あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

大国魂神社

2012年01月16日 05時07分43秒 | 神社・仏閣
東京農工大学農学部本館の公開を見た後に、目指したのは大国魂神社です。
でも時刻は既に12時を回ってるので、どこかでごはん~。って、いつものあんパンはどうした?だって?
今日は不意のお出かけなのです。その上まずい事にいつもなら冷凍庫に買い置きのパンがあるんだけど、タイミング悪く空っぽなのだ。こんな事なら、農工大学の食堂へ行くんだった~。
なぜか南下する道に食事の出来る店が一向に現れない。ようやく見つけたのは、こりゃまたレトロな昭和の香りが残る食堂でした。
…背に原は変えられん。入るか。
簡単なラーメンを注文。塩分制限のある私は、スープは飲めない~。でも関東風のラーメンでした。取り立てて旨もないがまずくもない。
 
ようやく大国魂神社が見えて来た。

何やら境内が賑やかだ。
 大国魂神社の中に大鷲神社があるのね。
んだからして、酉の市なのね。
そして、11月の日曜日と来たらこれだ~。
 七五三です。
春に訪れた時は、ピカピカだった門が少し落ち着いた色合いになってます。
ついでに裏手にあるご神木の大銀杏を見ていこう。

何これ~~~~っ!!木が折れてるうぅううう~~~~っ!!!
あれ?ご神木だよね??や。この程度ならば放置でOKなのか???
ちなみにご神木のありし日の姿はこちら。大国魂神社でお宝検索(2011年4月21日)の記事
 ショックを和らげるべく癒しの狛犬にご挨拶。
 
参拝する為に、着飾った子どもや親、祖父母の行列がありました。ご苦労様です。
神社側の気遣いか、着飾った子どもの姿を年賀状に出来るような飾り付けがある!いいな。これ。混ざりたいが行列は嫌っ!
宝物殿へ。宝物殿のチケットはラブリーな狛犬の形です。ぜひともお見せしたいっ!でも9月に新しく購入した私のMacBook Airに、うちのスキャナーのキャノンが対応してないので、読み取り出来ないんですよ。
宝物殿は必見です。
徳川歴代将軍の朱印状や、すんごく大きな日本刀の数々。そして私のフェイバリット木造の狛犬様一対。
す~ば~ら~し~い~~っ!!木造ながら大きさは神社によくいらっしゃる石の狛犬と同程度のサイズ。しかも、かつては彩色されてたご様子。ほんのり前足に残る赤色が、在りし日の雄姿を思い起こされる…。うっとり~~っ!!
うをっ!!
この狛犬ってば、運慶の作品なの?しかも国の重要文化財なの~~っっ!!
ふっ。こんなにラブリーな重文初めて見たぜ。
あなどれない大国魂神社さんでした。
ちなみに、ラブリーな狛犬様の雄姿はこちらの記事で確認出来ます。大国魂神社の狛ちゃん達(2011年4月20日)の記事そしてこちら。
大国魂神社(2011年4月19日)の記事大国魂神社境内の配置図を確認出来ます。   人気ブログランキングへ

野菜が高い。
まあこの所とても寒いからしようがないのか?と思ってたら、野菜の成長が遅れてるだけなく、高騰してるのは野菜の凍結が関係してるそうだ。
そう、凍結!葉ものは一旦凍ってしまうと売り物にならなくなってしまうらしい。
でもっ!!レタス1個350円。キャベツ1個300円ってどない?
でも去年諸般の事情で野菜を買うのに右往左往した私達にはこういう時強い野菜があるのを知っている。それはもやし!!もやしに気温の高い低いは関係ない。いつだって安定価格。
さて。買い置きのもやしがなくなったから買ってこよう。もやしの欠点は美味しい期間が短いこと。もう少し新鮮な期間が長くならないかしら?
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東京農工大学農学部本館

2012年01月15日 05時35分43秒 | レトロ建築
既に去年の話。いや~、紅葉散歩を優先して記事を投稿していたので、ネタが溜まりに溜まってるんです。昨日までの記事は紅葉散歩を挟み込んで準備してたけど後回しを繰り返してるうちに年が変わってしまったという…。だから記事の中で時折<今年>という記述が紛れてたんですよ。気づいた分は<去年>と訂正してます。
さて、今日から駆け足で紹介しますね。

JR武蔵野線、北府中駅から徒歩約10分。そこに東京農工大学農学部があります。国の登録有形文化財です(登録 平成12年9月26日)。
丁度文化祭に合わせての公開です。ちなみに、東京都文化財公開ウィークの一環。訪問日は11月13日。以前紅葉散歩として投稿した記事はこちら。大国魂神社紅葉情報(2011年11月24日)の記事

駅からすぐ、長いまっすぐな道を進みます。この左手って府中刑務所なんだよね。なんつーか、昭和の大事件だった三億円強奪事件の現場です。う~ん、それっぽい所ないのか?と思いつつ歩いたんだけど、それっぽい塀すら見えん。残念無念。
到着した東京農工大学農学部。正門をくぐってすぐに農学部の本館が見えました。
と。本館に入る前に石碑発見です。
詳細を書いた説明板によると、「大久保利通公記念碑…明治の元勲大久保利通公は国力を強めるためには、産業の開発が急務であると説き、特に農業の振興には人材の養成が必要であるとして、農学校の設置を計画した。
明治7年、当時の内藤新宿に農事修学場を置き、さらに明治12年駒場野に移して駒場農学校として開校した。これが現在の東京大学農学部の前身である。
東京農工大学農学部は、東京帝国大学農学部実科を前身とし、昭和10年4月、この地に東京高等農林学校として独立した。
大久保公は駒場農学校の設立に大きく貢献したばかりでなく、公が幾多の功績により下賜された賞典禄2年分を寄贈して奨学寄付金に充て、あおの恩恵にあずかった本学卒業生は数多いといわれている。
昭和15年、建築群が完成して落成式典が行われたのを機に、卒業生が大久保公の高徳を後世に伝えるためこの記念碑を建設した」だそうです。…大久保利通って、確か紀尾井町のとこで暗殺されたんじゃなかったっけ?違ったか??
さて、いよいよ本館に入ります。
 
