あら、雪がちらついていると、外を見ていた前日。
午後、気が付いたら雪は家々の屋根を白に変えていた。
雪は、夜には止み、明日は天気になるというので、朝は日陰の道は凍り付いているだろうな、と思う。
朝、雪をまとった里山は、朝日に輝いている。
遠くのマンション群も朝日に輝いている。
豪雪地帯に育った私は、雪が降るといつも小さかった時を思い出す。
テレビもない小さい頃は、小さな村は私にとって全世界だった。
2階まで降り積もる雪は、当たり前の私の世界だった。
今と違い、どこの家にも自家用車などなかった村の冬は、雪が積もるのは当たり前だから、道は人が通る幅に踏み固めるだけだった。
豪雪の時には、人が歩く道は見上げる上にあった。
父は雪の降りしきる朝は、早く起きて新聞屋さんの配達に間に合うように、両隣の家までかんじきで踏み固めて道を付ける。
そして、屋根の雪降ろしをしたり、春からの農作業用の準備をしながら、春の雪解けを待つ。
私は、隣の家も庭の木々も全てを白の世界に覆い隠しながら、ただただ空から降り続ける粉雪を見つめていた。
世界を無音の世界に変え、サラサラサラとささやくように、衣擦れのように、そして目に見えるように1センチ、2センチ、3センチと降り積もり、嵩を増していく様子を、飽きることなく見つめていたあの頃。
自然と一緒に生きていたあの頃。
もう2度とあの世界を見る事は出来ない。
田舎でも、全ての家に自家用車が1台2台とある今、雪は邪魔者。
今は、どこの家にもある小型の除雪機で雪を吹き飛ばす。
車が動かなければ生活出来ない今の時代。
もっとも、温暖化なのか、田舎に住む妹に聞いても、雪は昔のようには降らなくなっているという。
どんなに今年は雪が多いといっても、もう、2度と38豪雪のような事はないだろう。
私が育った昭和の子供の頃は、遠い遠い昔話になった。