考えてみれば、ショパコンなんてひとりの作曲家が書いた曲だけでコンクールが成り立っている、しかも世界でも最も権威あるコンクールのひとつとして知られているのってすごいですよね。
←どこまでアリ!? とかは専門家でも意見分かれるってことなんだろうなと
ほかにそんなのないよね? たとえばラフマニノフだけのコンクール…うぅむ
でも、今回聞いていて、エチュードやら、ワルツやマズルカのような舞曲やら、ノクターンのような歌う曲やら、スケルツォやバラードのような大曲、ソナタ、コンチェルトに至るまで確かに多様な「ジャンル(?)」にわたって課題がちゃんとあって、ピアニストの資質のいろんな面を見るようにできているし、別にショパン専門でなく一流のピアニストの「登竜門」にちゃんとなっているのだなぁと思いました。
もっとも、そこへ既に一流のピアニストとおぼしき人々が何人もやってくると、はて? さて?? いやほんと採点する側はたいへんでしょうね。
こちらは気軽に聞く側なので(^^) ほんと今回思ったのは、ショパコンの場合、本選なんてマジで同一の曲を何回聞かせるのって感じなのに、これがちゃんと弾く人ごとに違うからおもしろいんですよね。
たとえば角野というより「かてぃん」がYouTubeライブをするような場合は、クラシックといっても即興アレンジして弾いていたり、あるいは子犬のワルツから発想して「大猫のワルツ」などという自作曲を弾いたりしているので、そこに「オリジナリティ」があることは明らかであるし、エンターテインメント性の高さもはっきりしているわけです。
しかしショパコンの場では、当たり前ですがアレンジとかなしに楽譜に忠実に弾くんですから、そこにどうやって自分の個性を出していくのか。
…などという、ずいぶん根本的なところで悩んでいたのですね角野隼人くんは。
ワルシャワでインタビュー!
角野隼斗~音の出し方が変わった!音楽家としての生き方も考えたショパンコンクール
-----------
僕以前、クラシックという再現芸術を21世紀でやるということに、絶望していたんです。なぜかというと、例えばショパンもすでにあらゆる解釈があって、たくさんの名盤が出ているなか、自分が何を創り出せるのかと考えると、それは途方もないことのように思えてしまって。
でも、これを話して共感してもらえることがあまりなかったんです。それで、なんでみんな絶望せずにできているんだろうと思っていました。
-----------
学術論文的発想でいえば、これまでのあらゆる解釈や演奏やそういうものを調べ尽くして消化したうえで自分ならではのものをさらにその先に付け加えるようなイメージでしょうか。そうだとすれば…まぁ確かに途方もない…
------------
それでは自分はどうしようと立ち返って考えたら、個性なんていうものは自然と出るものだから、無理して出す必要はない、自分が一番自然に表現したいものを出したとき、それが結果的にその人らしく聴こえるのではないかと思うようになりました。一周回ってそう考えられるようになったのが、8月くらい。いかに自然な表現をしていくかを、そこからは追求していきました。
だから予備予選の7月は、まだ怖かったんです。自分がどうショパンコンクールに向き合えばいいかがわからなくて。
------------
「無理して出す必要はない、自分が一番自然に表現したいものを出したとき、それが結果的にその人らしく聴こえるのではないか」そりゃそうでしょ、と並の素人なら悩まず思うところですが。
いや~そんなところに突っかかっていたための、あの緊張感ある硬い予備予選だったわけですね。でもそこから、立て直して間に合うの早すぎ(^^;;
一次にはもう、そして二次のときはさらに、とても自然に感じられました。無理がなく、自然なノリに沿って音楽が「今」生まれていて、ちょうどほしいところに音が来る感じ。
小林愛実さんの演奏とか、もっとこってりたっぷりいろいろなものが詰まっていて、動かされる感じ。
反田さんの演奏は、すごくバランスが取れていたんじゃないかな??