この建物は東京帝国大学農学部実科本館及び講堂として、昭和9年4月竣工しました。その構造は、講堂部が鉄骨鉄筋コンクリート造、他は鉄筋コンクリート造2階建です。建物の一部に地階と正面中央部に3階及び塔屋を備え、総床面積は2896平方メートルです。
設計は東京帝国大学営繕課によるものですが、実際の設計にあたっては、戦前に東大総長まで務めた建築学科教授内田祥三(1885-1972)の指導のもと、建築学科助教授清水幸重(1890-1968)が統括したといわれています。
本館の平面形は、背後に講堂等の施設を張り出させたE字型の左右対称のプランとなっています。外壁の大半はモルタルですが、玄関ポーチのパットレス(外壁から突き出した支え)、玄関扉周囲の壁、アーチ形窓の上部と窓台及び笠木等の限られた部分にスクラッチタイル(焼成前に表面を櫛引きしたタイル)が貼られ、白いモルタル部分とのコントラストが魅力となっています。
3連アーチスタイルの玄関ポーチ部分は、この建物の意匠が集中している箇所で、扉上部のファンライトにはアールデコ風の金属装飾が取り付けられています。」以上、東京都文化財公開ウィークの絵ハガキに書かれてる文章です。



昔の建物って照明が少ないんだよね。

3階へ上がると、建物の歴史を紹介する資料と共に、応用昆虫学史の展示がありました。昆虫は結構好きなので、詳しく拝見しちゃいました。文化祭なので、昆虫クラブの展示も行われてた!

外に出たら文化祭を見に来た一般客が、大根やら長ネギを下げてました。もしやして、ここって『もやしもん』の世界なの?き、興味あるうううう!!でもダメっ!!
今日は出発が遅かったので先を急がねばならない。だってもうそろそろお昼なんだもん。
次の目的地は大国魂神社です。日曜日ならば、以前鑑賞出来なかった、宝物館に納まってる木造の狛犬が公開されてるハズなんだよね~。ああ。狛犬好きの萌えが発動する。   人気ブログランキングへ
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こんな所に203高地の石が

2012年01月14日 05時50分10秒 | 鎌倉
お散歩の始めに連れに「児玉神社へ行きたい」と宣言していた。児玉神社とは、児玉源太郎(1852-1906)のことなんである。ええ、私がここしばらくハマっているNHKのドラマ『坂の上の雲』(著:司馬遼太郎)では高橋英樹さんが演じてます。旅順攻略の先陣を切る203高地の陥落。難航した戦いの行方を左右したきっかけとなる戦術を立てて勝利に導いた人です。
マップによりますと、「神社の創建は大正10年(1921)。勝運の神として仰がれており、鳥居も狛犬も台湾の石で出来ています。また設計は寺社建築の第一人者伊東忠太によるもので、境内には山縣有朋の歌碑や203高地の石などがあります」ですって。
ってなことでトップ画像がその203高地の石です。まさかこんな所にあるなんて~~っ。
説明文発見「爾霊山の石…203高地は、日露戦争において激戦地となった旅順(中国遼東半島南端大連市)の背後にそびえる203メートルの高地である。当地の石を横須賀鎮守府が日本に持ち帰って別地に寄贈したが、のち当社境内に移設され現在に至る。この「203」に爾霊山(にれいさん。「なんじの霊の山」の意)の字をあてたのは乃木希典将軍である」だそうです。去年の夏、私は旅順を旅しました。興味のある方は、その時の記事はブログの203高地(2010年8月6日)の記事 203高地、28サンチ榴弾砲(2010年8月7日)の記事 慰霊 爾霊山(2010年8月8日)の記事を参照して下さい。
 
上の画像左が蒋介石の石詩碑。「台湾の蒋介石の奉献。国民の崇敬を集めた御祭神の武勲、才知、徳を讃えている。蒋介石は満州国初代外交部総長を務め、のち満州国駐日全権大使として日本に駐在したこともある」
右の画像は後藤新平の詩碑。「政治家の後藤新平が、御祭神の文武の功績と忠孝の徳を讃えて奉献した。御祭神の児玉源太郎が台湾総督時代に後藤は民政長官に任じられ、植民地であった台湾の運営と近代化に手腕を発揮した」
さて、石碑群を見て拝殿に進みますと、なにやら不吉な張り紙が…。
「神社改修支援金募金のお願い…9月21日に発生した台風15号により、本殿周囲の板塀の大部分が失われたほか、神楽殿の屋根の銅板が破損。ご神木の月桂樹をはじめ境内の立木多数が倒れました。当社は江の島の東峰に位置する為、元来台風の害が激しく、神楽殿前の燈籠も数年前の台風により破損しています。既に社殿全体の老朽化も甚だしく、全面的な改修を必要としております。日本を救った英傑である御祭神を尊崇し、またこの地に社を建立された多くの先達の志を後世に守り伝えたく、皆様によろしくご協力の程お願い申し上げます。 平成23年9月28日 児玉神社宮司」ですって。
確かに、参拝したら、階段の石がぐらつてて危なかった!
こちらは横から拝殿と上に位置する本殿を写した所ですが、台風以前は本殿は板塀が張り巡らせてあっただよね?次に強風が襲ってきたら、ここ持たないんじゃないかな~
伊東忠太と言えば、築地本願寺を始め、平安神宮・樫原神宮・明治神宮・大倉集古館。靖国神社の遊就館。湯島聖堂。総持寺大僧堂、高麗神社、最乗寺などなどと蒼々たる作品群の数々。そんな伊東忠太の作品の一つなんですよ。いくら老朽化してるからって、取り壊しは出来ないんじゃないかな~?やっぱ改修で乗り切りたい所。でもこれ、宮司さんの気持ちだけじゃどないもこないもなりません。児玉神社に檀家さんっているのかな~?せめてNHKの「坂の上の雲」のドラマの中で窮状を伝えてもらうとか訴えればいいのに。12月4日はおそらく旅順攻略戦だと思うのね。ここで訴えれば、成果も上がるだろうに…。
一応私にしては奮発してお賽銭を入れておいた。
焼け石に水にもならんけど~。
あ。今気づいたんですが、児玉源太郎って日露戦争直後に死亡してるんですね。wikiで調べてみた。死因は脳溢血だった。…いわゆる過労死だったんじゃないかな~?

