都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

茨城県東京宿泊所

2007-04-18 | 文京区  

 根津の裏通りにあった立派な和風建築も、いつのまにか高級老人ホームとうどん屋さんに建て替えられていた。

茨城県職員東京宿泊所(旧田嶋浅次郎邸)
所在地:文京区根津 2-14
建設年・構造・階数
  本館 (写真左奥)  1911(明治44)・木造・2F
  玄関棟(写真手前中央)1916(大正5)・木造・2F
  蔵  (下の写真)  1910(明治43)・木骨煉瓦造・1F
解体年:2004(平成16)
Photo 1995.1.28

 いつ頃無くなったか知らなかったので調べてみたところ、いくつかのサイトに記述があった。最初は個人住宅として建設されたが、その後、料亭になり、戦後は企業や県の施設となったのだそうだ。最近になって、売却されることになり、保存運動などもあったが、最終的に解体・売却されてしまったということが分かった。ただ、下写真の木骨煉瓦蔵だけは、保存された。

KIKI'S TERRITORYIbaragi ken kaikan
ニッポン懐景録東京都 文京区根津2丁目(2)
ぼくの近代建築コレクション > 茨城県職員東京宿泊所/根津2丁目
住宅生産振興財団 > 家とまちなみ/No.49
 > [まちなみ・まちづくりエッセイ28] 明治のお屋敷を残したい・・・ 茨城県会館(東京・文京区)物語
Photo 2007.2.3

 当時の新聞記事によれば、茨城県は、利用率の低迷などを背景に、売却しようとしたらしいのだが、地元の文京区内で反対の声が上がったため、町並みに配慮した土地利用などを条件にコンペ方式で売却したらしい。
 文京区や地元、保存団体などから、防災面や景観への配慮、建物の保存活用を求める要望書などが県に提出されていたとのこと。茨城県は売却の条件として、隣接境界には十分なオープンスペースを確保すること、町並みに配慮した土地利用とすることを条件にしたのだそうだ。

 関係者ではないのでその後の詳細は存じ上げない。結果的に高級老人ホームができ、その一角にうどん屋さんができた。休日ともなると、お散歩ついでのお客さんが次々にやってくる。木造の本館と玄関棟はなくなり、煉瓦の蔵と庭園の一部が残されたのだという。

 茨城県は、既存の建物を最大限保存して活用するという条件は、付けるつもりがなかったのだろうか。そうしたら買い手がつかないと考えたのかもしれない。でも周辺にオープンスペースを十分確保する、という条件では、却って既存建物は壊さざるを得なくなってしまうような気がする。

 ところで、妙な言い方かもしれないが、赤字垂れ流しでも気にしないでほったらかしにしてたから、この建物は最近まで存続できたのかもしれない。何かがきっかけで、放ってはおけないと意識され始めた途端に、存続の道が閉ざされた。その意味では、今までの官の体質は、古い建物や変な建物の存続に寄与してきた面があるが、最近はそうならないことが多くなってきた。情報公開が進み、民による監視が広がるのは当然で、官の人々がお金に細かくなるのも仕方がないこと。どちらかというと無駄が多い古い建物の存続にとっては、これは不幸なことかもしれないが、そのような中でも存続できる仕組みを考え出す他ない。なにか巧い方法はないのかしら。

 老人ホームとしてだと、確かにもとの建物そのままでは運営できそうにない。でも、うどん屋さんとしてとか、料理屋さんとしての使い方だったら、昔の建物をそのまま使った方がもっと人気が出たんじゃないかなーと、思うのは私だけではないだろう。
 もう少し腰を据えて、巧い利用法を考えてから売却に踏み切れば良かったのにと、当時は全く知らなかったくせに、外野から後から文句を言いたくもなる。全ては、終わってしまった後の泣き言で、部外者の遠吠えなんだけど・・・。


2022.8.25追記
 戦前期(1934〜39年)の火災保険特殊地図では「高橋武三」邸、また戦後期(1953年)の同地図では「旅館翠月」と記されている。また、かつて蔵は北西側にあったようなので、保存に際しては曳家がされたのかもしれない。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #古い建物 文京区  #住宅系 
#和風住宅  #倉庫・蔵  ブログ内タグ一覧
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銀座にて

2007-04-17 | 中央区  
銀座5丁目にて Photo 2007.1.16

Dior 銀座(右)
設計 :乾久美子
所在地:中央区銀座5-6
建設年:2004(平成16)

