六月に一ヶ月ほどBlogを離れていたワケ。
元来、湯水のように文言が沸いてくる性質ではない。なにしろ、小学校の頃は作文や読書感想文というものも苦手で、授業中も終了ぎりぎりまで苦吟していたし、夏休みも最後の夜まで唸っていた。
また、小さい頃は人前で話すのが苦手で、授業中もあまり手を挙げない子供だった。通信簿には毎度のように「もう少し積極的に」と書かれていた。未だに多くの人とわいわい話すのはあまり得意ではない。
そんな性格なのに、親の影響からか何故か人前で話すことを仕事の一部とするようになってしまった。もちろんある程度、得意な分野について話すのは、さほど難しくはない。ただしツッコミや反論、意地悪な質問にはめっぽう弱く、議論をして自我を通すことは相変わらず苦手である。
小学校の頃は日記が毎日のように宿題として課せられていて、わずか数百字を埋めるのに毎日苦労していた。自己表現が苦手なので、思ったことをすらすら書くことができないのだった。とっとと書いてしまいなさい、と父母に急かされて、しまいに泣いてしまったこともしばしば。
そんなわけで、こまめにコンスタントに文章を書き綴って載せていくというのは、実はあまり得意ではない。だから書くことが極めて億劫になることも多く、一度途切れると、再開のきっかけがなく、そのまましばらく中断することになってしまった。
書けなくなったのにはもう一つワケがある。
小学校の時の担任がとても良い先生だった!(いきなりかなり飛躍してますが・・・。)
日記と日誌は似ているようで異なるのだと教わった。時系列で何があったとか、何をした、何を見た、どこへ行ったという事実関係を記す日誌は単なる記録であり、誰でも書けるものだと。
感動した、面白かった、きれいだった、という言葉だけでは心の一部を表したに過ぎず、まだ日記には足りない。何を考えたか?、どのように感じて、如何に心を動かされたか?。作文、感想文、日記では、感情を素直にうまく言葉に換えて記すことが必要であると説いたのである。
また夏休みの自由研究課題などでは、こうも奨められた。曰く、どこかで見聞きしたような自由研究はするな、自分で考えたテーマを持ち、オリジナル性を大事にしろ、と。
今にして思えば、この二つの教えは、その後の私に大きな影響を与えている。
私は当時まだ、たいした基礎知識も判断力もない小学生であり、心持ちを表現する多彩な語彙も持ち合わせていなかった。冷静に考えれば、たくさん本を読んで語彙を増やし、表現技術をもっと養えば良かったということになる。そういうテクニックを様々な本から仕入れて応用することには問題はなかったはずで、要領さえ良ければ、おもしろいように文言が沸いてきたのかもしれない。だが当時、そういう知恵はなかった。ただいたずらに、ゼロから表現を生まねばと気負って空回りをしていたのだなぁと思う。多くの知識を仕入れてからオリジナルな表現に至るのでも遅くはなかった。
でも当時は、先生の言うことは私にとっては絶対的なものだった。大人の考えでもって、私に入れ知恵をして手伝ってあげようとする父母の助け舟を拒否して、ひとり手段も解らぬまま、徒手空拳、空回りを繰り返した挙げ句、泣く泣く父母の助言を受け容れては、自分独りで解決できなかった敗北感を味わうことも多々だった。
しかしよくよく考えてみれば、オリジナルな情報、オリジナルな表現なんて、そうそう出来るものではないのだ。
この一ヶ月、本業の方でも雑事がやや多かった。
正直言って、私の頭のキャパシティはそれほど大きくない。一つのことが気に掛かっていると、同時に別のことはあまり考えられない性質である。仕事をバリバリやって、経験豊富な方は、次々と来る仕事を右から左へと華麗にこなしつつ、Blogもさくさくっと書けるのかもしれないが、私にはどうもそれができない。集中力がないだけなのかもしれないが、仕事上で問題や課題を抱えていると、そちらが気に掛かってしまい、Privateな部分も止まってしまう。まあ、典型的に要領が悪い人間ということ。
この一ヶ月はBlogを書く元気も全くなかった。