参拝を終え、帰宅すべく目指したのは小田急線の片瀬江ノ島駅。ええ、あの竜宮城テイストの駅舎。
駅に到着したのは既に午後4時近く。つ~ま~り~。岩屋洞窟から片道約1時間もかかっていたのね。…連れがうっかり万歩計を取り出した。まさかの2万歩超えだった。まさかまさかなので、私もつい万歩計を見てしまった。同じく2万歩超えだった!
つ、疲れがどっと出てしまった~。もう若くないんだから、無茶しちゃいかんなあ~。でもマジに2万歩超え?間違ってるんじゃないかな~??   人気ブログランキングへ
コメント (2)
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江の島岩屋

2012年01月13日 05時01分55秒 | 鎌倉
這々の体で江の島岩屋に到着。取り出したるは江の島1dayパスポート。ここは長い歳月を経て波の浸食でできた岩屋です。第一岩屋は奥行き152メートル。第二岩屋は奥行き56メートル。昭和46年以来、長期閉鎖されていましたが、平成5年4月から再開されています。古くから信仰の対象にもされてきた岩屋、弘法大師が訪れた際には、弁財天がその姿を現し、また源頼朝が戦勝祈願に訪れたとも言われています。
ぜひとも洞窟の内部の画像をお見せしたいのですが、洞窟内の入り口のギャラリーを除くと照明は最低限しかありません。訪れた客は、ろうそくに火を灯した手燭を渡され、頼りなく揺れるほの明るい火を頼りに、時折水がしたらる岩の洞窟を進むことになります。あんまりに暗いんで、洞窟内を撮影してません。ちなみに、江島神社の本尊は第二岩屋の最奥にいらっしゃいます。そこには江の島生まれの「天女と五頭の龍伝説」が紹介されています。頂いたパンフレットに伝説が書いてあるもんだと思い込んでいたのですが、今見たら書いてなかった…。た~し~か~。
『かつて悪い龍がいた。龍は漁村に生け贄を捧げるように要求した。子を差し出したことから子死声という名が残っている。そこへ天女が現れた。天女の美しさに龍は妻に望む。と、天女はもし以降殺生を止めるなら、あなたの妻になりますといい、龍は約束に従って殺生を止めた。そうして天女は女神に、龍は守り神となった』そんな感じのお話だったような…。あの時、洞窟の奥にあった説明文のうろ覚えなんで、詳細は誤りがあるかもしれんが、腰越が子死声ってのは会ってると思う。
トップ画像に写ってる烏帽子岩が見えるかどうかはわかりませんが、こちらは富士山ビューとなってます。岩屋を額縁に見立て、青い海の向こうに烏帽子岩と富士山。なんてフォトジェニック!し~か~も~っ!!冬期の日没は午後4時半頃。あ。トップ画像の水平線の上に線のように写ってるのは、トンビです。ぴ~ひょろろと唱ってました。

岩屋の前の稚児が淵では海辺の日没と富士山いう鉄壁の素材での撮影が可能なんですよ。ああ。私の目には妄想の富士山が見える…。つくづくなんで今日は富士山見えないの~~~~~っ!!!
岩屋を見終えたのが午後3時頃。日没まではあと1時間半もありました。ここで悲しい事実が判明。
「本日の渡し船は欠航します」
どうもこれ、船長の気分次第で運行してるみたい…。まあな~、おそらく漁師さんのこづかい稼ぎだろうからな~。船頭に精出さなくともいいんだろうな~。でも渡し船が出てないとならば、来た道を戻らねばならんのです。あのっ、急階段を今度は上るんです。が、頑張らなくっちゃ~。
こちら、帰り道に山二つで出来てる江の島で、展望台を撮影してみた。ここまで戻って来るだけで青息吐息です。
もうね。連れにちょっと待って~。き、休憩っ!!と。泣きを入れる始末。   人気ブログランキングへ
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江島神社興津宮

2012年01月12日 05時30分25秒 | 鎌倉
前回江の島を訪れたときは、サムエル・コッキング苑で引き返した。こっから先は今までに1度だけしか行ったことがない。なぜなら、江の島は片瀬海岸側から見ると1つの山なんだけど、実は2つの山が合わさって出来てるんだな。つ~ま~り~。サムエル・コッキング苑が山の頂上ならば、そっから先は始めの山を一度下って先でも一度上らなきゃならないんだな。これが。んでもって、奥の山にはエスカーがない…。つまり自分の足で山を降りて上がる必要があるんだよ。だから、根性なしな私は大概サムエル・コッキング苑で引き返していたんだよ。
でも今日は久々に先へ行く。なぜって、この先に富士山の絶景ポイントがあるからだ!っつーても、訪れた11月7日には富士山は見えなかったんだけどね。
こちらは江の島大師ですの仁王像です。平成5年5月創建。以前来た時にはなかったよなコレ。素晴らしい中国刺繍仏像画が陳列されてるそうですが…。うふふ~。おばさんは階段を回避したいんじゃ!帰りにまだ元気があれば行くことにしてパスしちゃいました。当然帰りに元気が残ってる訳もなく…。
さて、階段はなかなか手強い。んでも頑張って到着したのは江島神社興津宮。トップ画像がこれです。
多紀理比売命(タギリヒメノミコト)を祀る興津宮は御旅所(おだびしょ)といい、岩屋のご本尊の夏季避暑地でした。ちなみに、トップ画像に写っている鳥居は、源頼朝の寄進の鳥居だと伝わっています。マップによりますと、「吾妻鏡によれば頼朝は養和2年(1182)奥州平泉の藤原秀衝を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁財天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しました」とあります。って書いてある。
お清めの水。亀が登場。ハイ、ここで思い出して下さい。数日前の江島神社(辺津宮)の記事でなぜに絵馬が亀だったのか?実は興津宮のお参りするこの場で上を見上げると、天井に亀がいるんです。
コレです。
説明板発見「江戸時代、享和3年(1803)画家・酒井抱一が描いた「正面向亀図」です。どこから見てもこちらを睨んでいる様に見えるところから「八方睨みの亀」と呼ばれています。正面向きの亀を桐材に金箔を押し、強い線で描かれ、もとは胡粉、緑青、丹色で彩色されていました。
原絵は海風の浸害からまもるために江島神社の宝殿に納められています。
いま興津宮にかかげられているのは、平成6年(1994)に片岡華陽画伯が描いた復元画です。
酒井抱一(1761-1828)の画技は特にすぐれ、琳派(俵屋宗達・尾形光琳流)を復活したことでも広く知られていました。
酒井抱一がなぜここに亀絵を奉納したのかはわかりませんが、亀は長寿のシンボルで、江の島は不老長寿の島として人々に人気がありました」だそうですよ。
他にも境内には興味深いものがある。 
山田検校胴像。山田流箏曲の開祖。
もひとつ、謂れなんかはなかったんだけど、あちこちの神社で鳥居と見歩いたんですが、石の鳥居に模様があるのは珍しいよね?
拝殿の手前にあった石燈籠です。こちらにミツウロコが刻まれてましたので撮影してみた。

