ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

FC東京ゴール裏のベロ旗

2007-03-04 17:19:18 | FC東京とサッカー
FC東京ホームのゴール裏にはいつも“ベロ旗”が定位置に広げられている。どんなに超満員のゲームの時にも“彼”は定位置に鎮座している。雨が降ろうが強風が吹こうが。私にとっては西が丘(客席には広げられてはなかったが)の時から見慣れた風景である。

いつかは批判(?)の声を上げる人が出てくるだろうとは思っていた。FC東京のオフィシャルHPのメッセージボードに書かれた事を読み、“彼”を奇異に思う人もいるのだろうと思う。

たしかに、荷物で座席を取るな、とか、詰めあって一人でも多くの人を、との係りのお兄さんの声に「あそこは?」と思う人もいるのだろう。そして、FC東京としてはあまり触れられてはほしくない事のひとつだったのではと思う。

FC東京には他のチームにはない特徴がいくつかある。たとえば、名前に愛称が無く、マスコットもいない。私が何よりも気に入っている事の一つである。“FC東京”という名称はシンプルで首都東京的でおしゃれだと思う。子供達には淋しいかもしれないが、マスコットが無いのも私は気に入っている。子供達の事を楽しませたいと思うなら、イロイロなキャラクターを月一くらいでレンタルしたらと思う。キティちゃんでも、味パンダでも、げげげでも、ミッキーでも、その方がとっても楽しい。

サポーターのスタンスも気に入っている。まず、他のチームのゴール裏の前面には沢山の大きな旗がズラ~~と並べられているが、それが無いのがいい。沢山の大きな旗をバサバサ振るよりは、中くらいのそして小さい青赤の旗をそれぞれのサポーターがそれぞれの客席で振るのがいい。見ていて楽しい。

試合前にゴール裏を覆いつくす巨大なフラッグが無い。レッズは三枚もの巨大フラッグでスルスルスルとゴール裏を覆うことがある。代表戦でも日の丸やジャパンブルーのユニ型で覆う。東京はたまに、二階から青い色と赤い色の布を広げて下げる時がある。そのシンプルさが気に入っている。

昨日のレッズの赤と白の市松模様に色分けられたスタンドより、昨日の青と赤(?)の沢山のテープで飾られたゴール裏の方が東京らしく洒落ている。わざわざバックスタンドからゴール裏に見に行った。中に入ったらワクワクした。

それぞれのクラブにエンブレムがあるように、私は“ベロ旗”は東京のサポーターのエンブレムだと思っている。“彼”がそこにいると私達のより所として、落ち着くのだ。アマラオの似顔絵を見ると、私のホームだと思い、「さあー応援するぞ」と言う気持ちになる。

今はゴール裏もバックスタンドもすべて同一料金なのだから、席が無い事は無いはずだ。昨日だってバックスタンドをアウエ側に広げて客を誘導していた。もちろんイロイロな決まりを守って気持ちよく応援するの大切だと思う。

“ベロ旗”は東京という場所に、イロイロな人達が寄り集まって“FC東京”というサッカーチームを立ち上げた印だと思っている。私達の喜怒哀楽を一緒に見て来て、そしてこれからも一緒に闘って行く象徴だと思っている。
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Jリーグが始まった

2007-03-03 22:36:31 | FC東京とサッカー
待ちに待った開幕戦。今日はFC東京と広島戦。広島には苦手意識があるが、やっとサッカーが見れるので、家にいても落ち着かず早く出て味スタに向かう。早く来たかなと思ったのに、随分と並んでいた。

ゴール裏に二階から下がった青と赤のテープがキレイだった。待ち時間に流れた過去のゴールシーンが楽しかった。アマラオが、ツットが、コバが、勝ち越しゴールで裸になり溝に落ちた福田。

ワクワクしたキックオフ。走り出した青赤選手達。

でも、やっぱり、佐藤寿人にウェズレにやられた。簡単に縦一本を通されて簡単に決められた。こんなにゴールを決めるのは簡単な事なのと、いうほどのカウンターにやられた。佐藤寿人は本当にうまい。ロングボールの受け方も、身体を入れ替えるのも、ゴールに流し込むのもうまい!

東京は昔のようなカウンターサッカーは見られない。パスを繋いで、前線に迫って行くが、広島のようにあれだけディファンスが人数をかけて守っていたらナカナカ難しい。でも、何回かはチャンスを作っていた。それをキチッときめる寿人と、決めれない平山。どうして、平山はいつも同じようにオリンピック代表でもそうだが、ボールをクチクチと足元で時間をかけるのか。ダイレクトにシュートを打てないのか。

クロスの精度が悪いのと、シュートが枠内に入らない。サイドからのクロスにせっかくの平山がターゲットにならない。頭にゲットしても、代表でもそうだが枠の上・・・

しかし、吉本君と交代で入った藤山君が良かった!まるで、鬼のようだった。パスの軌跡を読み、誰よりも早く的確に動き出してのインターセプト。若い選手はその魂をみならってほしい。そして、諦めないで、もっと泥臭くていいからプレーにしがみついてほしい。カッコ悪くてもいいから、勝利に向かって全力で走れ!

まだ一試合が終わっただけ。次の埼スタで勝利を見届けたい。

吉本君、落ち込むな。君だけの責任じゃないよ。泣かないで。

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文庫「となり町戦争」三崎亜記著

2007-03-01 20:47:08 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
不思議な小説。戦争という地域振興のイベントを計画する二つの町。それを請け負って企画を立て入札に参加する会社。招集され又は志願した町民、そして傭兵として町の戦争に参加する人。

偵察業務者として任命された主人公と共に物語に入って行く読者。主人公が行われている戦争を探すが、どこにも感じられない。でも市の広報には確実に戦死者の数がカウントされて行く。

戦争を委託しているコンサルティング会社がいくつかの案を作成。それを基に町の戦争推進室で協議し町長の所まで上がって行く。決済を取るのに10日ほどかかるという。そう、お役所仕事なのだ。だから、年末年始は休みと決めたら、守らないといけない。もし、奇襲攻撃をしょうと思っても、法律に照らし合わせたり、文書審査があったり時間がかかるのだ。

キチンとした手続きを踏んで行わないと、戦争ではなく、殺人としての扱いになるから。

過去から今でも、世界各地で延々と続くイロイロな形の戦争。戦争であれば、どれだけ沢山の人間を殺しても、それは殺人にはならない。

主人公は「戦争での殺人は殺人としてはあつかわれないんだ」「では命の尊さとは?」「人の死は、いついかなる時でも人の死であり、殺人はどんなに言い換えても殺人でしかないのでは?」と悩む。

主人公も私も最後まで二つの町の戦争が見えなかった。銃の撃ち合いも聞こえず、叫び声も聞こえず、避難民もいない。でも、確実に戦士者がいる。そして、戦死者は急遽出来た町の法令で焼却所で燃やされる。遺体のない葬儀のシーンが出て来る。

戦争を準備し遂行する立場の人が言う「正義とは、その立ち位置によって変わりうるし、変わるべきものです。決して一つではない。社会のための正義、会社のための正義、家族のための正義、自分のための正義、正義の範囲が変われば考え方も変わります」と。

地域振興のために半年間の期間限定で行われた戦争。戦争が終わった町を、この戦争で恋人を失った女性が歩く。相変わらず寂れたシャッター通りを歩きながら戦争事業はどれだけの「振興」をこの町にもたらしたのだろうと考える。そして「あなたは一体何の為に戦ったの」と。

不思議な読後感の本だった。
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