GUCCI 銀座(正面奥)
設計 :大林組+James Carpenter Design Associates(ファサード部分)
所在地:中央区銀座4-4
建設年:2006(平成18)
#新しい建物 中央区  #街並み 中央区  #夕景・夜景  #商業系  #乾久美子 
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愛宕山から

2007-04-16 | 静岡県  
静岡市葵区愛宕山から市内北部方面、右方の高い山が龍爪山
Photo 1989.8.21
静岡の街並み
#街並み 静岡県  #眺望  #山
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Photolog

2007-04-16 | Weblog 

 今まで、写真を掲載する場合は、原則的になんだかんだと考えたことを記してきましたが、どちらかというと文章を書くのが私は苦手で、文章書きがハードルになって定期的に更新できない結果にもなっておりました。
 で、さらに、現在、ちょっと懸案事項があり、落ち着いてBlog記事を書くことができなくなりつつあります。

 そんなわけで、今後しばらくは、テキストほとんどナシ、写真のみという、Photolog状態になるかもしれません。もちろん、気が向いたらテキストも書きますけど。
 写真愛好家の方々のように美しい写真は撮れませんし、ほとんどが記録写真みたいなもので、大したものではありませんが、お暇ならお付き合い下さいませ。

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神田神保町3丁目

2007-04-09 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.6 千代田区神田神保町3-5付近

現場に行ってみたら、当時の建物は一棟も残っていなかった。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.27(マウスオン

 1981年の写真を見たとき、すぐに靖国通り沿いの神保町のあたりだなとは思った。大学のある高田馬場から神保町へ行くときに、東西線を九段下で下車して靖国通りを歩いていくことが多かったので、なんとなくこれらの建物は記憶があった。

 ただ、中央の「ペンギン書房」という目立つ建物についてはあまり記憶がなかった。どこかの本で見た記憶はあるのだが、実際に間近で見た記憶がない。私がちょこちょここの界隈を訪れるようになった頃には、あるいは既に無くなっていたのかもしれない。

 とにかく、現場に行けば周辺の建物が一つぐらいは残っているだろうと思って行ってみたら甘かった。全部建て替わっちゃって、一つも残ってないじゃないか・・・。

 縮小した画像では分かりにくいが、1981年の写真で、左後方奥に都ビルという建物が見えている。比較的新しい建物なので、これはさすがに残っていた。だが、靖国通り沿いに大きな建物が建ってしまったので、このビルも通りからは見えなくなっていた。そんなわけで、撮影位置に関する詳細な手掛かりは全くなし。右方のレストラン天地の建物は最近まであったらしく、現在の写真で見ると、そこだけビルで囲まれた空き地になっている。あとは左端の信号ぐらいだろうか。

 四半世紀で街並みがまるごとひとつ無くなってしまうのだから、全く参ってしまうなぁ。

#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区  #看板建築 
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Google Mapで地図づくり2

2007-04-07 | Weblog 

 昨年、「Google Mapを使って地図づくり」という記事を書いた。この時は、地図Zというサイトで、比較的簡単に、Google Mapを使った地図を作ることができると書いたのだが、それでも下記のように多少の問題はあった。

1.地図上のポイントマーカーが最大5つまでであること。
2.吹き出しでの解説に対応していないこと。
3.マーカーから外部へのリンクを張れないこと。
4.Googleとは別のサイトにマーカー情報などが保管されるので、サービスの継続性に若干の疑問があること。

 そんなこんなで、その後は、この地図Zというサイトにもご無沙汰になっていた。

 Google Mapに関しては、その後の検索で、Google Maps APIという公開情報を用いて、独自にいろいろアレンジをすることができることが分かった。地図ZもこのGoogle Maps APIを利用して、構築されたものだった。

 上記の懸案事項も、プログラムの知識があればクリアできる問題らしかったのだが、私はそれほどプログラムの知識もないし、そのために勉強して、独自に作るほどの根気もない。

 というわけで、Googleさん、もそっと便利なサービスを提供してくんないかなぁと、ぼんやり勝手に期待していたのだった。

 企業向けのサービスとしては、ポイントマーカーが検索対象となり、吹き出しや外部リンクを張れるようになっていることは、Google Map上で、お店や企業を検索してみればすぐ分かる。