最後はコレ。
最近作ったらしい中国テイストの龍神様です。注目していただきたのはお供え品。これねえ、卵とコップ酒がおいてあるんだよね。参拝云々よりそっちに目が釘付けになっちゃったよ~。

さて、江島神社興津宮を過ぎると、またまた階段。しかも急階段の登場です。コレってば、行きは降りる階段だけど、帰りは上らなきゃなんだよね…。………。終点にある渡し船って今日は運行してたっけか?もし動いてたら帰りはぜひとも利用したい所存。   人気ブログランキングへ
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サムエル・コックキング苑の惨状

2012年01月11日 05時12分45秒 | 鎌倉
見晴し台からクック船長の木へ向かう。ちなみに、見晴し台は私が勝手に言ってるんであって、本当はマイアミビーチ広場と名付けられてる。どこがマイアミでビーチなのか?と思ったら、藤沢市とマイアミが姉妹都市なんだって。見晴らし台から見た対岸の片瀬海岸がマイアミに似てるからという願望だか随分無理矢理な命名だな。
さてクック船長の木に到着です。
んん?こんなショボい木だっけ??昔に見たこの木はもっとこう…堂々とした??クック船長の木(2009年1月9日)の記事綺麗だった頃のクック船長の木を確認出来ます。
頭を捻りつつふと隣を見ると、そこの木もショボい。

こりゃあ~一体どうしたことだ??
少し離れて見ますれば…。
な、なななな何じゃこりゃあぁぁあああああ~~~っ!!木が枯れてるやないの~~~っ!!!
あっ!と頭をよぎるのは去年の9月に関東を直撃した台風。あの日は凄かった、交通機関は軒並み止まり、更に街路樹があちこちで倒壊してる映像が流れました。
もしやして、ここは海からの風が直撃するし、被害も大きいんじゃないのか??と。本来なら富士山の雄姿を期待して上る展望台を、不安を抱えつつ上がることになる。
すると…。案の定酷い有様です。画像の左下を斜めに生えてるのはイチョウ並木。でも既に葉は残ってません。
反対側はどうなの??
まあ、見事な風の通った跡…。
マジでか……

いくら植物には自らがある程度の再生力を持ってるとはいえど、限界があるよね。これは限界の内か?超えてるんじゃないか?しかもこれ、ちゃんとケアしてるのか?来年も植物園として営業を続けられるのか??様々な心配がぶわっと頭を巡りました。
ち~な~み~に~。トップ画像に選んだクック船長の木とは、キャプテン・クックが発見したクック島に生息。サムエル・コッキングが輸入したと言われてる木です。んでもって2番目に掲載してある画像は、シマ南洋杉です。これもサムエル・コッキングさんが植えた見ない太平洋原産の樹木。原産地では既に乱開発により絶滅してる木です。奇跡的に藤沢に現存してるのであれば、後世に伝えなきゃと思うのは私だけ?今にも枯死しそうに見えるんだが…。無事にケアしてまた以前のような元気を取り戻してくれれば…。
あ!
すっかり書き忘れてましたが、そもそも今日の散歩先で江の島を選んだのはそろそろ秋空になって、空気も澄んで来たので、富士山が奇麗に見えるかも?と期待して選んだのです。江の島には富士山が奇麗に見えるポイントがいつくも点在してて、見れればフォトジェニックな画像が撮れるハズっ!神戸から越して来た友人にも、海越しに見える富士山の雄姿を見せて上げたい~との願望でチョイスしたのですよ。
ええ。見えませんでした!
この時点はお散歩の満足度は半減しましたよ…。ちきしょ!!朝のあの空なら確実に富士山が見えると思ったのにっ!!富士山は見えませんでしたが、後日友人はダンナさんと江の島を訪れる機会を想定して、富士山ビューのポイントを確認しつつ進むことにする。あ~あ…。ため息はお互いに何度もつくことになる~。
富士山ってなんでこんなに日本人の心を高揚させるのか…。   人気ブログランキングへ
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江島神社(中津宮)

2012年01月10日 05時19分36秒 | 鎌倉
江島神社辺津宮を参拝後、左奥へ進むと、第二エスカーがある。ので、江の島1dayパスポートを使って上へ行くと、そこは既に江島中津宮の境内です。
ここはちょっと変わっていて、芸術の神様っぽい。というのも、境内にはこんなんがありました。

マップによりますと、「市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)を祀っている中津宮は、慈覚大師が仁寿3年(853)に創建しました。元禄2年(1689)に再建。現在の社殿は平成8年(1996)9月に大改造を終えました。江戸歌舞伎中村座市村座から寄進された石燈籠など、当時の江の島詣での盛況がうかがえます」だそうで。説明板もあった。「謡曲「江島」と弁財天…謡曲「江島」は、弁財天影向の縁起を説いた曲である。
欽明天皇の十三年相模の国江野の海上に島が湧き出て、福徳円満の願いをかなえる弁財天が影向せられたというので勅使の尋ねに応じて詳しく島の成立を語り、その功徳を讃歎した後、自分はこの島の鎮守である弁財天の夫神の五頭龍王即ち龍口明神であるといって消え失せる。
やがて弁財天が十五童子を伴って出現、勅使に如意宝珠を捧げると、五頭龍王も現れ出て、国土の守護を誓いつつ上天したのであった。
弁才天は白蛇を飾る宝冠を戴き一蓮葉に乗って右手に剣、左手に宝珠を捧げて、延命長寿、怨敵退散m財宝満足の利益を施すという。 謡曲史跡保存会」ほうほうほう。
って、ここは芸術のご利益もあるやもしれん。ここは一つ参拝は「絵が上手になりますように」しかないね~。
って、お守りは恋愛成就に美人守りかい?………。ま、お守りの人気はありかもな。
中津宮の左奥には歌碑やら句碑が残ってます。宋国伝来の古碑なんてのもありました。これはマップによりますと、「将軍実朝の命を受けて、元久元年(1204)に仏教使節として宋国にわたった僧良真は、慶仁禅師に師事して我が国に法燈を伝えました。帰国の際に禅師から授かった碑石を建立したものが霊 建寺の碑と伝えられています」だそうで。あれこれありますので、興味があれば探してみれば?
句碑の先には第三エスカーが。上がるとそこはもう江の島のてっぺん!取り出した江の島1dayパスポートをしまう間もなくサムエル・コッキング苑へ入苑する。
サムエル・コッキング温泉遺構を抜けた所に見晴らし台が。

