テレビでたまたま見かけた番組で、今でしょ先生(林修)が芸能人のお悩みをズバ斬りするみたいなのをやってたんだけど(「グサッとアカデミア」)
←趣味の領域なら「やりたい」だけでいいので話はシンプル
(以下、メモしながら聞いてたわけじゃないのでやや不正確ですが、趣旨は曲げてないつもり)
まず「東大卒」というくくりに何の意味があるのかということだけど、ほんとは大学の間に何を勉強したかでべらぼうな差が生まれているはずのところ、だいたい入れれば出られるので(出ない人もいるが)、世間で「東大卒」みたいなことを言うときは要するにあの入試に合格したというだけのことを言っている。
で、どんな入試かというと、わりと問題は難しくて半分かもうちょっと取れば合格できる入試で(だから別にスピード勝負とか注意力勝負とかいうわけではない)、なにしろ長年傾向も変わらないしで、ちゃんと情報収集して対策が取れる人であれば頭そんなよくなくても合格はできる。それなりの「情報処理能力」があればいい。
とはいえ、これはつまり東大にギリギリ合格するにはという話で…
トップ合格、もしくはほとんど受験勉強らしきものをしないですんなりいけちゃう人というのは地頭ものすごかったりするので、そういう人はなんでもできる(というか何かしらできる)。好きなところをトコトン突き詰めちゃってください(そういう人は林先生のところに相談には来ない)。
じゃあそれ以外の、多少すぐれた「情報処理能力」を持ってるだけの人が、それを生かして幸せになるにはどうすればいいか。
ここで、縦軸に「できる←→できない」、横軸に「やりたい←→やりたくない」としたグラフを描き始めた林先生。第一象限が「できる/やりたい」、第二象限が「できる/やりたくない」、第三象限が「できない/やりたくない」、第四象限が「できない/やりたい」となるわけですが、ここに仕事(とかその他の事柄)を当てはめて考えます。
やりたくてできることが見つかるというのは幸せなことですね。これは問題ない。
ところがスタジオにいた東大卒女性で売れない芸人とかアクセサリー作りとかをやってた人がいて、その場合は「できない/やりたい」に近い仕事をやってるということになります。これは、経済的にも苦しいし、認められないという精神面でも厳しい。
もちろん、経済的に恵まれなかろうが、人に認められなかろうが、好きを極めるというのもそれで幸せって人はいるかもしれないが。それだけで長年続けるのはやっぱり難しい。
そこで注目すべきは「できる/やりたくない」だと林先生は言います。林先生自身も、ITで起業しようとかしたとき(できない/やりたい)はぜんぜんうまくいかなくて借金こさえたけど、予備校の先生(できる/やりたくない)やったら、あんまり苦労しないでバンバン成果出る(^^;;
人はたいてい、自分が苦も無くできるようなことを評価しない傾向にあるけど、それは案外ほかの人からすれば苦労のいることだったりする場合もある。相談者のひとりも、TOEIC満点とか語学は得意だったらしいけど、本人的にはそこにあまり価値を感じてなく、あえて生かそうと思わなかったのだけど、ほかの人からすればその域に達するのはたいへんだったりするわけで。
でも、じゃあやりたくない仕事を「できる」からってずっとやってるのはつらくないのか? ということなんだけど、まぁほんとにトコトン嫌じゃダメだろうけど、「特にやりたいわけじゃない」くらいだったら、苦労しないで成果が出て、周囲からも認められて経済的にも十分となれば、それはそれでうれしいし、やりがいになるので案外大丈夫なのだ。「社会貢献」という観点からも、「できない/やりたい」にこだわってるよりずっと大きなものになる。
ほんとにそう! 私は専業主婦になりたいと思っていたけど(←たぶん向いてない)、実は会社員として仕事するってのはものすごく適性があって、そんなに大変じゃなく今まで働けている。どうしてもやりたい仕事ってんじゃないけど、嫌というほどでもなく(通勤はめんどくさいのだが)、自分に向いている仕事をすることで得た余裕(時間的金銭的)を使って、あとは下手の横好きでもピアノやバイオリンや書道やいろいろできるわけなので、これはひとつの幸せのかたち。
そんなこともあるので、若い子たちに対してあんまり「あなたは何がやりたいの?」と追い詰めていくタイプのキャリア教育は好きになれない。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
