ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

里山が鳴っている。

2010-09-29 08:44:53 | 花と自然
ここの所、東京は雨が多い。真夏には夕立も降らなかった私の住む所でも、最近は大雨が降る。

昨日も凄い雨だった。夜、エルゴラの集金に来たお兄さんンと 「凄かったね」 と話し込む。彼は東京のゴール裏に住みついているような容貌をしている。親近感を感じて、集金に来ると、しばらく話し合う。時々は 「頑張ってね」 とチョコレート等をあげたり。

今日は天気になると予報では言っていたが、朝の空は曇り。

しばらくベランダで静かな外を見つめる。

風は吹いていないが、山が揺れている。風が渡っているのだ。山全体が揺れるのでは無く、あっちでモコモコ、こっちでモコモコと、塊で揺れている。

 

 

その木々ごとにユサユサ揺れる様が、何とも癒される。

そして、風のざわめき。
ヒューヒュー、ザワザワ、ササササーー、ゴーー・・…。

時々、下に風が降りて来て、サヤサヤサヤと街路樹のケヤキの葉を揺らして行く。

 

そして、私の顔を優しくなでて、ベランダのささやかな草花に声をかけて行く。



林や森や山の木々を揺らしながら渡る風の声を聞くと、心は子供の頃に戻って行く。

私の生まれた村は、三方を山に囲まれた農村。私の記憶ではよく風の吹いていた。春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、それぞれの音色を持って村を包んでいた。

ここに居を構えたのも、故郷の風の姿を見た事もある。

始めた見に来た時は冬だった。里山は葉を落として冬色に煙っていた。でも、春になり緑の衣を身にまとった山を想像し、ここに住むと。

街路樹の裸のケヤキはスーっと天に向かい、駅まで続いていた。春になり、ケヤキが緑豊かに枝を伸ばし、その緑の流れが駅まで続く様子を想像し、ここに住もうと決めた。

遥か過去から平安に生き続けて来た目の前の緑の里山の一部が、今、機械類に無残に蹂躙されているのを見るのは辛い。

 

開発から、今の所免れている里山も未来には分からないと噂には聞く。

世界で日本で、政治家が評論家が報道が、いかに温暖化を防ぐ為にとか、生物多様化の重要性とか、COP10とか、立派な事を言っている。

でも、いつだって総論賛成、各論反対なのだ。どんなに私達が訴ても、それはゴマメの歯ぎしりなのか。

彼等は評論しているだけ、言っているだけ、会議をしているだけ。本当は何も分かっていないのではないかと、思うこの頃だ。

私は仲間と、里山に入り、ささやかに自然と戯れる時間を楽しもう。



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