 また、前述の記事に対するトラックバックで、ALPSLABでは比較的簡単に「ALPSLAB mybase」というエリアで、個人的なマーカーを記載した地図を作れることも、教えて頂いたりした。しかし、こちらはこちらで、経路線を引くことができないし、ブログのトラックバック機能を使ってポイントマーカーを置くので、普通のHPのページにリンクするマーカーを置くことができない。経路を書き込み、リンクを入れ、写真を表示する「ALPSLAB route」もあるのだが、こちらは公開されてしまうようで、他の沢山の地図とごっちゃになってしまう。あと、個人的にはポイントマーカーの形が好きじゃなかった。

 そんなわけで、どちらも長所と短所があって、使用には踏み切れないでいた。

 ところが昨晩、ネットで新聞を読んでいたら、Googleが個人的な地図づくりを可能にするマイマップサービスを開始したという記事を発見! なんだそれ?、と思って、早速Google Mapを見てみたら、おおっ! これこそ、私が待望していた地図づくり方式ではないかっ! と、小躍りしてしまうような無料サービスが始まっていた。(地図作成には、Google Accountの登録(無料)が必要)

 上に掲げた問題の内、1~3は完全に解消。4もGoogle自らのサービスなのでまず心配なし。しかも、こちらの期待を超えるサービスも。

1.吹き出しに写真も貼れる。写真の大きさ指定もできる。
2.多角形でエリアを囲める。
3.目印(ポイントマーカー)のデザインを選べる。
4.線の色、太さ、透明度を変えられる。多角形も同様。
5.自分用にいくつでも地図を作ることができ、公開、非公開を選択できる。(公開の場合は一般的な検索対象となる。非公開の場合は、地図のアドレスを知らせることで、知人だけに見せることができる。)

 もちろん、一度作った地図を後からいくらでも編集可能。また衛星写真モードで見ることも当然可能。もう、すんごいです。

 というわけで、早速ちょっと遊んで地図を作ってみました。各項目をクリックすると吹き出しが出ます。吹き出し内の画像をクリックすると各記事へ行きます。是非御覧下さい。

六本木周辺 記事マップ
失われた近代建築map 新宿区

 私、今のところ、これ以上のサービスは求めませんです。地形、階段ファンとしては、マップ上に等高線が入ったり、標高別の色分けができたら最高ですが、そこまでのワガママは申しません。今やってる仕事が一段落したら、東京都心の階段マップを区毎に作ろうと思います。できれば写真付きで。

 Googleさん、このサービス続けてね。あと、衛星写真は全世界あるけど、地図がまだ部分的にしかないので、海外の地図、例えばロシアとか中国も今後、是非おねがい。

#地図  #失われた建物 新宿区 
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謎の木造建物

2007-04-05 | 新宿区  

 西武新宿線の下落合駅近くで10年前に見た建物

謎の木造洋風建物
新宿区下落合1
Photo 1996.6.23

 この建物は、階段調査を始めた頃、落合界隈を歩いていて見かけた。資材置き場のように使われていた敷地内に建っていた。気になって2枚だけ写真を撮ったのだが、この頃は階段調査の方に集中していて、この建物を再度見に行くことはなかった。

 最近、昔の写真アルバムをひっくり返していて、また気になり始めたので、改めて行ってみたが、建物はいつのまにか解体されていた。撮影した時に、きちんと場所を記録しなかったので、下落合1丁目で駅のそば、たしか新目白通り沿いにあったという記憶しかない。

 写真で見れば一目瞭然だが、とにかく怪しいところ満載の、謎の建物だった。なーんでそうなるかなぁ、という突っ込みどころ満載。

 そもそも、なぜこの建物のまわりが資材置き場になっていたのかが不明。ほとんどゴミ置き場のような感じになっている中に、なぜこんな建物が・・・。

 さて、この建物、用途は何だったのだろう? アパート、個人住宅、住宅併用事務所? どれも当てはまるが、どれも微妙に違う気がする。で、結局わからない。1Fは使っていたのだろうか? 物置? だいたいこの高さで1Fは使えるの? わからん・・・。

 木造建物なのに、半円形の洋風アーチ。2Fの窓は全然洋風じゃない普通の横引き窓で、屋根も普通の瓦屋根なのに、なぜか1Fだけが洋風で、大振りなアーチの柱廊。でも普通の2階建ての下にアーチを造ったので、アーチの位置が異常に低く、アーチを支える柱部分も短い。柱間が異なるので、アーチの大きさも異なる。

 円柱は青い細かいタイル貼り。柱頭部分はオーダーなどという気の利いたものではなく、よくわからない八角形の皿。しかもなぜか中央手前に見える柱頭だけ、異様に低い位置にある。アーチとの間に隙間が空いちゃってるじゃないか。土中に柱が打ち込まれて、柱頭が下がってしまったようにも見える。

 建物は左方が解体されたのだろうか。ぶっつり切れていて、青いトタン壁があてられている。何らかの改築が行われたのは間違いないが、これがいいかげんで、角の部分は壁の断面がボロボロ見えている。だが、もし左方に部屋があったら見えないはずの、断面中央の柱にもタイルが貼ってある。なぜ? 前はどんな形だったんだろう?