PCを前にしても、紙を前にしても、何を書けば良いやらさっぱり解らなかった。最初のうちは途切れちゃったなぁという感じ。しばらくしたら、書かなくちゃなぁ、みたいな変なプレッシャー。だが一ヶ月を過ぎたあたりからどうでも良くなってきた。
見て下さっている方には申し訳ないが、あくまでこれは私のまちあるき日記。本来は気が向いたら書けば良いはず。それでも良かったら見てねん!、なのだ。不遜だと思う人もいれば、それが当たり前だろ!、と同意して下さる方もおられるかと思う。妙に自意識過剰だったかもしれない。コメントを入れて貰ったりすると、もっとちゃんと考えて書かなくちゃとか思ってしまったりしていた。もともとたいした文じゃないのに・・・。
Blogっていうものとのつきあい方、距離感が自分でもまだよく分かっていないという面もある。
写真を撮っているうちに、せっかく撮った写真を自分だけで見て、あーだこーだと考えているのはつまらなくなってきて、そこでNet上に公開することにした。
せっかくなので、少し説明も付けて、個人的な思いも込めて。4年ほど前に始めたホームページの方は、一方通行で、見たい人は見てね的なスタンスで、他人がどう感じようが知ったこっちゃない、見てくれる人が少なくても仕方がない、という立場だった。だがしばらくすると、やはり多少、反応が欲しくなってくる。そんなときに始めたのがBlog。最初こそマイペースだったが、少しするといろいろ反応が来るようになった。新たなつながりが増えて面白くなってきたと同時に、意欲も沸いて気合も入り、知らず知らずの内に独特の緊張感を得ることになった。雑誌に書くのよりダイレクトな感覚は、心地よくもあったが、奇妙なプレッシャーにも繋がり得るものだった。
ところがここで前述の、小学生の時に常々言われていた二つの教えが日々脳裡をかすめるようになる。
一、心の声をしっかり表現しているか?
一、他の誰もが書き得ないオリジナルな情報を発信しているか?
師曰く、駄文を書いていてはいけません、と。
今までの記事を振り返り、ふとそれを自覚した瞬間、書けなくなってしまった。
それなのになぜ再開したのか?
もちろん雑事が少し去って、時間がとれて、落ち着いてきたからというのもある。でもそれだけではない。駄文でも良いじゃん、という開き直りももちろんある。作家先生じゃないんだから・・・。その一方で、もう一度、丁寧に書いてみたい、考えて発信してみたいという思いが沸いてきたのも事実だ。書くことは、練習や訓練であるのと同時に、ある意味、癒しやリハビリなのかもしれない。
小学生の時から、文章にしても、絵にしても、主観的ではなく、客観的で、自分のことなのに他人事みたいに表現すると言われてきた。
一人っ子で、人前に出るのが苦手で、自分の意見をあまり言えない。自分の判断にあまり自信がないので、考えを公にして責任を負うのがイヤでもある。従って優柔不断。しかし特定の方向に突っ走らないこともあってか、クラス委員はよくやらされた。ノーアイデアで、大勢が赴くままに収拾するので重宝だったのかもしれないと、今頃になって思う。
他人に対して意思表示をしないというのは推し進めるとノーアイデアに繋がる。決断なり意思表示をしないのだから、「考え」が要らなくなってしまうのだ。そんなわけで私は長いこと考えないで済むように自分を仕向けていたのかもしれない。
そう考えてみると、やはり師は素晴らしかったのだ。
考えよ、そして My Opinionを持て。そして発信せよ。
うだうだとした生活を送っている私への重い課題である。
文字を連ねて文を紡ぐこと。文章にすること。それがたとえ駄文に過ぎないものであっても、日々たくさんの人によって億単位で書かれる文章の一つにしか過ぎないのであっても、私にとって書くことは一つの生産的活動であり、立場を示し、何かを残す一つの行動であることには違いない。言い換えればそれは、自分自身の存在意義を確認する活動なのかもしれない。
まあ、そこまでたいそうなものじゃないんだけど、いろいろ考えた挙げ句、またぐだぐだと書き綴っていくことにしたのです。
