「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         避難所生活と町内会(隣組)組織

2011-06-13 07:01:04 | Weblog
岡山市に本拠を置く国際医療ボランティア組織「AMDA」の菅波茂理事長が昨日のNHKラジオ「深夜便」の中で東日本大震災での避難生活が組織だって円滑に運営されているのを、海外から来日した救援ボランティアが驚いている、と述べていた。菅波氏は”これは多分、日本独特の町内会組織がうまく機能しているからだ”と指摘していた。

町内会組織は、日本に昔からあった「結」(ゆい)に起源するといわれるが、日中戦争の直後、大政翼賛会の末端組織として整備され、全国的に広がりをみせた。当時小学生だった僕も「隣組のうた」(岡本一平作詞、飯田信夫作曲 昭和15年)を通じて町内会組織の活躍をよく覚えている。
                   ♯ 「隣組のうた」の三番
           とんとんとんからりんと隣組  地震かみなり 火事泥棒
           互いに役立つ用心棒 助けられたり 助けたり

この隣組組織は大東亜戦争中,日本の軍政下のインドネシアにも移植されRT(RukunTetenga)RW(Rukun Warga)として、今でも行政の下部組織、住民の親睦機関として機能しており、2004年12月のスマトラ沖巨大津波の際には救援からその後の復旧復興活動に役立ったと、インドネシア側の資料にも記述されている。

残念ながら、日本の「隣組」は戦後連合軍によって全体主義に通ずるとして解体され、その後復活されたが、都会では団地など集合住宅が増えて「隣組」本来の機能が失われてきたところが多い。しかし、今回の大震災によって、はからずも「結」(ゆい)の大切さが再確認される結果となった。