでしょ。
ただ、そういう比較(義務感ないほうが効果的)が成り立つのはある程度以上「大人」であるからで、その受験が大学受験ならいいんだけど、中学受験とか(子供)、勉強の仕方が組み立てられないとか、そもそも勉強すると何がいいのかわからないという場合には「義務感なし即OK」とはならない。環境とか、勉強の仕方とか、リズムとか、親や先生がある程度考えて、誘ったり時には脅したり(笑)しながら「乗せて」いって、そのうち「こうするとわかる、できる、楽しい」というのがようやく本人にもわかってくる。
これでいえば子どものピアノ(昭和)なんて中学受験みたいなもんで、先生が決めたカリキュラムで習っていって宿題してレッスン受けて…というのが妥当なわけですね。
私も、最初はバイエルから始まって、ブルグミュラー25番やって、そこまでは特に疑問とか不満とかなく、かといって確固たる意志とかもなく、唯々諾々とやってました。それはそれで、非常に価値あることだったと思うのです(のちの幸せにこんなに役立っているんですから!!)
でもブルグ済んだら今度はツェルニー30番で、なんかアレッて思うじゃないですか。「貴婦人の乗馬」とかとキャラ違いすぎでしょう…ハイ次はメトロノームいくつまで上げてきてね、って…だから何??
もうちょっといい教材ってなかったんでしょうか…
おゆき先生にもちょっと聞いてみたんだけど、ブルグミュラー25番からつながるいい教材ってなかなかなかったものだそうです。今ならいろんな楽譜出てて選択肢あるだろうけども。当時そんなに豊富に売ってなかったし。
ブルグミュラー25番とブルグミュラー18番ってあまりつながってない感じですよね。コドモにいきなり18番はハードル高い。
チャイコフスキーの子供のためのアルバム、とかどうでしょうか。それとソナチネアルバムを組み合わせるとかであれば当時でも楽譜は入手しやすかったと思います。
ともかくブルグからツェルニーの接続が悪くて(うまく「乗せられる」ことができなくて)私はピアノやめちゃったんですけど。
なんかもうちょっとうまいカリキュラムが組まれていたらもうしばらくピアノを続けていたかもしれません。
まぁ、とはいっても…有り余る情報や音源を頼りにいくらでも曲が選べて、練習の仕方も自分の意志で組み立てられる、大人のピアノの楽しみに比べたら、子どものピアノが何年生まで続いていたかなんてたいした問題ではありません。今が幸せならそれでいい。私のピアノ人生はまだ折り返し地点にも達していない(←主観的な表現です)
---- 今日のブルグミュラー: 6. 進歩
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