東京新旧写真比較(1981/2007) No.7 千代田区神田淡路町1-2付近
簡単に分かりそうだが、最初はさっぱり分からなかった場所。
Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン)
「宛名印刷機 アベアドレス」という看板が大きく掲げてあるので、ちょっと探せば見つかるだろうとタカをくくったのだが、これが大間違い。
実は、私はこの建物を今まで全く見たことがなく、写真で見るのも初めてだった。それでも都心の建物やお店なら、ネットで検索すればすぐに見つかると思った。ところが、現在の千代田区内にアベアドレスは無かった。住宅地図を眺めてもなさそう。
予想が外れて、いきなり手掛かりを失い、途方に暮れてしまう。仕方がないので、画像を拡大して、手掛かりを懸命に探してみると、電柱に取り付けられた看板に「かんだ やぶそば →この先」とあるのを発見。となると、やはり藪蕎麦の近くで、片側2車線以上の交通量の多い通りで、角が鈍角ないしは面が取られている交差点、ということになる。しかしこれだけでは場所特定の決め手にはならない。
「かんだ やぶそば」の電柱広告と3階建て看板建築
参ったなぁ、迷宮入りかと思い、がっかりしつつ、ふと左端の3階建て看板建築を見た時、あれ、どこかで見たことあるなぁ、変だなーと、ぼんやりした記憶が・・・。でもこんな看板建築を神田界隈で見たことは無いし、写真集かなんかで見たのかなぁ?、おかしいなぁ・・・、というわけで必死に思い出してみる。
しばらく脳内を検索して出てきた答えは、小金井の江戸東京たてもの園で見た、という記憶だった。3階の窓の両側に付く、楕円形の飾りが記憶の片隅に埋め込まれていて、神経衰弱ゲームよろしく、図像が重なったというわけ。移築後の様子しか見ておらず、元の場所では見ていなかったので、最初は全然わからなかった。どうりでなかなか思い出せなかったわけだ。
花市生花店(江戸東京たてもの園移築後の様子)
旧所在地:千代田区神田淡路町1-2
建設年:1927(昭和2)
Photo 2002.1.14
早速、江戸東京たてもの園のHPなどで旧所在地を確認して、淡路町の現場へ行ってみる。さてはて、現地には昔の面影は全くなかった。3棟の建物は1つの大きな建物に置き換わっていた。鈍角の角地部分はカーブした壁面になっていた。アベアドレスも当然ない。
ただ、電柱はまだ立っていた。電線の張り方は変わったが、やぶそばの看板も健在。もちろん電柱も看板も新しいものに交換されたりしたのだろうが、やぶそば看板の案内矢印は全然変わっていなかった。
手前の交通量の多い通りは、外堀通りだった。車がたくさん止まって写っているのは、淡路町の交差点で引っかかっていたから。このへんの状況は現在も変わっていなかった。
スライドからまだ見ぬ場所を探し出す作業は、推理ゲームのようで楽しい。始めるとやみつきになる。
ところで、最近になって、広尾にある都立中央図書館で、古い住宅地図を閲覧したところ、確かに神田淡路町1丁目に「アベアドレス」が掲載されていた。隣の出桁造りは、志のだ寿司の建物(反対側に移転して仕舞屋?)だった。古い住宅地図を見れば、比較的簡単に場所が分かったのかもしれないが、敢えて写真と記憶を頼りに探すのも一つの楽しみ方。ぼくの近代建築コレクション > アベアドレス/神田淡路町1丁目
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