本当に無事で見つかって良かった。
それも68時間も一人ぼっちで。お母さんを何度呼んだことだろう。でも、答える人の声は全然しない。
どんなに心細かった事か。考えただけで胸が一杯になある。
きっと泣き疲れて眠っている時間が多かったのだろうとは思う。
2歳の子が、よくあんな遠くまで歩いて、とビックリするが、2歳の子でも、道があればどこまでも歩いて行けるものだ。
私の息子は、2歳ごろ、よく迷子になった。
始めは、その頃は塀に囲まれた100軒からの社宅に住んでいた。
同じ年頃の子が一杯いて、よく家の周りや、庭の裏木戸を開けっぱなしにしていたので、出たり入ったりと遊んでいた。
ふっと、気が付いたら息子がいない。まさか、塀の外には出ないだろうと、探していた。
お出かけから帰って来た人が「あら、タカシくんを探してるの?やっぱり、あれはタカシくんだったのかしら」と。
聞けば、歩いて2分くらいの所にある電車の駅で降りたら、向かいのホームでウロウロしていたと言う。まさか、と思ったと。
慌てて、駅まで行った。駅は駅ビルの3階にある。改札まで行って、もしかしたらと考えた。改札と直結しているスーパーの3階には玩具売り場がある。
そこへ行ったら、何と息子が玩具で遊んでいて、私を見てニッコリ。
電車に乗らないでよかったと、胸をなでおろした。
そして、やっぱり2歳の頃、姉の家に遊びに行っていた時。
姉の末っ子と息子は同い年。
二人は、庭を出たり入ったりと家の周りで遊んでいた。
そのうちに声が聞こえなくなり、姉と外に出て探したがどこにもいない。
姉は自転車で探し回り、私は帰って来た時の為に家にいた。
どこを探してもいないので、姉と警察に連絡した。
私の息子はしばらくして、泣きながら帰って来た。姉の息子の事を聞いたら「カズちゃんが、いなくなった」と泣きながら眠ってしまった。
そのうちに、警察から電話があり、「隣の村の農協で泣いている子がお宅の子の服装と一致している」と。
姉が自転車で迎えに行った。
その隣の村は、とても大人の足でも歩いて行くには遠すぎる。ただ、道は真っすぐ、どんな気持ちで歩いて行ったのだろう。
通り過ぎる車の人達は、周りが田んぼの何にもない道を小さい子が一人で歩いていて不思議に思わなかったのだろうか。
3度目は、長野の貸別荘に姉の家族と遊びに行っていた時。
やっぱり2歳の時。
私と姉は家の中で雑用をしていて、外で夫達と姉の3人の男の子とウチの息子と遊んでいた。
夫が、「タカシとカズくんがいない」と入って来た。
慌てて外へ出た。
周りは鬱蒼とした山の中。ただ、車の通る舗装した道はある。
私と姉は、声を限りに二人の名前を呼んだ。
と、向かいの山の上の方から返事の声が小さく聞こえた。
「そこにいなさい。動いちゃだめよ」と言い、夫達が車で声のする方へ登って行った。
子どもは、大人が考えるよりも、健脚である。あなどれない。
ゆうなは、2歳の時に、大阪の天王山に登っている。平均よりは小柄だったので、降りて来る人達がビックリしていた。
よしくんを見つけた男性が言うように、子供は下りよりも上の方に登って行くようだ。たぶん、小さい子は、下りは転びそうで怖いんだと思う。
やっぱり、2歳の頃、前も後ろも分からないほど真っ黒になって泣きながら、裏木戸から入って来た時にはビックリした。ドブに落っこちたようだ。
今のようにシャワーの無い時代。真冬だったけど、裸にして庭の水道の水を頭からジャージャーかけて洗った。
バスタオルで包み、すぐにストーブの前に連れて行って毛布だの布団だのと包みこんだ。
今の彼とは信じられないくらい、子供の頃は冒険心一杯の子供だった。
そして、なぜか、誘拐なんて考えもしなかった。
今の時代だったら、絶対に子供から目を離さないし、手も離しはしないだろう。
あの頃よりも、今の方がいろんな意味で怖い。
あの頃は、子供も外にいっぱい遊んでいたし、おばさん達も年配者も、何となく外に出たりしていて、見ていてくれる安心感があったように思う。
だから、娘には、絶対に「ゆうなから目を離さないで、手を離さないで」と言っている。
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