去年の秋の終わり頃から、コロナ感染者がグンと減って来て、「来年になれば遠くまで行けるかな。もしかしたら、アウェイへの東京を応援しに行けるかな」と思った。
でも、ここに来て新しいオミクロンが出て来た。
感染力が強くてあっという間に、一日感染者が8万人になってしまった。
かかっても重症にはならないと言うが、知り合いの知り合いにコロナに罹った人の話を聞くと、やっぱり引きこもってしまう。
ほそぼそとシルバーの仕事はしているが。
買い物でスーパーに行って、家でテレビを見たり本を読んだり、ラインで話したり。
何か気持ちが沈むので、南山に行く事にした。
体がなまっていて、いつものキノコ山の登りがキツイ。途中で2回も休んでしまった。
途中で、仲間の一人に会った。彼女は旦那さんと小さいお孫ちゃんが一緒だった。
お孫ちゃんの通っている園がコロナで休園になったので、面倒を見ているとの事。
葉っぱや木の枝を持って楽しそうにしている。
少し話をしてから、いつも一人で笹刈りをするクヌギ林に上がる。
降り積もった落ち葉が、低い冬の太陽にキラキラ輝いている。
クヌギ林の下の道に面した畑を借りていた時は、堆肥の為にクヌギ林の落ち葉集めを皆でやった。
その時の落ち葉囲いは、カブトムシの幼虫の寝床にもなっていた。
今は、違う人が畑を耕している。
私達は、一の森に新しく畑を開墾した。その堆肥作りに、堆肥囲いを作り落ち葉を掻き集めた。そこもカブトムシの寝床になってくれるかな。
降り積もった落ち葉を除けながらの笹狩りは、ちょっと手間だけど、これだけたくさん降り積もった落ち葉も、次の落ち葉が降る頃には、ほとんど土になっているだろう。
風で落ちた枯れ枝などは、落ち葉の下でポロポロになりつつある。
所々で、よく見ると葉を落とした割りばしくらいの長さの、針金のようなクヌギやコナラの小さな木が、春を待っている。
手作業で下草刈りをしないで草刈機で刈ると、こういう芽をだした木々や山野草まで刈られてしまう。
だから、私達は手作業の所と、機械で刈る所とを分けて作業している。
聞こえてくるのは、小鳥のさえずりと、カサカサガサガサとの作業の音
一人で笹刈をしていると、亡くなった両親や夫や姉たちとの思い出の中にドップリと入って行き、心で彼らと話をする。
時には、ドラマや本などの世界に入って行ったり、今、毎日聞いている歌が頭の中に聞こえたり。
途中でお茶とお菓子タイムを挟み、2時間弱はあっというまに終わる。
そして、身も心もスッキリと癒されて山を下りる。
こういう時間を持てて、南ちゃんの会を作った事を良かったなと、最近、つくづく思う。
山への急な登り坂を上ると、切り通しに出る。
昔の鎌倉街道だと、誰かが言っていた。
そう言えば、古地図を見ながら登って来た迷い車があったっけ。
今では、住宅開発でどこへも行けれない。