きょうは朝から家の前を流れる千鳥川の清掃の日。(通称川祭り)
これは昭和32年7月25日の諫早大水害の時に
この地域も千鳥川の氾濫で甚大な被害を受けており、
それ以来、地域の年中行事として毎年行われています。
以前は7月25日の諫早水害犠牲者慰霊祭にあわせて実施していましたが、
数年前から梅雨前に行われるようになりました。
当時私はまだ2歳で、全く記憶に残っていませんが、
川の氾濫で非難しようとおふくろが私を背負って外に出た瞬間に
裏山の崖が崩れて家が潰されたそうです。
ひとり逃げ遅れた祖父が家の下敷きになりましたが、
すぐ助け出され、幸いにも軽傷で済んだそうです。
全国から古着、鍋、茶碗等が救援物資として送られてきたそうです。
また、田植えを終えたばかりの田んぼも土砂の流出で、
稲の苗の救援もあったと聞いています。
当時、諫早市は市内を流れる本明川が氾濫して家屋の流失313棟、
全壊391棟、死者586人を出す大惨事となっています。
この諫早水害をきっかけにして、狭い地域に大量の雨が降る
「集中豪雨」の研究が始まったそうです。
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これは昭和32年7月25日の諫早大水害の時に
この地域も千鳥川の氾濫で甚大な被害を受けており、
それ以来、地域の年中行事として毎年行われています。
以前は7月25日の諫早水害犠牲者慰霊祭にあわせて実施していましたが、
数年前から梅雨前に行われるようになりました。
当時私はまだ2歳で、全く記憶に残っていませんが、
川の氾濫で非難しようとおふくろが私を背負って外に出た瞬間に
裏山の崖が崩れて家が潰されたそうです。
ひとり逃げ遅れた祖父が家の下敷きになりましたが、
すぐ助け出され、幸いにも軽傷で済んだそうです。
全国から古着、鍋、茶碗等が救援物資として送られてきたそうです。
また、田植えを終えたばかりの田んぼも土砂の流出で、
稲の苗の救援もあったと聞いています。
当時、諫早市は市内を流れる本明川が氾濫して家屋の流失313棟、
全壊391棟、死者586人を出す大惨事となっています。
この諫早水害をきっかけにして、狭い地域に大量の雨が降る
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