元来、湯水のように文言が沸いてくる性質ではない。なにしろ、小学校の頃は作文や読書感想文というものも苦手で、授業中も終了ぎりぎりまで苦吟していたし、夏休みも最後の夜まで唸っていた。
また、小さい頃は人前で話すのが苦手で、授業中もあまり手を挙げない子供だった。通信簿には毎度のように「もう少し積極的に」と書かれていた。未だに多くの人とわいわい話すのはあまり得意ではない。
そんな性格なのに、親の影響からか何故か人前で話すことを仕事の一部とするようになってしまった。もちろんある程度、得意な分野について話すのは、さほど難しくはない。ただしツッコミや反論、意地悪な質問にはめっぽう弱く、議論をして自我を通すことは相変わらず苦手である。
小学校の頃は日記が毎日のように宿題として課せられていて、わずか数百字を埋めるのに毎日苦労していた。自己表現が苦手なので、思ったことをすらすら書くことができないのだった。とっとと書いてしまいなさい、と父母に急かされて、しまいに泣いてしまったこともしばしば。
そんなわけで、こまめにコンスタントに文章を書き綴って載せていくというのは、実はあまり得意ではない。だから書くことが極めて億劫になることも多く、一度途切れると、再開のきっかけがなく、そのまましばらく中断することになってしまった。
書けなくなったのにはもう一つワケがある。
小学校の時の担任がとても良い先生だった!(いきなりかなり飛躍してますが・・・。)
日記と日誌は似ているようで異なるのだと教わった。時系列で何があったとか、何をした、何を見た、どこへ行ったという事実関係を記す日誌は単なる記録であり、誰でも書けるものだと。
感動した、面白かった、きれいだった、という言葉だけでは心の一部を表したに過ぎず、まだ日記には足りない。何を考えたか?、どのように感じて、如何に心を動かされたか?。作文、感想文、日記では、感情を素直にうまく言葉に換えて記すことが必要であると説いたのである。
また夏休みの自由研究課題などでは、こうも奨められた。曰く、どこかで見聞きしたような自由研究はするな、自分で考えたテーマを持ち、オリジナル性を大事にしろ、と。
今にして思えば、この二つの教えは、その後の私に大きな影響を与えている。
私は当時まだ、たいした基礎知識も判断力もない小学生であり、心持ちを表現する多彩な語彙も持ち合わせていなかった。冷静に考えれば、たくさん本を読んで語彙を増やし、表現技術をもっと養えば良かったということになる。そういうテクニックを様々な本から仕入れて応用することには問題はなかったはずで、要領さえ良ければ、おもしろいように文言が沸いてきたのかもしれない。だが当時、そういう知恵はなかった。ただいたずらに、ゼロから表現を生まねばと気負って空回りをしていたのだなぁと思う。多くの知識を仕入れてからオリジナルな表現に至るのでも遅くはなかった。
でも当時は、先生の言うことは私にとっては絶対的なものだった。大人の考えでもって、私に入れ知恵をして手伝ってあげようとする父母の助け舟を拒否して、ひとり手段も解らぬまま、徒手空拳、空回りを繰り返した挙げ句、泣く泣く父母の助言を受け容れては、自分独りで解決できなかった敗北感を味わうことも多々だった。
しかしよくよく考えてみれば、オリジナルな情報、オリジナルな表現なんて、そうそう出来るものではないのだ。
この一ヶ月、本業の方でも雑事がやや多かった。
正直言って、私の頭のキャパシティはそれほど大きくない。一つのことが気に掛かっていると、同時に別のことはあまり考えられない性質である。仕事をバリバリやって、経験豊富な方は、次々と来る仕事を右から左へと華麗にこなしつつ、Blogもさくさくっと書けるのかもしれないが、私にはどうもそれができない。集中力がないだけなのかもしれないが、仕事上で問題や課題を抱えていると、そちらが気に掛かってしまい、Privateな部分も止まってしまう。まあ、典型的に要領が悪い人間ということ。
この一ヶ月はBlogを書く元気も全くなかった。
