引き続き、カメラの記憶
一眼レフの
Canon FT QL(1966発売)は、私が生まれた頃に父が購入したもの。私が小さな頃は、たぶんこれを使って父母が写真を撮ってくれていたんだと思う。中学生の頃になって、父からこれを借りて、近所の街などの写真を撮るようになった。
Canon FT QL
CdSを使用した反射式露出計を内蔵。中央重点測光で、ファインダー内の針の上下で露出の過不足が分かる構造だった。ピント合わせはファインダー画面のぼやけ具合で判断するもの。フィルムローダーが当時としては斬新で、所定の位置にフィルム先端のベロをあてがって裏蓋を閉め、巻き上げを何度か繰り返すだけでよいのが便利だった。キヤノンはこれをQuick Loading機構と称して、この機構を持つカメラには、QLと付記していた。
レンズは50mmの標準レンズと、マクロレンズが自宅にあった。標準レンズの方は、F1.2と明るい。昔は高感度フィルムが少なかったので、高速シャッターを切ることができる明るいレンズが、高性能の証拠のように思われていたかもしれない。マクロレンズは、父が化学関係の仕事をしており、試料を原寸大で近接撮影する必要があったために購入したもの。
露出計はついていたが、露出や絞りは自分でリングを回して決める方法だし、当然AFなどは付いていないのでピント合わせも手作業。だがこれを中高生時代に使っていたために、私はカメラの仕組みをおよそ理解することができた。
大学に入ってからも使い続け、1989年頃までは街や建物をこれで撮っていた。また建築模型の写真をマクロレンズを使って撮ったりもしていた。
ピント合わせ、露出合わせをやっている間に、絶好のタイミングを逃すことはしばしばなのだが、これから撮りますよ的な一連の作業はちょっとした儀式であり、撮る側からすれば嫌いではない手順である。建物のように撮影対象が動かない場合は、のんびり一つ一つ確認しながら設定してからおもむろに静かにシャッターボタンを押せば良い。
しかしスナップ写真などの場合、早く撮ってよ、ってなことになり「少々待たれい」とお願いしつつ、やや焦りながら撮ることになる。出来上がった写真を見ると、そのへんのやりとりが如実に出ていて、ゆったり待って下さる御仁と、せっかちな方では、明らかに表情が違うのがおもしろい。
このカメラは現在も私の手もとにあり、しっかり動く。今では生産されていない水銀電池を使うものなので、一時は使えなくなったと思っていたのだが、最近は電池のアダプターが売り出されていて、これを使えばアルカリのボタン電池でも露出計が正確に作動して昔同様に使うことができる。
ボディが金属製なのでかなり重く、まちあるきで長時間肩から提げているのは、正直しんどい。広角でもズームでもないので、建物を撮るときなどフレーミングしづらいことも多い。でも時々使ってみたくなるカメラである。