奥に見えるヨット・ハーバー。あれは昭和39年(1964)、第18回オリンピック東京大会ヨット競技が開催された際に迫られた日本で初めての競技用ハーバーです。休みの日に江の島を訪れると、ヨットの白い三角帆が海間にゆれてる風景を見ることが出来ます。
さて、せっかくなので、クック船長の木にも会っていこう~っ!!
と向かったのですが…。な、何じゃこりゃあああああ~~~~っ!!(絶叫)

昨日、相模原公園へ行って来ました。温室は有料なのですが、お正月イベントで9日まで無料公開されていたからです。
温室に入って気づく。
しっとり!!
つーか外が乾燥してるんです。
そうなんですよ。関東は去年の半ば…。クリスマス前から一回も雨が降ってないんで、もうカラカラカラなんですよ。
年末年始、田舎の四国で過ごしていた時はちっとも感じなかったのに、気付は何時の間にやら足を掻いてるようで、足にひっかき傷が一杯。これはまずいと爪を短く切りそろえました。無意識にばりばりやってるから、気をつけても掻いてしまうからねっ。
関東の乾燥具合は、湿度30%程だそうですよ。
ここに冬の寒さが加わって、結果。野菜が高騰してます。
7日にキャベツとかレタスをスーパーへ買いに行ったら、レタスは1個300円でした。買えるかっ!と八百屋へ向かいましたらば、キャベツがない。
「キャベツがないなんて~~っ!!」と、愚痴ったら、八百屋のお兄さんに聞こえてたようで「原価でね~、今1個250円なんだよね~」という事は、売値はもっと高くなるってことで…。「持ってく?」「いえ、結構です」と諦めたんですが、お正月は野菜をあんまり取ってないんで、生野菜が食べたいんだよね~。早く、安くなんないかな~??
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江島神社(辺津宮)

2012年01月09日 05時39分51秒 | 鎌倉
土産屋が両脇に並ぶ参道を抜けると、赤い鳥居が見えて来た。こちらが江島神社の入り口です。本来なら画像奥への階段を上って参拝するんだけど、江の島神社(2010年3月18日)の記事。こちらで、階段を上がって参拝した時の画像を確認出来ます。トップ画像奥の瑞心門の奥にある像の画像も載ってます。
今日はこちらをパスして左の道へ。そこに第一エスカーがあるんだな。んでもってエスカーのチケット売り場で江の島1dayパスポート1000円を購入。これで江の島エスカー、江の島サムエル•コッキング苑、江の島展望台、江の島岩屋が何度でも出入り自由なのだ。ん?何度でもですって?1回は入れば十分じゃないのか?という疑問もおありでしょうが、帰りに江の島の展望台にも一度上がって夕日を見たい~などという彼と彼女にはそんな使い方も出来るんだよ。
エスカーを上がった先でまず見つけたのはコレ。
江の島を巡ると、あちこちに龍の彫り物が点在してます。なぜに江の島が龍押しなのかと言うと、それは伝説に由来してるから。これについては後日、岩屋洞窟で詳しく紹介しますね。
江島神社(辺津宮)です。
マップによりますと「島内にある3つの宮=辺津宮、中津宮、興津宮を総称して江島神社と呼び、それぞれの宮には、海の守護神である女神が祀られています。辺津宮はその本社で、田寸津比売命(タギツヒメミコト)が祀られ建永元年(1206)に僧良真が荘厳な社殿に遷宮したものですが、現在の社殿は昭和51年(1976)に改築されたものです」だそうで。
以前お参りした時にもあった茅の輪が、11月にもありました!一応横8の字に回っておく。
初詣の時には何列にも行列がありましたが、この日の列は短かったので参拝。
なぜにか、お賽銭箱がこんな形にっ!!思わず凝視しちゃったよ~。
さらに、お札なんかを売ってる場所で見つけた変わった絵馬が。これは後出の記事で判明します。
ここの境内にもつるっぱげのイチョウがあった…。これ、一応ご神木みたいです。しかも木の下には縁結びのなんか縁起物的なゆわれ付き。…今に限って縁起悪そうに見えるのは私だけか?

久々…いや、数年ぶりに大相撲中継を見たらおもしろかったです。デーモン閣下とやくさんがゲスト解説者で、あと舞の海さんが解説者で。これ、今日だけ特別なんだろうか?明日からもこんな感じだといいな。
今年は面白くなるんだろうか?白鵬のライバルに成長する人いるんだろうか?
今って白鵬は『ヒカルの碁』の塔矢名人状態なので、対戦しがいのある人が早く台頭して欲しい。ならもっと面白くなるのになあ。
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江の電江ノ島駅から

2012年01月08日 05時50分22秒 | 鎌倉
龍口寺を出ると、前の道に江の電が走ってます~
トップ画像を見ると、電車の軌道が道路にあるのがよくわかります。せっかくだから見送ってみた
さて、江の電江ノ島駅まで戻り江ノ島を目指します。細い道には江戸明治の時代、かつて江ノ島が遊山のメッカだった名残があちこちに点在してるので、往時を偲びつつ江ノ島を目指すのもオツなもの。なんちゃって。
  
細い道を抜けたら、小田急線の片瀬江ノ島駅からの道と合流。橋がかかってて、ここは映画「ピンポン」で主人公がジャンプした橋です。ーーんなことはどうでもいい。用事があるのは、橋のたもとにある藤沢市観光案内所。ここで江ノ島マップをゲット!
江ノ島はなにしろ昔からの遊山の場所なので、見所も盛りだくさんなのだ。マップに記されているチェックポイントは全部で32カ所。マップ片手に見所ポイントを巡るのじゃ!!