PCを前にしても、紙を前にしても、何を書けば良いやらさっぱり解らなかった。最初のうちは途切れちゃったなぁという感じ。しばらくしたら、書かなくちゃなぁ、みたいな変なプレッシャー。だが一ヶ月を過ぎたあたりからどうでも良くなってきた。
見て下さっている方には申し訳ないが、あくまでこれは私のまちあるき日記。本来は気が向いたら書けば良いはず。それでも良かったら見てねん!、なのだ。不遜だと思う人もいれば、それが当たり前だろ!、と同意して下さる方もおられるかと思う。妙に自意識過剰だったかもしれない。コメントを入れて貰ったりすると、もっとちゃんと考えて書かなくちゃとか思ってしまったりしていた。もともとたいした文じゃないのに・・・。
Blogっていうものとのつきあい方、距離感が自分でもまだよく分かっていないという面もある。
写真を撮っているうちに、せっかく撮った写真を自分だけで見て、あーだこーだと考えているのはつまらなくなってきて、そこでNet上に公開することにした。
せっかくなので、少し説明も付けて、個人的な思いも込めて。4年ほど前に始めたホームページの方は、一方通行で、見たい人は見てね的なスタンスで、他人がどう感じようが知ったこっちゃない、見てくれる人が少なくても仕方がない、という立場だった。だがしばらくすると、やはり多少、反応が欲しくなってくる。そんなときに始めたのがBlog。最初こそマイペースだったが、少しするといろいろ反応が来るようになった。新たなつながりが増えて面白くなってきたと同時に、意欲も沸いて気合も入り、知らず知らずの内に独特の緊張感を得ることになった。雑誌に書くのよりダイレクトな感覚は、心地よくもあったが、奇妙なプレッシャーにも繋がり得るものだった。
ところがここで前述の、小学生の時に常々言われていた二つの教えが日々脳裡をかすめるようになる。
一、心の声をしっかり表現しているか?
一、他の誰もが書き得ないオリジナルな情報を発信しているか?
師曰く、駄文を書いていてはいけません、と。
今までの記事を振り返り、ふとそれを自覚した瞬間、書けなくなってしまった。
それなのになぜ再開したのか?
もちろん雑事が少し去って、時間がとれて、落ち着いてきたからというのもある。でもそれだけではない。駄文でも良いじゃん、という開き直りももちろんある。作家先生じゃないんだから・・・。その一方で、もう一度、丁寧に書いてみたい、考えて発信してみたいという思いが沸いてきたのも事実だ。書くことは、練習や訓練であるのと同時に、ある意味、癒しやリハビリなのかもしれない。
小学生の時から、文章にしても、絵にしても、主観的ではなく、客観的で、自分のことなのに他人事みたいに表現すると言われてきた。
一人っ子で、人前に出るのが苦手で、自分の意見をあまり言えない。自分の判断にあまり自信がないので、考えを公にして責任を負うのがイヤでもある。従って優柔不断。しかし特定の方向に突っ走らないこともあってか、クラス委員はよくやらされた。ノーアイデアで、大勢が赴くままに収拾するので重宝だったのかもしれないと、今頃になって思う。
他人に対して意思表示をしないというのは推し進めるとノーアイデアに繋がる。決断なり意思表示をしないのだから、「考え」が要らなくなってしまうのだ。そんなわけで私は長いこと考えないで済むように自分を仕向けていたのかもしれない。
そう考えてみると、やはり師は素晴らしかったのだ。
考えよ、そして My Opinionを持て。そして発信せよ。
うだうだとした生活を送っている私への重い課題である。
文字を連ねて文を紡ぐこと。文章にすること。それがたとえ駄文に過ぎないものであっても、日々たくさんの人によって億単位で書かれる文章の一つにしか過ぎないのであっても、私にとって書くことは一つの生産的活動であり、立場を示し、何かを残す一つの行動であることには違いない。言い換えればそれは、自分自身の存在意義を確認する活動なのかもしれない。
まあ、そこまでたいそうなものじゃないんだけど、いろいろ考えた挙げ句、またぐだぐだと書き綴っていくことにしたのです。