「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        戦時下一回開催された「箱根駅伝」

2011-01-04 07:47:26 | Weblog
年末年始のテレビ番組に興味がなくなって久しい。若かった頃はNHKの「紅白」に夢中で見たこともあったが、最近は名前も聞いたことがない歌手や横文字ばかりの歌が多く、最初から見る気にならない。そんな中で「箱根駅伝」だけはかかさずに見ている。正月酒をちびりちびり飮みながら、若い人が全力で抜きつ抜かれつ走る姿に感動を覚える。やはりテレビの面白さはライブの同時性だ。

この「箱根駅伝」が今年で87回目の開催だという。戦前からある伝統の大会だが、一種の国民的行事になったのは、戦後ラジオで実況中継し、そのあとテレビで全走路を生中継し始めてからではないかと思う。戦前は関係者以外あまり知られていなかった。その点は同じスポーツでも夏の甲子園高校(中等)野球や東京六大学野球とは違う。

こういったスポーツも戦争中は中止された。ところが「箱根駅伝」だけが昭和18年だけ開催されている。その第22回大会は「関東学徒鍛錬継走」大会と名称は変え、コースも靖国神社前が出発点、ゴールは箱根神社前であった。いかにも時代を思わせる大会であった。ちなみにこの時の優勝校は今年の大会で最下位であった日大で、二位はこのところ予選会でも活躍がない慶応大学であった。

戦争中、「箱根駅伝」はこの第22回だけしか開催されていない。なぜなのだろうか。これは僕の推測だが、昭和18年1月という時代ではないかという。大東亜戦争は緒戦の大勝利でまだこの時期までは、国民全体が勝利に酔っていた空気があった。恐らく「箱根駅伝」も戦意高揚をかねて開催されたものだろう。それからまもなく「撤退」とか「玉砕」とかいった言葉がラジオにも流れ、スポーツどころではなくなってきた。