ンの前に…。腹ごしらえじゃ!
江ノ島へ続く長い橋を渡ると、江ノ島の入り口からヨットハーバーに続く道にはずらっと食堂が並んでます。ここの一押しはシラス!!
私のチョイスは飛びっちょさん。ここって、前に初詣に来た時にも入りたかったんだけど、すんごい行列で諦めたお店です。今日もそこそこに客が待ってたのですが、お店で見ると15分待ちだったので登録しました。
そこで友人と相談「江ノ島観光のお得チケット!買う?」「どんなの~?」「江ノ島1dayパスポート言うて、エスカーとサムエルコッキング苑と岩屋洞窟の入場券がセットで1000円なのね」「…エスカーって何?」「それはね、エスカレーターの略なんだよ~。江ノ島が名前の通り島だから、上がったり降りたりが多いんだよね」「エスカレーターか。体力ないんで、それを利用しよう」「ならお店の待ち時間の利用してチケット買いに行こうか?」「そうしよう」と。
江ノ島側の橋のたもとにもある観光案内所へ向かったのですが、チケットを置いてないやとぉ~~!!なんでやねんっ!チラシに書いてあるやないかいっ!!「でもないものはないんで、エスカーの切符売り場で買って下さい」それはダメなんやっ!お店の待ち時間内に戻ってこれんのじゃっ!!なんで、先にお得チケットを買いたいのかと言えば、お得チケットは飲食店でもお得なんである。1000円以上をチョイスすると5%オフになったりするんである。もちろん飛びっちょさんでもお利用可!です。
おばさんはねえ~、体力はないけど、お得なのは大歓迎なんだよね~。でも今は時間優先です。
涙を飲んで諦めた。飛びっちょさんに戻る。
店内に案内されて、メニューを見る。
と、あ~リ~ま~し~た~ぁ。生シラス丼!
うま~いぷりっぷりっ。こりっこりっの食感です。しかも下の画像じゃ伝わりませんが、生シラス丼の入ってる器は巨大なんです。女性ならば頑張って食べないと完食出来ません。
生シラス丼。右手前の白い器には、温泉卵が入ってます。温泉卵を丼専用のお店特製の醤油を掛けていただきます。みそ汁は海の囲まれている江ノ島にはぴったりの青のり入り。
なぜか初詣の時期にはメニューから外れていたんだよね。これ、漁期が限定なのかな?
なので、お店を出る時に店員さんに聞いてみた。
「生シラスっていつも食べれるんですか?」「いえ、クリスマス頃から3月までは食べられないんですよ」「だから初詣に来た時になかったんや~」「禁漁…ってゆうか、シラスは魚の稚魚なんで、稚魚がいないと漁は出来ないんですよ」あ。納得!にしても、ここのメニューはどれも旨そうでしょう?これに引かれて数多いお店からここに足を止める客は多いと見た!

さて、江ノ島です。
まずは江ノ島マップのその1。青銅の鳥居。
参道の入り口に立ってます。市指定文化財。「文政4年(1821)に再建されたものですが、両柱には数多くの寄進者が彫られ江戸時代の信仰の広さを今に伝えています。掛けられた額に記されているのは江ノ島大明神。鳥居をくぐると土産物屋さんが立ち並ぶ賑やかな参道が続きます。道幅は今も昔も変わっていません」だそうで。
んでもって郵便局。
明治時代の郵便差出箱(ポスト)です。説明板発見「明治4年3月に郵便事業が創業し、明治5年、東京府下に郵便取扱所を開設するにあたち書状箱を設置したのが始まりです。
この郵便差出箱は、明治20年頃に使用していたものを復元したものです皆様から愛され、ご利用していただくことにより「あなたの街の湯便局」のポストとして、江ノ島のふるさとづくりに役立ちたいと思います。」だそうで。このポストにハガキを投函すると、江ノ島の特別な判子付きのが届くかも~?   人気ブログランキングへ 
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江ノ島散歩開始です

2012年01月07日 04時57分32秒 | 鎌倉
お出かけは11月7日。
朝起きたらお出かけ日和の空だったので、友人を誘って江ノ島へ。さすがに当日誘って出かけるには、遠くへは行けない。待ちあわせは江の電藤沢駅の改札前。
ってなことで10時35分、到着しました!江の電の江ノ島駅に。
トップ画像は江ノ島駅にあった柵です。最近この手の柵をちょいちょい見かけますが、ここのスズメは服を着てます。しかも江の電カラ~笑える~

さて向かったのは龍口寺。以前にも何度か紹介してる場所ですが、日蓮さんの龍の口刑場(2010年3月17日)の記事日蓮宗の霊跡の画像を確認出来ます。
今日の目的はお寺の裏山へ上ること。
で。まずは私のフェイバリットな山門!

何度見てもよく出来てます。細工が隅々まで細かいんだよね~。

これは門の柱の下部にあった金具。門に飾ってある木彫りの絵の額などは、裏表で絵柄が違う程。訪れた際はぜひに門でクルクルしてみて下さい。
本堂でお参りした後は、さっそく裏山へ。
をを??…なにやら枝しかない木がある…。
あれって、もしや…イチョウ?なぜかしら~??
この時私はまだ気づいてなかったんですけど、訳は去年の紅葉がダメダメだった理由と同じ。9月の台風でイチョウの葉っぱは落ちてしまったのだ~…。

