都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

武田薬品工業

2019-02-10 | 中央区  
武田薬品工業
所在地:中央区日本橋室町 3-3
構造・階数:RC・4F
解体年:1999(平成11)
Photo 1997.5.13

 日本橋三越の少し東北側の一角に建っていた建物。

 手もとにある住宅地図(「はいまっぷ 中央区」セイコー社、1997.8)によると、武田薬品工業(株)となっている。これ、薬のタケダ関係の建物なのかしら? 詳細は不明。

 いつも見ているサイト「ぼくの近代建築コレクション」では、1986年の住宅地図で東京医薬品日本橋営業所、「廃景録」でも東京医薬品と記されている。

 名前が異なっていたので、改めて住宅地図(「ゼンリン住宅地図 中央区」1995年版・1998年版)で確認してみたところ、小堺化学工業(株)専用駐車場、と記されていた。

 80年代は東京医薬品、その後、写真の頃は武田薬品工業、そして最後の頃は上層階は使われておらず駐車場だったのだろうか。看板などが出ていなかったので、いろいろな名で記載されていたようだ。

 左端の建物はインバーハウスビル。外装が新しくて古い建物ではないようだったので撮影しなかったのだが、これも昭和初期に建てられたビルで、ライカの代理店が入っていたのでライカビルと呼ばれていたそうだ。そしてこのライカビルは、スパイゾルゲや下山事件に関わり合いがあり、ある意味で歴史の証人のような建物だったそうだ。このため、ライカビルが取り壊されることになった際には、新聞記事にもなったのだが、私はそのようなことは全く知らなかったため、写真も撮らずじまいに終わってしまった。

 右端の建物も、松下鈴木東京支社として1928(昭和3)に竣工したものだったそうだが、この全景も撮らずじまいになってしまった。ビルとビルの隙間に「和洋酒食料品缶詰問屋」という文字看板がわずかに見えている。

 「ぼくの近代建築」によると、最初は鈴木洋酒店という会社だったそうだ。合併をして社名が変わり、1995年の住宅地図では松下鈴木(株)東京支社、更に合併して現在は伊藤忠食品(株)となっている。このため1997年、1998年の住宅地図では伊藤忠食品(株)と記載されていた。

 武田薬品工業・東京医薬品の建物と、右側の伊藤忠食品の建物は1999(平成11)に解体。インバーハウスビル(ライカビル)も2004(平成16)に取り壊されたという。ちゃんと写真を撮っておけばよかったと、今頃になって至極残念に思う次第。

廃景録東京医薬品/伊藤忠食品
ぼくの近代建築コレクション東京医薬品、松下鈴木東京支社/日本橋室町3丁目
Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #オフィス  #商業系  #近代建築 
2019.1.31
コメント
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