友達が、見て来て面白かった、と言うので娘達と日曜日に見に行って来た。
友達とは見る映画も読む本も好みが似通っている。
しかし、その友達は仕事をしながら、映画もよく見に行っているし、本もよく読んでいるし、ライブもよく行くし、サッカーは海外も国内もよく見ているし、海外旅行にもよく行く。
まるで、人よりも持ち時間が多いのではないかと不思議に思う。
私も娘も映画は大好きで、よく見る。
昔、私の会社が渋谷の道玄坂の上の方にあった時には、週1で見に行っていた時期もあった。携帯もパソコンも無かったあの頃は、映画が一番の娯楽だった。
今のように座席指定ではなかったので、見たい映画は早く行って並んでいた。一応、映画が終わると、全員出て、次に並んでいる人が入って来た。
でも、もう一度見たい時には、そのまま座っていても何にも言われなかった。
私も娘も、「ワールド・ウォー」のような怖い映画・パニック映画は大好きだ。
今までで、一番、怖いと思ったのは 最初の「エイリアン」。それまで、ああいうタイプの映画は無かった。あれから、怖い映画やパニック映画を一杯見たけど、私の中で越える映画は無いな…。
感染した人間に噛まれて、10秒で発病して即、人を襲う。
ほとんど潜伏期間の無いウイルスの怖さ。人々が密集している大都会では、アッというまに全ての人が感染者になってしまう。防ぐ方法なんて無い。
まるで、ドミノ倒しのように、人々が感染者になり、逃げ惑う人々が感染者になって逃げる人を追いかけ、全ての人々が感染者になって行く。そのスペクタルは笑えるほど面白い。
高い塀に守られたイスラエル。その中にいる人達はまだ人間。
でも、感染者が音に反応するのを知らないから、スピーカーでお祈りを流す。
塀の外の感染者が反応して塀を登ろうとするが、とても素手では登れない遥かな高さ。
でも、取り付いた感染者の上に感染者がよじ登り、その上に又よじ登り、そして、ついに塀の頂上に辿りつき、下から押されるようにこぼれ落ちて行く。
静かな水面に黒い墨を一滴垂らした時のように、サーーっと感染者が広がって行く。
主人公は、ワクチンを作る為に、最初の感染者が出たと思われる場所へ、あるいは別の所へ、最終的にはワクチンを製造している所へと辿り着き、どうしたらワクチンを作れるのかと、必死で考える。
最終的には、主人公は自分を犠牲にしてワクチンは作られるのだが、わずかに助かった人間達で未来を築いて行かなくてはならない。膨大な数の感染者達がうごめいている世界で。
これは、始まりだと言うナレーションに次回作が作られるのだろうか。
同じようなゾンビでも、私が見ているアメリカドラマの 「ウオーキング・デッド」 の方が、私には怖い。
怖いから、正座して見ている。夜の12時に見ると夜寝れない時もある。早く次が見たくなる。
ゾンビも怖いが、本当に怖いのは人間。せっかく、生き残っているのに、どうして争うか。
それでも、面白くて、今は次のシーズンが始まるのを待っている。
もう一つ、アメリカドラマで 「生存者」 があるが、こっちはウィルスに感染した人は死んでしまう。こっちも生き残ったわずかな人達の人間模様。
大画面の3DやCGのスペクタルな迫力は凄いが、私にはドラマの 「ウオーキング・デッド」 の日常生活の方が怖くて面白い。
友達とは見る映画も読む本も好みが似通っている。
しかし、その友達は仕事をしながら、映画もよく見に行っているし、本もよく読んでいるし、ライブもよく行くし、サッカーは海外も国内もよく見ているし、海外旅行にもよく行く。
まるで、人よりも持ち時間が多いのではないかと不思議に思う。
私も娘も映画は大好きで、よく見る。
昔、私の会社が渋谷の道玄坂の上の方にあった時には、週1で見に行っていた時期もあった。携帯もパソコンも無かったあの頃は、映画が一番の娯楽だった。
今のように座席指定ではなかったので、見たい映画は早く行って並んでいた。一応、映画が終わると、全員出て、次に並んでいる人が入って来た。
でも、もう一度見たい時には、そのまま座っていても何にも言われなかった。
私も娘も、「ワールド・ウォー」のような怖い映画・パニック映画は大好きだ。
今までで、一番、怖いと思ったのは 最初の「エイリアン」。それまで、ああいうタイプの映画は無かった。あれから、怖い映画やパニック映画を一杯見たけど、私の中で越える映画は無いな…。
感染した人間に噛まれて、10秒で発病して即、人を襲う。
ほとんど潜伏期間の無いウイルスの怖さ。人々が密集している大都会では、アッというまに全ての人が感染者になってしまう。防ぐ方法なんて無い。
まるで、ドミノ倒しのように、人々が感染者になり、逃げ惑う人々が感染者になって逃げる人を追いかけ、全ての人々が感染者になって行く。そのスペクタルは笑えるほど面白い。
高い塀に守られたイスラエル。その中にいる人達はまだ人間。
でも、感染者が音に反応するのを知らないから、スピーカーでお祈りを流す。
塀の外の感染者が反応して塀を登ろうとするが、とても素手では登れない遥かな高さ。
でも、取り付いた感染者の上に感染者がよじ登り、その上に又よじ登り、そして、ついに塀の頂上に辿りつき、下から押されるようにこぼれ落ちて行く。
静かな水面に黒い墨を一滴垂らした時のように、サーーっと感染者が広がって行く。
主人公は、ワクチンを作る為に、最初の感染者が出たと思われる場所へ、あるいは別の所へ、最終的にはワクチンを製造している所へと辿り着き、どうしたらワクチンを作れるのかと、必死で考える。
最終的には、主人公は自分を犠牲にしてワクチンは作られるのだが、わずかに助かった人間達で未来を築いて行かなくてはならない。膨大な数の感染者達がうごめいている世界で。
これは、始まりだと言うナレーションに次回作が作られるのだろうか。
同じようなゾンビでも、私が見ているアメリカドラマの 「ウオーキング・デッド」 の方が、私には怖い。
怖いから、正座して見ている。夜の12時に見ると夜寝れない時もある。早く次が見たくなる。
ゾンビも怖いが、本当に怖いのは人間。せっかく、生き残っているのに、どうして争うか。
それでも、面白くて、今は次のシーズンが始まるのを待っている。
もう一つ、アメリカドラマで 「生存者」 があるが、こっちはウィルスに感染した人は死んでしまう。こっちも生き残ったわずかな人達の人間模様。
大画面の3DやCGのスペクタルな迫力は凄いが、私にはドラマの 「ウオーキング・デッド」 の日常生活の方が怖くて面白い。
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