久しぶりにおばけ階段に行ってみた。
早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校で「江戸東京の風景学」が先週から始まり、早速、今週はまちあるき。千駄木から根津を通って湯島までを約20人で1時間半程度かけて歩いた。
根津のあたりを歩くと、おばけ階段に行きたくなる。通称おばけ階段、下りるときと上るときで段数が違うと噂されて、こう呼ばれているらしい。なんのことはない、一番下のステップがとても小さい段差なので、つい数え損ねてしまうので段数が違ってしまうらしいのだが、その辺をごちゃごちゃ言うのは野暮(そう言いながら書いてるけど。)。
おばけ階段
所在地:文京区根津1-20と弥生2-18の間
Photo 2006.4.25
2年ほど前に来たとき、階段脇の住宅が無くなって、万年塀が無くなったので、ちょっと残念に思っていたのだが、今回行ってみたら、かなり様子が変わっていて驚いた。いつのまにか幅が倍になっている!
おばけ階段 以前の様子
Photo 1994.11.26
昔の写真と見比べてみると、変化は明らか。以前だったら、20人が一気に来たら渋滞してしまうはず。でも今にして思えば、すれ違うのに気を遣うぐらいの狭さが良かったような気がする。あっ、いや、どうもどうも・・・なんていう感じで、無意識なコミュニケーションが行われる狭さが、おばけ階段を印象的なものにしていた。
写真のように、以前は、狭くて長く、藪と塀に挟まれていて、上には木がそびえていた。だから「出そう」という意味で、おばけ階段と呼ばれていても全然おかしくない場所だったのだが、拡幅によってあっけらかんとした階段になった気がする。大勢で一度にぞろぞろ・・・、秘やかな雰囲気が無くなっちゃったなぁ。
Photo 2006.4.25 Photo 1994.11.26
おばけ階段を上から見てみると、階段脇の家が建て替えられて様子が変わっただけではなく、以前とは遠景の様子が随分異なることが判る。10年の間に不忍通り沿いに中高層マンションが建ち並んでしまったのだ。94年の写真には上野~谷中の台地上の家や樹木がわずかに見えている。視程距離1km弱。しかし現在はせいぜい200m。視界は狭まり、向かいのマンションの洗濯物まで判別できてしまう。
江戸の眺望は坂の上などから遠方を見渡すものが大半だったと言われる。現在、私たちはビルの上からいくらでも遠くを見渡すことができるが、その反面、地上から遠くを見渡すことができる場所は、次第に少なくなってきている。また視程距離も次第に短くなっている。
富士見坂、潮見坂など、眺望にもとづく坂は多い。名のある坂からの眺望が失われたことについての記述もしばしばあるが、それ以外の眺望点からの眺望もいつの間にか、どんどん失われている。
上の部分はまだ広がっておらず狭い。階段脇の建物が建て替えられた場所だけ道幅が広くなっている。そして拡幅部分の片隅には「安全で快適なまちづくり 文京区細街路拡幅整備事業」というプレートが埋め込まれている。
さて、建築や不動産、都市計画関係者なら一度は聞いたことがある言葉に、「二項道路」というものがある。ネットで検索すればおよそのことが判るので、以下に、YAHOO! JAPAN 不動産の不動産用語集にリンクを貼る。
トップ > 不動産用語集 > 法律・建築基準 > 建築基準・制限 > 二項道路
上記リンク先にもあるように、建築基準法では幅員4m未満の道は原則として「道路」として認められない。ただ、昔の道は狭い道も多いので、このような道は、行政から「二項道路」として指定を受け、道路とみなされる。基準法の第42条第2項で規定されていることから、細い街路は二項道路と呼ばれている。
で、このような敷地・道路の場合、現状ではそのままで良いのだが、新たに建築をする場合は、狭い道のままではダメで、4m以上の道にしなければならない。
というわけで、おばけ階段は片側で建て替えが行われたので、道路中心線から2m分の幅で拡幅がされた。階段の上の方はまだ建て替えられていないので未拡幅なのだ。
文京区のHPにも文京区細街路拡幅整備事業として解説がされている。
細街路拡幅整備事業は、二項道路の解消を図る。なぜ二項道路はいけないのか? 私は基準法の本当の意図までは知らないが、おそらく危険防止、環境の向上というあたりなのだろう。
狭いと危ないから:道が広くなれば、地震や火災の際に逃げやすい。救急車や消防車も入りやすい。
道が広い方が環境が良くなるから:狭い路地空間には狭小住宅が建ち並び、劣悪な居住空間になる。道が広がれば、日も良くあたるようになるし、自動車を利用することもできる。
建前上はこういうことなのかな。でも、それ本当かしら?
