昨日の夕方、ベランダに出たら、綺麗な夕焼けだった。
最近、夕焼けを見にベランダに出なくなったなと思った。
朝は、暑くても寒くても雨が降っていても、起きるとすぐにベランダに出て、空を見て山を見て下の通りを見て・・・それから布団を上げて着替える。
今日も、夕方ベランダに出て西の方を見たら、昨日と同じような夕焼けだった。
どうしても、写真では綺麗さが出ないなと、残念な気持ちになる。
昨日の夕方、ベランダに出たら、綺麗な夕焼けだった。
最近、夕焼けを見にベランダに出なくなったなと思った。
朝は、暑くても寒くても雨が降っていても、起きるとすぐにベランダに出て、空を見て山を見て下の通りを見て・・・それから布団を上げて着替える。
今日も、夕方ベランダに出て西の方を見たら、昨日と同じような夕焼けだった。
どうしても、写真では綺麗さが出ないなと、残念な気持ちになる。
今日は、一日何も用が無かったので、山に入って下草刈りをする事にした。
南ちゃんの活動は、月に2回。
今月は、その活動日に参加出来なくて、そうすると、今月は一度も笹刈が出来ない。
だから、どうしても山に入って笹刈りがしたくなった。
一人で笹刈りをする時は、いつもクヌギ林。
畑の小屋から、カマ等を持って上がって行き、シートを敷いて始める前に麦茶でお菓子を食べる。
蚊取り線香を用意し、作業を始める。
以前、畑の肥料用に落ち葉を集める時には、このクヌギ林の落ち葉を集めていた。林の下の道路の下が畑なので、丁度よかった。
そして、この時期から、南ちゃんの活動日以外の日に、おもに平日に皆で落ち葉を集める時期までに笹を刈った。落ち葉を集めやすいように。
今は、畑の嵩上げ工事の予定があるので、野菜の植え付けを休止していて落ち葉も集めない。だから、ここの笹刈りに他の人は来なくなった。
だから、活動日以外の日に一人で笹刈りをする時は、クヌギ林で作業をする。
以前は、このクヌギ林には、沢山の数え切れないほどのギンランが出ていた。笹を刈る時には、笹と一緒に切らないように気を使った。
ところが、去年から、ほとんど見つける事が出来なくなった。
どうしてだろう。畑の向こうの山が無くなったからだろうか。気候が変わって乾燥するようになったからでは、と言う人がいる。
でも、見つけた。りっぱなギンラン。でも、ちょっと大きめなのでキンランかも。花が咲かないと分からない。でも嬉しい。
一人で、笹刈りをしていると、亡くなった夫や姉や両親を思い出し、心で話しかける。
現実に会いたい、話がしたい、でも、永遠に絶対に無理な事。
でも、こうしてお昼頃まで、別の世界と繋がったような時間を過ごしていると、心身共にスッキリとし一人でも大丈夫、生きていけると思えるようになる。
時々、こんな時間を持つために、また、一人笹刈りに行こうかな。
帰りは、一の森へ。種々の山野草が元気でいるかを確かめる。
そして、帰りに悲しい畑を見る。
ここは、本当に綺麗な、草一本生えていない畑だった。
元は藪が茫々の荒れ地だった。
丁度、南ちゃんが作業を始めた頃に、一人の男性が身の丈以上の篠笹や低木を切り、開墾した所だ。
刻々と綺麗になって行くのを、私達は通るたびに感心した。
そして、その畑の野菜は、南ちゃんの作る野菜よりも立派だった。
時々は、話をしたりした。
去年だったか、草一本生えていない綺麗な畑が、草が生えて手入れがされない時期があった。
彼が、体調を崩して入院したという。
そのうちに、また綺麗な畑になり、ああ、元気になったのだなと喜んだ。
そして、久しぶりに通ったら、もう、畑では無くなっていた。
畑が出来ないほど、体調が悪くなったのだろうか。
そんなに親しく話をしたわけではないが、同じ南山で仕事をしていた仲間として、本当に心配だ。
そして、前の素晴らしい農地をみていたので、この状態は寂しい。
山を下りてシイタケ山の暗い道から、明るい下界に出ると、ああ現実に戻ったなと思う