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(以下、メモしながら聞いてたわけじゃないのでやや不正確ですが、趣旨は曲げてないつもり)
まず「東大卒」というくくりに何の意味があるのかということだけど、ほんとは大学の間に何を勉強したかでべらぼうな差が生まれているはずのところ、だいたい入れれば出られるので(出ない人もいるが)、世間で「東大卒」みたいなことを言うときは要するにあの入試に合格したというだけのことを言っている。
で、どんな入試かというと、わりと問題は難しくて半分かもうちょっと取れば合格できる入試で(だから別にスピード勝負とか注意力勝負とかいうわけではない)、なにしろ長年傾向も変わらないしで、ちゃんと情報収集して対策が取れる人であれば頭そんなよくなくても合格はできる。それなりの「情報処理能力」があればいい。
とはいえ、これはつまり東大にギリギリ合格するにはという話で…
トップ合格、もしくはほとんど受験勉強らしきものをしないですんなりいけちゃう人というのは地頭ものすごかったりするので、そういう人はなんでもできる(というか何かしらできる)。好きなところをトコトン突き詰めちゃってください(そういう人は林先生のところに相談には来ない)。
じゃあそれ以外の、多少すぐれた「情報処理能力」を持ってるだけの人が、それを生かして幸せになるにはどうすればいいか。
ここで、縦軸に「できる←→できない」、横軸に「やりたい←→やりたくない」としたグラフを描き始めた林先生。第一象限が「できる/やりたい」、第二象限が「できる/やりたくない」、第三象限が「できない/やりたくない」、第四象限が「できない/やりたい」となるわけですが、ここに仕事(とかその他の事柄)を当てはめて考えます。
やりたくてできることが見つかるというのは幸せなことですね。これは問題ない。
ところがスタジオにいた東大卒女性で売れない芸人とかアクセサリー作りとかをやってた人がいて、その場合は「できない/やりたい」に近い仕事をやってるということになります。これは、経済的にも苦しいし、認められないという精神面でも厳しい。
もちろん、経済的に恵まれなかろうが、人に認められなかろうが、好きを極めるというのもそれで幸せって人はいるかもしれないが。それだけで長年続けるのはやっぱり難しい。
そこで注目すべきは「できる/やりたくない」だと林先生は言います。林先生自身も、ITで起業しようとかしたとき(できない/やりたい)はぜんぜんうまくいかなくて借金こさえたけど、予備校の先生(できる/やりたくない)やったら、あんまり苦労しないでバンバン成果出る(^^;;
人はたいてい、自分が苦も無くできるようなことを評価しない傾向にあるけど、それは案外ほかの人からすれば苦労のいることだったりする場合もある。相談者のひとりも、TOEIC満点とか語学は得意だったらしいけど、本人的にはそこにあまり価値を感じてなく、あえて生かそうと思わなかったのだけど、ほかの人からすればその域に達するのはたいへんだったりするわけで。
でも、じゃあやりたくない仕事を「できる」からってずっとやってるのはつらくないのか? ということなんだけど、まぁほんとにトコトン嫌じゃダメだろうけど、「特にやりたいわけじゃない」くらいだったら、苦労しないで成果が出て、周囲からも認められて経済的にも十分となれば、それはそれでうれしいし、やりがいになるので案外大丈夫なのだ。「社会貢献」という観点からも、「できない/やりたい」にこだわってるよりずっと大きなものになる。
ほんとにそう! 私は専業主婦になりたいと思っていたけど(←たぶん向いてない)、実は会社員として仕事するってのはものすごく適性があって、そんなに大変じゃなく今まで働けている。どうしてもやりたい仕事ってんじゃないけど、嫌というほどでもなく(通勤はめんどくさいのだが)、自分に向いている仕事をすることで得た余裕(時間的金銭的)を使って、あとは下手の横好きでもピアノやバイオリンや書道やいろいろできるわけなので、これはひとつの幸せのかたち。
そんなこともあるので、若い子たちに対してあんまり「あなたは何がやりたいの?」と追い詰めていくタイプのキャリア教育は好きになれない。
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