たしかに阪神・淡路大震災では、密集住宅地で火災被害が多かった。関東大震災の経験を持つ東京だから、密集市街地の解消が課題であることは解る。でも地震や火災被害を防ぐために道の拡幅をする必要は本当にあるのかしら? 死傷者の多くは建物倒壊とその後の火災によるものだが、建物が倒壊しなければ、火災があっても逃げられたはず。また塀や電柱をなくせば、道を拡幅しなくても安全に逃げられるのでは? だとしたら建物の不燃化や無電柱化もすべきだし、どちらかと言えばそちらの方が優先されるべきで、道の拡幅だけを考えるのは総合性を欠く。救急車や消防車が入るためにはたしかに拡幅が必要だけど、今回の場所の場合、階段なんでどっちみち車は入れないんすけど・・・。危険防止が目的だったら、ほんとは階段のまま拡幅するんでなくて、坂道にすべきなんじゃないのか?
道が広い方が環境が良くなるっていうのも、ちょっと理解できない面がある。静かな住宅地の場合、狭い路地の方がプライベート性が上がって、部外者は入ってこないから、静けさが護られるし、防犯面でも良いのではないだろうか? 車が通れないような細道は却って安全な道のはず。道を広げて敷地が狭くなったら、却って狭小住宅になっちゃうだろうし、下手すると今まで住んでいた人が、出て行かざるを得ないことになるかもしれない。自動車の件についても、4m道路でぎりぎりすれ違うくらいだったら、入ってこない方がましだと思う人が、最近は増えているのではないだろうか。
たしかに昭和30年代から40年代ぐらいまでは、劣悪な木造密集住宅地が全国にごろごろあったかもしれない。ひとたび火事になれば延焼は免れなかった。その意味では細街路拡幅整備事業は一定の効果をもたらした制度かもしれない。
でも、全ての道を4m以上に、というのはもうそろそろ止めても良いんじゃないかと思う。あとは周辺の状況を見ながら、個別に判断しても良いのではないだろうか。そうでないと、月島とか神楽坂とかの魅力的な路地空間は、建物が老朽化して建て替えられるごとにどんどん無くなっていくことになる。魅力的な路地空間と言われている道を4m道路にすることは、環境の向上では全然なくて、逆に環境の破壊になる。防災機能の向上を目的とするなら、道の拡幅だけをして良しとするのでなく、不燃建築化、緑地や広場の設置など、地区単位での総合的な防災対策と絡めて道路網を考えるべきだろう。
実は、今、ここで書いていることは、もう20年以上前から言われ続けていることだ。昭和の後半あたりで、急速に路地や細道空間が失われていったあたりから、このようなことは、あちこちで書かれていたし、言われてもいた。
でも、まだ状況はあまり変わっていない。現実的にその規定と事業が本当に必要かどうかの検討はされないまま、法律が走り続けて、仕方なく人々は従っている。なんだか話が逆。あまり喜ぶ人が多くない規制を続けるのはどうなんでしょう?
最近では、一部の地域では地区計画を駆使したり、一団地認定を利用したりして、細街路を残し続ける工夫をしているらしい。でも、なんだかそれって裏技みたいで変。車を全てにおいて前提にして考えるので、こういうことになってしまうのかもしれない。だとすると車至上主義自体をそろそろ考え直した方が良いのかもしれない。
というわけで、せっかくのおばけ階段は妙な感じで広がってしまった。で、やや八つ当たり気味に、二項道路について思いを巡らせた、まちあるきだったのでした。
#階段・坂 文京区 #眺望