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ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

田舎に帰る

2008-04-27 12:09:03 | 姉さん
毎年、5月の連休は姉と田舎に帰っている。恒例の行事となっている。

両親がまだ若く元気な時は、田植えと畑の野菜の植え付け、花壇作り。

年をとって田んぼを止めてからは、畑と花壇だけ。そして、田舎ならではの広すぎる庭の掃除と、やっぱり大きすぎる家の大掃除。

友達や会社の人に、「田舎でのんびり出来ていいね」と言われたけど、思い出しても良く働いたなと思う。ただ、手を動かしながら、姉と一杯話したのは楽しかった。

そして、夫と子供達は留守番。いつも夫と子供達は近場に遊びに行っていた。だから、この素晴らしい季節に家族旅行をした事がない。

父が亡くなり、母が姉の所に行ってから、二回目の五月の連休。もう、今、田舎に行かなくてもいいのだけど、姉とやっぱり行こうということになった。

今、田舎へ行く高速バスに乗っている。見慣れた外の流れ行く景色を見ながら、田舎に思いを馳せる。

どんなに長く離れていても、生まれ故郷は特別だ。町並みが代わり、立派な道路が沢山出来ても、奥まった私の生家のあたりは、見た目はあまり変わらない。

でも、よく見れば、村は本当に年老いてしまった。ポツッポツッと誰も住んでない家がある。そして、一人で大きな家でやっと暮らしている老人達が沢山いる。五年後には、十年後には…。

もっと山奥に入ると、今話題の崩壊集落どころか、消滅集落が目に付く。父が生きていた頃、車で奥に行った事がある。朽ち果てた家。もう、山と同化して人の住んでいた痕跡も無い場所。父に「あそこには○○が住んでいた」と言われて、わずかに平らな場所を認識する。「昔は、この村も賑やかで子供が一杯走り回っていた」と。今は、聞こえるのは、鳥のさえずりと風のわたる梢のささやきだけ。そして、誰も住んでなくても、村の隅々まで張り巡らせた車の通る道。それはそれは物悲しい風景である。

私の同級生でも、跡取り長男までもが都会に出て所帯を持った人が沢山いる。そして、老人だけの家、誰も住まない家が増えていく。

厳しい冬が終わり、生命が溢れる今の季節に、緑滴る実家に行くのは、ある意味、感傷的になる。特に、人間が一杯いて、若者が一杯いて、生命の塊のような東京から行くと。

未来に目を向ければ暗くなるけど、姉と話すと結論はいつも、そこに行く。

何事もなるようにしかならない。限られた命、緑の自然を愛で、咲き乱れる花達を愛し、心穏やかに生きて行こうね、と。

何も変わらない生家の佇まいが、私を待っていてくれる。
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