新宿区中井、妙正寺川北側の丘に上る坂 Photo 2006.2.19
五の坂
所在地:新宿区中井2-20・24
江戸期には農村だった中井周辺。西武線が開通し、大正期以降、都市化、宅地化が進んだ。現在、林芙美子記念館(旧林邸)がある、中井二丁目周辺も郊外住宅地として宅地化が進み、それに伴って坂にも名前(呼称)がつけられたようだ。 江戸・東京には名の付いた坂が実に沢山あり、坂を巡り歩くのも楽しい。
だが、中井二丁目近辺の坂には至極単純に、一から八まで、東から西へ順に番号が付けられた。この坂を、芸のない名の付け方だと評した本もどこかで読んだことがある。確かにごもっとも。このように名付けられると、個別の坂についての印象は薄れ、中井には一~八へと番号を振られた坂があると、ひとくくりになってしまう。地元の人は、林芙美子邸の前の階段が、四の坂だと知っているかもしれないが。
坂の由緒を愛する人から見れば、さして特徴のない坂かもしれないが、私はこれらの坂が結構好きだ。その理由は、この一連の坂には、オリジナルの看板が設置されているから。
一の坂上
所在地:新宿区中井2-6・7
標識が設置されている坂は多い。東京の坂は各区の教育委員会などが標柱を熱心に立てているので、まちあるきをしてこれを読めば勉強になる。それはそれで良いのだが、それらはどこでもほとんど同じ仕様で、アルミや木の四角柱が道路脇に立っているというもの。
だがこの中井の坂では、プレートに大きく「五の坂」とか「一の坂上」などと手書きっぽい書体で書かれている。またそのプレートが、住宅建物や塀に直接取り付けられている。なんだかとても手作り感覚。中井町会とあるが、地元の有志で作ったりしたのだろうか? 結果的にこの一連の坂は、他のどこにもない特色が備わることになった。「ああ、手書きっぽい看板が建物に付いている坂ですね。」というように記憶されている。
実は私は、今後のパブリックデザインの一つの鍵は、このへんにあるんじゃないかとちょっと期待している。交通標識のように、全国共通になっちゃうと、個性が消えてしまって全然面白くない。かといって完全にオンリーワンでも良くないのかもしれない。中井近辺の坂という共通のくくりの中にあることが察せられる、さりげない共通デザインだから良いのではないかと思う。地域に共通なデザインが掲げられていることにより、コミュニティの気配が伝わる。
昔はこの中井の坂のようなサインがもっとあちこちにあったような気がするのだが、次第に小ぎれいにデザインされたものが増えて、中井のような事例は今の東京では少なくなってしまった。
商店街などでは、しばしばオリジナルデザインのサインを作っているが、たいがいはデザイナーに依頼するので、結局、似たような感じになり、他との違いがあまりないことが多い。プロがデザインするより、素人が取り組んだ方が個性的になることはよくある。
案内版などというと、ついいろいろ情報を入れ込んだり、「デザイン」をしてしまいがちだが、このサインプレートはそれらを排除していて潔い。書体やプレートの雰囲気は田舎っぽいが、シンプルなところが逆に新鮮だ。
#階段・坂 新宿区 #地形