八ツ山通を少し行くと、天王洲運河の船溜まり。
天王洲運河 船溜まり/品川グランドコモンズ
Photo 2006.3.11
明治の頃はこのあたりまで海だったのだろうが、埋め立てが進んで海は遠くなった。辛うじて残されたこの水辺が、往時の土地の記憶を伝えている。
しかしここの風景もこの数年で激変したようだ。運河に架かる北品川橋からの眺めは非常に東京的。品川グランドコモンズの南端に、Vタワーという三角形の超高層マンションができてから、ここからの風景は良くも悪くもフォトジェニックになった。
東京の都市風景をテーマにした写真Blogをちらちら見ていると、最近はここの景色がしばしば登場する。肯定的にも批判的にも考えられる風景だと、私は漠然と考えていて、とりあえずこの風景については態度保留。
肯定的というか、批判的ではない視点からの場合、撮影者はこの新しい風景の登場をある意味、楽しんでいる。古めかしい江戸~昭和の建物景観と平成の新建物が調和しながら共存する風景と捉えている。木造建物に住まう生活と、高層マンションに住まう生活の不思議な共存、そして、高層ビルで働く人たちが、休みになると屋形船で遊ぶ。アジアンな都市生活の楽しみが東京には生まれているという楽天的な見方、またバブル期に起こったウォーターフロントブームは一過性だったが、その後十数年を経て、ウォーターフロントは着実に東京の人々の生活の一部にまたなっているという立場からの未来志向の捉え方、捉え方はいろいろあるが、とにかく新しく生じた風景を許容する人、そして更に、この風景の増加を歓迎する人が確かにいる。
一方、批判的な立場からこれを取り上げる者は、この風景を調和ではなく、混乱と捉えている。以前からの建物がなす景観こそが安定し調和したものであり、背景に現れた新建物は乱入者、景観の破壊者であると考える。まず一つ、建物のギャップが問題なのだろう。素材、大きさ、高さ、新しさ、前景の木造家屋群と、後景の超高層マンションは、様々な面で両極端のように異なる。また、そこに住む人の生活様式のギャップも問題とされる。昔ながらの地域コミュニティが残る街と、核家族でバラバラになった世帯群。海に大きく関連した生活と、海に近くても海とは全く関係のない生活。東京という都市の奇妙な断面が、不釣り合いな断層として表面に現れているという見方もされる。新しく造られた建物の景色に馴染めない一方で、その昔、江戸からの和風の風景にノスタルジーを感じ取る向きもある。木造の苫屋が本物で、超高層マンションなんて生活感がなくて薄っぺらだなんていう、やや観念的かつ感情的な見方も混ざり込んでいる。
中央区佃島で大川端リバーシティの建物が林立するようになったとき、佃島の古い木造建物群と小舟、佃小橋などの古めかしい風景の背後に、超高層マンションが聳える風景の写真が、しばしばメディアに登場していた。一昔前は佃、最近は品川の船溜まりの風景が、海に近い街・東京をよく表す写真なのかもしれない。
メディアにこのような写真を載せる時、たいがいその背後には何らかの意図がある。上記のような肯定的もしくは、否定的という見方、もっと直接的に美醜や善悪を語るもの、郷愁や愛着を表現するもの、などなど。様々な意図が、都市に対する写真家のスタンスが、そこからは読み取れる(ハズ)。
でもシンプルに、好きか嫌いかという視点で表現する人は少ない。そんな個人的な好き嫌いだけの価値判断だと、社会性がないとか、芸術性がないと言われかねないので、少なくとも写真表現をする人たちは、何らかの意図とか価値観を社会に対して発信すべく、無理矢理にでも意図を込めて表現に取り組んでいる(と思う)。
風景を見るときには、好きか嫌いか、という見方と、正しいか正しくないか(良いか悪いか)、という見方があるようだ。言い換えれば、主観的で感情的な見方と、客観的で冷静な見方、とも言えるかもしれない。
この話はしばしば、物事の判断の仕方の男女の違いとも言い換えられたりする。曰く、前者が女性的で、後者が男性的だという捉え方。 その真偽はともかくとして、都市の風景を考えるとき、ここで言うところの男性的な考え方には限界があるなと、最近私は考えている。正しい景色とか、良い景色とかいう議論には、なんだか虚しさを感じてしまう。議論してもきりがないという感触と、そもそも風景に対して、正しいとか間違ってるとか、良い悪いって評価をすること自体どうなのよ?、という感覚がある。最近はその手の議論には与したくなくなっている。so what?、それで?、という感じ。
無気力というわけではない。好きな景色はある。嫌いな景色もある。ただそこに、今の私には善悪を断ずる正義感がない。
さて、天王洲運河、北品川橋からの風景を私は好きか嫌いか?
答えは・・・・わからん!
印象的な風景だとは思う。写真に撮っておきたくなる景色だとも思う。でもそこに立つと、先ほどの言いぐさとは裏腹に、なぜか、良い景色とは?とか、悪い景色って・・・という思考が、いつの間にか脳内を駆け巡ってしまって、好き嫌いが判断できなくなってしまう。
私の中のどこかに、まだ善悪を決めなければとかいう、尊大な気持ちが残っているのかもしれない。
この時の写真は、晴天で抜けるような青空、穏やかな休日の午後の静かな風景である。黒い雲が流れるどしゃ降りの時とか、曇天でビル群が霞むような写真だったら、その印象は大きく異なるだろう。朝日にビル群が輝く風景、ビル群が夕日に照らされ手前の木造家屋が暗く沈む風景、はたまたキラキラとマンションの灯りが点る夜景、それぞれにフォトジェニックであろうことが想像される。現在の東京を端的に示しているという意味で、やはりとても面白い、興味深い風景だ。
だが、そこまで考えても、この風景の好き嫌いは分からない。
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