「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            太平記と「建武神社」の廃墟

2011-01-24 07:27:46 | Weblog
昨日NHKラジオ(第一)早朝番組「文学のしずく」で久しぶりに太平記の朗読を聴いた。戦前、皇国史観の歴史で育った僕らの世代にとっては太平記に出てくる後醍醐天皇や楠正成、新田義臣の名前はとても懐かしい。忘れかけていた、この時代の出来事が陳腐な表現だが、走馬灯のように想い出された。

まったく偶然なのだが、一昨日、僕は遠縁の三回忌の法事で東京の首都高速道路沿いにある母方の墓地に参拝した。この当たりは、高速道路の建設によってすっかり様変わりしてしまった。昔、この墓地の上には「建武神社」があったのだが、いつのまにか壊されていて、僅かに石垣と石屏の一部だけが残り廃墟となっていた。

僕の記憶だと、この「建武神社」は昭和15年、紀元2600年の奉祝行事の一つとして建設された。戦争中、国民学校(小学校)の生徒だった僕は毎月8日の大政奉戴日(大東亜戦争が始まった12月8日を記念した)には、級友とともに神社を参拝、持参の竹ほうきで境内を清掃したものだった。

戦時中は儒教的な大義名分に立つ君臣論から南朝の後醍醐天皇と建武の復興が高く評価され、各地に建武神社が建てられた。鎌倉への遠足でも八幡宮や長谷の大佛とともに後醍醐天皇の皇子、護良親王が幽閉された大塔宮の土牢に参るのが一つのコースになっていた。これに対して足利尊氏は徹底的に逆賊として教えられた。

「建武神社」の廃墟をみて、僕は自分の生きてきた80年を振り返り、歴史の変な面白さを実感した。今、学校ではどんな歴史教育をしているのだろうかー。