さて五重塔です。説明板発見「仏教の開祖であるお釈迦様が亡くなられた時、そのご遺体は荼毘に付され、その遺骨(御仏舎利という)は八つに分骨されて、その当時、インドで主流の八分族に渡された。そして八つの部族は塔を建立し、それぞれに頂いた御仏舎利を、その中に安置してお祀りした。
この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で「ストゥーバ」という。このストゥーバが五重塔の起源であり、法要で供養する卒塔婆の起源である。
五重塔は、この世と、また、私たち人間を形づくっている5つの要素である「地」「水」「火」「風」「空」の五大を意味する。龍口寺の五重塔は明治43年(1910)竣工、欅造り銅板葺き、神奈川県で唯一の木造本式五重塔である。初層の上部には彫刻師、永田伊助の手になる日蓮大聖人御一代記が奉納されている。
「神奈川建築物百選」にも選定されている剛健優美な五重塔である」だそうで。
…ここの説明板の文章の出来はいいなあ~。説明板をあちこちで読んでると、出来の善し悪しってあるんだと気づくんだよね。
裏山を更に上る。
こんなんありました!日本のお寺にはなかなかありませんよコレ。
説明板発見「御仏舎利塔…仏教の開祖であるお釈迦様が亡くなられた時、そのご遺体は荼毘に付され、その遺骨は八つに分骨されて、その当時、インドで主流の八分族に渡された。
そして八つの部族は塔を建立し、それぞれに頂いた御仏舎利を、その中に安置してお祀りした。
この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で、「ストゥーバ」という」ってここまで五重塔の説明文と全く同じじゃん!?
「龍口寺の御仏舎利塔は昭和45年(1970)、日本山妙法寺大僧伽山主、藤井日遠猊下の発願により、この地に通現した。
仏塔内部にはインド•ネルー首相より拝受した御仏舎利が奉安されている。
海外ではシャンティ•ストゥーバ(平和の仏塔)と尊まれる、白亜に輝く美しい御仏舎利塔である。」
だって。つまり、日本の五重塔と、このストゥーバは同じ目的で作られた建物なのですね。
これが江ノ島にあるの、もっと広まってもいいのに~。
ちなみに、このストゥーパは高台にあって、見晴し台もあります。空が澄み渡ってれば、見晴し台から富士山が見えると思う。この日は生憎見えなかったんだけどね。
さて、次は~。   人気ブログランキングへ
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「江」の菊人形

2012年01月06日 05時10分37秒 | 上野・根津・湯島・神田
東京メトロ千代田線お茶の水駅から湯島駅へ。これまた一駅の移動なので、15時も10分を過ぎずに到着。
ただし、湯島駅からだと湯島天神へ上がるには坂、もしくは石階段を上がらなきゃなんである!
ええ、変わらず階段嫌いです。もとより嫌いでしたが、脳梗塞をやって以来左足に軽い麻痺があって、今ひとつちゃんと上がってないことがあって、つまづき易く危険なので嫌いです。ま、長い距離じゃなきゃゆっくりそろそろ上がればいいんだけどね。ってなことで、私がチョイスしたのは女坂コース。
湯島駅からだとこの建物が目印。画像の中にも中央手前に立ち杭に「女坂」って書いてあるよね。
到着した湯島天神は参拝客で大にぎわいでした。なんでやっ??これこそ合格祈願なんかいっ??出来るだけ行列が入らないように撮影してるのでわかりにくいかもしれませんが、2列縦隊で行列は参道奥の青銅の鳥居まで伸びています。昇殿してお参りしてる人もいるので、行列の進みは遅い。ってか、行列してる人はみんな昇殿待ちなのか??わからん…。でも私の目的は別です。ええ、菊花展です。
 



 


携帯電話のカメラではこれが限界。

以前菊がマイブームだった時、都内の菊花展を巡ったのですが、菊人形があるのは湯島天神の菊花展だけなんだよね。んで、テーマは毎年NHKの大河ドラマ。今年はもちろん「江」です。

トップ画像は徳川秀忠一家。秀忠と江と家光です。ええ、今年の5月におでかけした川越の喜多院にあった「家光誕生の間」。あれです。
んでもって、上の浅井三姉妹そろい踏み。背景はコレ、安土城ですかねえ~?
湯島天神の菊まつりは毎回おすすめなんですが、今日はなんと!猿回しまでやってました~。出店屋台も並んでて、江戸の昔を彷彿とさせてくれます。湯島天神の境内は狭いんですが、色々あって楽しいんだよねえ~。
ってなことで、本日の散歩はここまで。撤収は15時23分だと携帯電話が記録しています。今日は出だしが遅かったけど、サクサク回ると結構回れるものなんですね。満足満足。   人気ブログランキングへ
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湯島聖堂へ

2012年01月05日 05時38分38秒 | 上野・根津・湯島・神田
本郷の東京大学のレトロ建物を楽しんで、14時半頃に東京メトロ丸ノ内線の本郷三丁目駅から乗車。下車したのはお隣のお茶の水駅です。
目的は湯島聖堂。本日11月3日は祝日ですので、もしかしたら大成殿が開いてるかもしれん…。と期待して。
ええ、そうなのです。以前の東京都文化財公開ウィークで上野、根津、湯島を巡った時も、神田、お茶の水レトロ建物散歩をした時も、閉まってたんですよ。敗因は大成殿が開くのは週末のみだから~。その時、扉が閉まっていた時の画像はこちらの記事で確認出来ます。湯島聖堂から神田明神へ2009年11月2日)の記事。

お茶の水駅到着。地上に出たものの、自分がどこに出たのかわからない~~。適当に歩いていたら、いか~~んっ!!
橋の下に出ちゃったよ~…。
上へ上がる場所はないか??うろうろしていたら、湯島聖堂のそもそもの入り口へ着いた。
まっ、いいか。こっちが正式な参拝道。
気を取り直し大成殿を目指す。
孔子像。楷書の木。
以前、修繕工事してて後にピカピカになった門が、時間が経ってピカピカが取れて場に馴染んでました。ピカピカの時の記事はこちら。湯島聖堂(2009年11月1日)の記事
おおっ!!開いてる~~っ!!期待通りっ!!
ん?でもなんか、人が多すぎないか??
なにやらお嬢さん方の回りに取材カメラマンがいるし。
庭には椅子を並べて楽器のリハーサル中の人もいるし??
や、初心貫徹! 
大成殿の中です。こうなっていたのか~?
いそいそいそーーーーー。ん?
あれっ?入るのにお金いるの?しかも200円!!
………。パスっ!念願だったんじゃないんかいっ!というツッコミは無しで願います。いつも閉まってたから開いたとこが見たかったのっ。だから中に入らなくても十分なのっ。
 
