稲城の南山開発で奥畑谷戸を自然公園にしょうという計画がある。
エリアマネジメント組織を設立して里山の生態系を守りながら、人と生き物に優しい公園を作ろう、という趣旨。
以前、“南ちゃんの会”に一緒にやろうという話があったが、里山の下草刈り・保全と畑もやり、沢山の挿し木を育てたりと、とても手が回らないので断った事がある。
でも、どんな公園にするのか、どんなふうに自然を残して行くのか、あるいは作り上げて行くのか、興味はあるし、聞きたいし、希望も言いたい。
それで、草刈り体験をするというので、南ちゃんから3人参加する事にした。
組合事務所に集まり、簡単な話と自己紹介をして出発。
工事現場を横切って登って行った。
いつも、外から見ているが、中に入って歩いてみて、工事現場が、あまりにも広大で眩暈がしそうになった。
奥畑谷戸は、自然を生かした公園にするそうだけど、どんなふうになるのだろう。想像もつかない。
遠くを見れば、東京のビル群の眺望が素晴らしい。下を見れば、墓地作りの銃器が動き回っている。芝を敷き詰めた平墓地になるらしい。
しばらく下草刈りをして、広場を作り、お昼にトン汁をいただく。
そこで、農家の人の、稲城の里山の移り変わりや、木々の話を聞く。
どういう目的の里山公園にするのか、ずっと手入れをして行けるのか、人間は飽きやすいから、ほっておけば、いつの間にか常緑樹だけの下草も生えない森になって行くと。
今の時期、緑一色の森を指さし、不動産屋に売った森は、手入れをしないから、直ぐに常緑樹が落葉樹に取って替わって行く。暗くて下草も生えなくなって行く、と言う。
確かに、私達が初めて下草刈りをした桜の広場もそうだった。随分、生い茂った常緑樹を切った。今は、落葉樹の落ち葉がフカフカに積り、今の時期は、木漏れ日が地面に沢山降り注ぐ。だから、春になればスミレなどの山野草が沢山芽をだし花を咲かせる。山百合の数も増えた。
一の森も、明るくなった。春が、夏が楽しみだ。
帰りは、私達が去年まで畑をしていた所を回った。
もう、周りの木々が倒され始めていて、梅林も伐採され始めていた。
下草刈りに使用した道具を、私達の畑の道具小屋に入れて、しばらく変わって行く森を見つめた。
明日は、南ちゃんの会の活動日。
エリアマネジメント組織を設立して里山の生態系を守りながら、人と生き物に優しい公園を作ろう、という趣旨。
以前、“南ちゃんの会”に一緒にやろうという話があったが、里山の下草刈り・保全と畑もやり、沢山の挿し木を育てたりと、とても手が回らないので断った事がある。
でも、どんな公園にするのか、どんなふうに自然を残して行くのか、あるいは作り上げて行くのか、興味はあるし、聞きたいし、希望も言いたい。
それで、草刈り体験をするというので、南ちゃんから3人参加する事にした。
組合事務所に集まり、簡単な話と自己紹介をして出発。
工事現場を横切って登って行った。
いつも、外から見ているが、中に入って歩いてみて、工事現場が、あまりにも広大で眩暈がしそうになった。
奥畑谷戸は、自然を生かした公園にするそうだけど、どんなふうになるのだろう。想像もつかない。
遠くを見れば、東京のビル群の眺望が素晴らしい。下を見れば、墓地作りの銃器が動き回っている。芝を敷き詰めた平墓地になるらしい。
しばらく下草刈りをして、広場を作り、お昼にトン汁をいただく。
そこで、農家の人の、稲城の里山の移り変わりや、木々の話を聞く。
どういう目的の里山公園にするのか、ずっと手入れをして行けるのか、人間は飽きやすいから、ほっておけば、いつの間にか常緑樹だけの下草も生えない森になって行くと。
今の時期、緑一色の森を指さし、不動産屋に売った森は、手入れをしないから、直ぐに常緑樹が落葉樹に取って替わって行く。暗くて下草も生えなくなって行く、と言う。
確かに、私達が初めて下草刈りをした桜の広場もそうだった。随分、生い茂った常緑樹を切った。今は、落葉樹の落ち葉がフカフカに積り、今の時期は、木漏れ日が地面に沢山降り注ぐ。だから、春になればスミレなどの山野草が沢山芽をだし花を咲かせる。山百合の数も増えた。
一の森も、明るくなった。春が、夏が楽しみだ。
帰りは、私達が去年まで畑をしていた所を回った。
もう、周りの木々が倒され始めていて、梅林も伐採され始めていた。
下草刈りに使用した道具を、私達の畑の道具小屋に入れて、しばらく変わって行く森を見つめた。
明日は、南ちゃんの会の活動日。
何年も前の記事へ書き込み、申し訳ありません。
中学生の頃から気に入った南山。友達に勧められて踏み入れたのがもう20年以上前。崖の上にも立ちました。
多摩サーキット跡地開発と崖裏開発が繋がるか繋がらないかといった2009年あたりで、南山からは暫く足が遠のいていました。
2014年梅雨頃訪れて景色の変化に驚いたものです。
何というか、高い場所に合わせて全体が盛り上がったかのような違和感を感じたのです。
稲城駅方面から読売ランド方面への幹線道路を満足に通すために付近を思いきり削り、相対的に他の場所が盛り上がって見えたという事なのかと思いますが……。
5枚目の写真は奥畑谷戸下流部かと思いますが、この左手、奥畑谷戸の西づたいに読売カントリー方面まで伸びる林道があったと思うのですが、この時点で林道は一部残っていたのでしょうか。残っていればそこから見た景色はどんなものだったのでしょうか。
3枚目の写真の左手に、崖を迂回するような道があったと思うのですが、この時点でその道も一部残っていたのでしょうか。
過程を順番に見ずに、結果に近いものを見せつけられたかのような違和感を感じさせられた出来事でした。
長々と失礼いたしました。