 右方の階段も結構大胆な造形だ。とってつけたようにドーンと階段が付いている。木造階段だが、手摺部分は全てモルタルで塗り込められている。そしてこの階段に架かる屋根を支える柱もタイル貼り。階段を上がった先は、すぐ横引きの扉で、玄関前スペースが全くない。ウーン、もしかすると全て自家設計、自家建設で造られた建物だったのかもしれない。

 部分的に洋風なところがあるので、もともとはそれなりにハイカラな建物として建てられて使われていた時期があったはず。でも撮影時は、まるで打ち捨てられたように見え、そのギャップがかなり奇妙な雰囲気を醸し出していた。

 青い壁面に掲げてある大きな広告看板状のものには「57年8月完成予定」と書いてあるのだが、何が完成するかはさっぱり解らない。まさかこの建物の完成予定日なんてことはないだろうし・・・。

 57年というのはたぶん昭和57年(1982年)なのだろうが、撮影したのは平成8年(1996年)だったので、恐らくこの時点で既に過去の情報になっていたのだろう。完成予定であると書かれていた何かが完成したから、下の絵は消したのかもしれない。でもなぜか予定日の文字だけが残された。なぜそうなる?

 後方には煙突が見えている。銭湯ではないようだが、ボイラーか何かの煙突だろうか? 今となっては、分からないことだらけだ。

 アーチ部分だけを見ると、意外に魅力的だったりする。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 新宿区 
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初日

2007-04-01 | 港区   

なぜか初日に行ってしまった。

東京ミッドタウン西側から
Photo 2007.3.30

 桜が咲いている階段の写真を撮りに六本木に行ったら、東京ミッドタウンへ沢山の人が向かっていた。わざわざ混雑するオープン初日に行かなくてもいいやと思っていたので、最初は入ってみるつもりは全然なかった。だが、歩いていたら近づいてしまったので、ついでにちょっとだけ冷やかしてみることに。 なんでもいいけど、おおきいなあ、やっぱり。

ビッグ・キャノピー

 ビッグ・キャノピーと名付けられた大屋根もなかなか魅力的な空間。同様の空間はあちこちにあるが、ここの柱は樹木のように枝分かれしながら屋根を支えていて格好いい。でもその上の屋根部分のフレームは、ちょっとグチャグチャしていて、ややスッキリしない感じ。

ガレリア内の吹き抜け

 意匠デザインとかインテリアデザインの専門家じゃないので、細かいところは分からないが、内観も外観も全体に比較的上品な印象。

 素人の一見の比較だが、六本木ヒルズと東京ミッドタウンを較べてみると、前者はどちらかというと攻めの形で大胆な造形で、ちょっと濃いというかバタくさい気がする。これに対して後者は、繊細であっさりしている。

 六本木ヒルズは、外観がメタリックで、鎧兜をモチーフにしたとも言われる。平面形も楕円形で、超高層ビルとしてなかなか斬新な形をしていて、ややアクが強く、建設当初は目を惹いた。だがよく見ると、意外に大雑把なデザインだなと思われるところも。

プラザ

 一方、東京ミッドタウンの建物群は、それほど斬新で新しい形をしているようには見えない。流行のルーバーを用いていたりはするのだが、どちらかというとシンプルで、瀟洒なガラス張りの四角い建物。ビッグキャノピーのデザインは比較的大胆だが、他の部分は手堅い。高さは東京一だそうだが、さほど個性的な形ではないので、普通の人では他の建物と見分けがつかないのではないかと思う。でも細かいところのデザインの一つ一つが洗練されていて上品な感じ。

 ただ、高層棟上部のホテル部分のガラスが、斜めになってたり、波打っているようなのだが、施工ミスかと思ってしまうほど、小さなデザインで、あれは意味があるのだろうか? 正直言って、繊細すぎて印象が弱い。

 どちらのデザインが好みかは人によって分かれると思う。乱暴な言い方をすれば、六本木ヒルズは男性的でステーキ味、東京ミッドタウンは女性的で和食、かな?