合格祈願するならば入った方がいいんだろうが。入学予定はないのでいいんだも~んっ!
さて次は…。
時刻は既に15時です。次第に日没が早くなって来た11月。せいぜいあと1カ所。
……ここからならば、湯島天神が近い。徒歩でも20分かからない。でも東京メトロ1日乗り放題切符があるので、お茶の水から千代田線で湯島へ向かいましょう。
ぼちぼち湯島天神で菊まつりが始まってるのよねえ~。   人気ブログランキングへ
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東大のレトロ建造物

2012年01月04日 05時38分16秒 | 上野・根津・湯島・神田

なんか、見えてきた。こりゃなんだ??
…調べたけどわかりませんでした。大学って建物多すぎ~。

赤門が見えて来ました。

一部だけ開けてありました。
ついでに大学の総合研究博物館を覗いてみるか?と赤門を出て懐徳門へ。
でもなっ、公開してるのは「うなぎ」だったんです。ちょっと好みじゃないね。と入るのを止めて懐徳門を眺めると、何か変わってます。

そもそも懐徳門の名前の由来は、東大の構内にはかつて前田侯爵の別邸があって、この煉瓦のかたまりはそこの西洋館の基礎の一部なんだって~。
んん?
加賀藩主前田侯爵家の名前には見覚えが??
鎌倉文学館って前田のお殿様の別荘だったんだよね?鎌倉文学館(2011年7月23日)の記事鎌倉文学館の略歴、画像を確認出来ます。
んで、目黒区の駒場東大に隣接してるのも前田侯爵邸だったよね??
旧前田侯爵邸

んん!
東大繋がりじゃないの~~~っ!
あ。説明板発見。
「この地区は、旧加賀藩主前田侯爵家の敷地であった。当主前田利嗣は明治天皇行幸のために屋敷、庭園の設備を企画し、明治40年に西洋館が竣工した。ルネッサンス風のデザインで地下2階、地上1階の大規模な建築であった。大正12年の関東大震災の後、建築と庭園は東京大学の迎賓施設「懐徳館」となったが、昭和20年3月10日の東京大空襲で炎上し、取り壊された。
重厚で頑丈な基礎は、かつての優れた西洋館の姿を偲ばせるわすかな遺物である。」
…炎上しちゃったんですね。もったいないなあ~。

さて、駅はどっちだ??
たぶんここを進むと、東京メトロの本郷三丁目駅へいけるハズ…。と、懐徳門の道なりに歩いてると、なんかコレ、ダメなんじゃないの??

や。我々は、去年大地震と大きな台風による水害なんかであれこれ敏感になってる訳だ。連日のニュースをどきどきして見た訳だ。中には、石垣の危険性を教えるニュースもあった訳で。そこには石垣の間から伸びる植物は、石垣の耐震性を下げるっていうのもあった訳だ。
…これ、植物はがっちり石垣の隙間に入り込んでいるよね??   人気ブログランキングへ

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東大のレトロな建物

2012年01月03日 06時21分37秒 | マンホールのふた
本郷の東京大学はレトロな建物がいくつもある。正門から安田講堂、法文2号館と進んで文学部3号館へ。ってか、これ上がビルになってたのか~。単なる通路だと思ってました。
たぶんトップは図書館だと思うんだけどね。や、メモしてなかったからね。三四郎池に沿って移動してます。


あ、マンホール発見!どんなふたかな~?
 
おおっ!東京帝国大学の文字がっ!!大学の構内のマンホールも楽しいなあ。以前うちの近所の相模女子大へ行ったら、陸軍時代のマンホールのふたがあったりしたし。旧陸軍通信学校将校集会所(2011年5月17日9の記事 マンホールの蓋を確認出来ます。
宇宙研究所のJAXA相模原キャンパスに行ったら、JAXA仕様だったし。夢とロマンが詰まった部屋(2011年8月26日)の記事JAXA相模原のマンホールと共に、面白いペイントの飲み物自動販売機の画像を確認出来ます。
大学ってあんまり立ち入らない場所ですが、それぞれにマンホールのふたがあるんですかね?どうだろう~?文化祭や見学で中に入ったら…チェックする必要ありか?
これは…正門入って左右にあった建物のどっちか~か?多分法文1号館じゃないかと?どっちにしても、白金台の東大医化学研究所の建物と同じ。入り口の三角屋根も同じでしょ?
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横浜市金沢区「歴史の道」

2012年01月02日 05時34分55秒 | 歴史散歩
世界遺産登録を目指す称名寺さんを後に、野島公園を目指します。ここに伊藤博文邸があるのです。
その道々、歴史ポイントを巡ります。
薬王寺
薬王寺さんは称名寺の赤門と道を挟んであります。
今は上の画像の如く、どおってことないお寺ですが、ここは源頼朝の弟、源範頼の別邸だった場所です。範頼の位牌もここにある。
細い道を南下して、次のポイントは。
金沢八幡神社です。
金沢文庫の古文書に「称名寺の金堂屋根を葺くために檜皮を八幡宮の前で荷揚げした」と記されてます。神社の前には瀬戸の内海が広がり、八幡河岸と呼ばれる船着き場がありました。」
そうなのです。かつて称名寺から南は陸でなく内海だったのです。だから、金沢文庫駅から称名寺への道は上り坂だったのですね。

金沢八幡神社は、付近の総鎮守として祀られてます。
その次の目的地は伝心寺さんだったのですが、迷った!挙げ句に曲がり角を見つけられず南下を続けてしまい、次の次の目的地に着いてしまった!!
あれ~~??
次の次の目的地だった安立寺さんです。
安立寺さんは日蓮宗の寺でして、下総から鎌倉に向かう日蓮と富木胤継が船中で法論をしたが決着が着かず金沢に着岸して悟明庵に移ってもさらに問答を続けたといいます。この時日蓮の教えに感銘を受けた悟明は、弟子となり安立院日悟と名前を改めて、安立寺を開基したと伝えられます。上の画像の碑は、”船中問答着岸の霊場”とあります。

現在ではこじんまりとしたお寺で、山門をくぐると右半分は全て墓地となってます。とりあえず参拝して山門に戻るとダンナが「あそこに古い建物がある」というので墓地に足を向けたのですが…。
「あれは、隣の龍華寺さんの建物じゃんっ!!」ってことで引き返して道を南下。改めて龍華寺さんへ向かいます。

龍華寺さんは結構大きなお寺でした。

実は境内にはぼたんが沢山あります。春、4月末かな?その頃来るのが望ましい。



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