誰とはいわないですが、動かされるけど、それが心地よくないと感じられるコンテスタントの演奏もありました。(まぁ好みの問題なのかも)
限られた数の曲を元にして、それだからこそ際立つ「その人らしい」演奏をぎっしり並べるショパコンって、ほんと濃いわ。。っていうかショパンの作品すごい。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記 ←こちらも参加しています
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
←どこまでアリ!? とかは専門家でも意見分かれるってことなんだろうなと
ほかにそんなのないよね? たとえばラフマニノフだけのコンクール…うぅむ
でも、今回聞いていて、エチュードやら、ワルツやマズルカのような舞曲やら、ノクターンのような歌う曲やら、スケルツォやバラードのような大曲、ソナタ、コンチェルトに至るまで確かに多様な「ジャンル(?)」にわたって課題がちゃんとあって、ピアニストの資質のいろんな面を見るようにできているし、別にショパン専門でなく一流のピアニストの「登竜門」にちゃんとなっているのだなぁと思いました。
もっとも、そこへ既に一流のピアニストとおぼしき人々が何人もやってくると、はて? さて?? いやほんと採点する側はたいへんでしょうね。
こちらは気軽に聞く側なので(^^) ほんと今回思ったのは、ショパコンの場合、本選なんてマジで同一の曲を何回聞かせるのって感じなのに、これがちゃんと弾く人ごとに違うからおもしろいんですよね。
たとえば角野というより「かてぃん」がYouTubeライブをするような場合は、クラシックといっても即興アレンジして弾いていたり、あるいは子犬のワルツから発想して「大猫のワルツ」などという自作曲を弾いたりしているので、そこに「オリジナリティ」があることは明らかであるし、エンターテインメント性の高さもはっきりしているわけです。
しかしショパコンの場では、当たり前ですがアレンジとかなしに楽譜に忠実に弾くんですから、そこにどうやって自分の個性を出していくのか。
…などという、ずいぶん根本的なところで悩んでいたのですね角野隼人くんは。
ワルシャワでインタビュー!
角野隼斗~音の出し方が変わった!音楽家としての生き方も考えたショパンコンクール
-----------
僕以前、クラシックという再現芸術を21世紀でやるということに、絶望していたんです。なぜかというと、例えばショパンもすでにあらゆる解釈があって、たくさんの名盤が出ているなか、自分が何を創り出せるのかと考えると、それは途方もないことのように思えてしまって。
でも、これを話して共感してもらえることがあまりなかったんです。それで、なんでみんな絶望せずにできているんだろうと思っていました。
-----------
学術論文的発想でいえば、これまでのあらゆる解釈や演奏やそういうものを調べ尽くして消化したうえで自分ならではのものをさらにその先に付け加えるようなイメージでしょうか。そうだとすれば…まぁ確かに途方もない…
------------
それでは自分はどうしようと立ち返って考えたら、個性なんていうものは自然と出るものだから、無理して出す必要はない、自分が一番自然に表現したいものを出したとき、それが結果的にその人らしく聴こえるのではないかと思うようになりました。一周回ってそう考えられるようになったのが、8月くらい。いかに自然な表現をしていくかを、そこからは追求していきました。
だから予備予選の7月は、まだ怖かったんです。自分がどうショパンコンクールに向き合えばいいかがわからなくて。
------------
「無理して出す必要はない、自分が一番自然に表現したいものを出したとき、それが結果的にその人らしく聴こえるのではないか」そりゃそうでしょ、と並の素人なら悩まず思うところですが。
いや~そんなところに突っかかっていたための、あの緊張感ある硬い予備予選だったわけですね。でもそこから、立て直して間に合うの早すぎ(^^;;
一次にはもう、そして二次のときはさらに、とても自然に感じられました。無理がなく、自然なノリに沿って音楽が「今」生まれていて、ちょうどほしいところに音が来る感じ。
小林愛実さんの演奏とか、もっとこってりたっぷりいろいろなものが詰まっていて、動かされる感じ。
反田さんの演奏は、すごくバランスが取れていたんじゃないかな??
誰とはいわないですが、動かされるけど、それが心地よくないと感じられるコンテスタントの演奏もありました。(まぁ好みの問題なのかも)
限られた数の曲を元にして、それだからこそ際立つ「その人らしい」演奏をぎっしり並べるショパコンって、ほんと濃いわ。。っていうかショパンの作品すごい。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記 ←こちらも参加しています
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社