 さて、見た目のデザイン以外の面で、気がついたことは、全体のプランニングの分かり易さについて。

 東京ミッドタウンの全体レイアウトは、六本木ヒルズに較べると、かなりシンプルだ。外苑東通りを基準にして、これに直行ないしは平行するかたちで建物群が建てられている。わざと少し斜めに向けられているものもあるが、全体としては直行座標系の中に収まっている。芸がないと言えばそうなのだが、初めて来た人にも分かり易い。メインの超高層タワーを中心にして、通り側と公園側、六本木寄りと乃木坂寄り、というように、建物内に居てもおよその方向、位置感覚が知覚できる。

 立体的な構造もシンプルだ。メインになるのは、地下鉄から繋がるB1F、通り沿いの1Fのみ。若干の地形的高低差があるので、B1は公園側で地上階になり、1Fは空中デッキとなるが、せいぜいその程度で分かりにくくはない。

 10分も滞在すれば、全体の様子が把握できてしまうので、最初は、なぁんだ、こんなもんかとちょっとつまらなく思った。だが、分かりにくくて右往左往するよりは全然マシだなと、この後で、六本木ヒルズに行ってから思い直した。

 六本木ヒルズの場合、やや深い谷があった場所を含んでいるので、立体的なフロア構成になっていて、実際かなり分かりにくい。また地形的な制約もあったのか、レイアウトも妙に複雑だ。そして楕円形のメインタワーの周囲にリング状に店舗が並んでいる。知人の多くも、何度行っても迷うと言っており、方向感覚や現在位置がかなり知覚しにくいプランである気がする。

 プランナーは、迷路性が回遊性を生むなどと言っていたりするのだが、分かりにくさが嫌悪感に繋がると、リピーターは増えない。私は個人的には、六本木ヒルズの低層部プランは、成功とは言い難いのではないかと思っている。

 もちろん、地元でしばしばここを使っている人は、慣れてしまっているので恐らくなんとも思わないだろう。関係者のための街ならそれでよい。だが、初めての人を含め、多くの人を外から呼び込もうとするには不利な形だと思う。

檜町公園の桜

 先ほど地形的に複雑と書いたが、森ビルが手がけるヒルズの多くは、もともとは多くの住宅が密集する場所であることが多い。三井不動産が手がけた東京ミッドタウンは、一括して払い下げを受けた広大な土地で、昔から武家地などとして一体的だった場所。これに対して、六本木ヒルズやアークヒルズは、谷地を含み、小さな住宅が沢山集まっていた場所で、もともとは大型の再開発がしにくく、敬遠されていた場所である。森ビルは、三菱や三井のような昔から事業を行ってきた会社ではなく、後発だったため、敢えて他が手を付けない場所で開発を進めたとしばしば言われる。そのような経緯が、立地、更にはプランニングやデザイニングにもそれなりの影響を与えているのかもしれない。

 六本木ヒルズは、建設の際に一つの谷を半分ぐらい埋め、そこに人工地盤を何層も架けている。アークヒルズも谷から丘にかけて人工地盤を造って造られた街だ。地形的な複雑さを逆手にとって、他にはない立体的な空間作りをしたいという意欲が、プランニングに現れ、面白い遊歩空間ができているのだが、初めて来た人には複雑すぎて分かりにくい。デザインの味がちょっと濃いのも、他にはない個性を求め、差別化を図った結果なのかも知れない。

 ミッドタウンは単純なので、迷って遊び歩きたい人にとってはつまらないかも知れないし、一度来れば様子が分かってしまうので、飽きてしまうかも知れない。でもそれは空間に関してであって、コンテンツが魅力的ならば、人々は何度でも来てくれる。何度も訪れる空間には、妙な空間の複雑さは無用だと示している気もする。デザインが繊細であっさりしている気がするのも、無用な主張をしたくないのかなと思った。殊更に目を惹くデザインをせずとも、上品な感じがすればそれで良し、という感じ。

 そのように考えてみると、なんだか、二つとも会社の考え方が現れてるのかもしれないなぁと、素人ながら思ったのでした。

#新しい建物 港区  #高層ビル  #広場 
#吹き抜け・アトリウム  #花・紅葉  #オフィス 
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