昨日、旧友に招かれて新宿超高層ビルの一角にある展望台のある高級レストランで彼の91歳の誕生日を祝った。彼は大学の同窓生だが、南方戦線からの復員の遅れと戦後の学制改革などの影響を受けて昭和28年の大学卒業時には、すでに32歳になっていた。地方出身の苦学生で生活費と学費を稼ぐために進駐軍の将校クラブでバーテンダーをしていた。卒業後も就職口がなく、進駐軍で働きながら難関の観光ガイドにパスした。そして35歳をすぎてからNHKに入社し、さらにNHK定年後は大学院で勉強をし直し、卒業後は東京の女子大学で70歳まで英語を教えていた。頭の下がる苦労人である。
誕生会に同席した友人の一人が「養命酒」で発行している長寿の栞を参加者に披露してくれたが、それによると、昨年卒寿(90歳)を祝った旧友の次のお祝いは99歳の白寿である。そして、その後は108歳の「茶寿」、111歳の「皇寿」、112歳の「珍寿」と続く。白寿は漢字の「百」の字から、上の「一」をとり九十九の意味だ。僕も白寿までは知っていたが、その後の茶寿、皇寿、珍寿は初めて聞くお祝いだ。いつ誰が決めたお祝いだか知らないが、いずれも語源は白寿と同じような漢字遊びからきている。
戦前、子供だった頃、母方の祖母が77歳の喜寿のお祝いをしたことを覚えている。祖母は元治元年生まれであったが、すでに若干痴呆症にかかっていた。当時は長寿のお祝いは喜寿が最後であった。祖母が白扇に「寿」の字を書いて、お祝い返しにしていたのを子供心に覚えている。
超高齢者社会で今は喜寿など長寿のお祝いの始まりの始まりである。友人は生涯独身でかくしゃくとして元気である。白寿のお祝いだけでなく珍寿のお祝いもまんざら夢ではない。
誕生会に同席した友人の一人が「養命酒」で発行している長寿の栞を参加者に披露してくれたが、それによると、昨年卒寿(90歳)を祝った旧友の次のお祝いは99歳の白寿である。そして、その後は108歳の「茶寿」、111歳の「皇寿」、112歳の「珍寿」と続く。白寿は漢字の「百」の字から、上の「一」をとり九十九の意味だ。僕も白寿までは知っていたが、その後の茶寿、皇寿、珍寿は初めて聞くお祝いだ。いつ誰が決めたお祝いだか知らないが、いずれも語源は白寿と同じような漢字遊びからきている。
戦前、子供だった頃、母方の祖母が77歳の喜寿のお祝いをしたことを覚えている。祖母は元治元年生まれであったが、すでに若干痴呆症にかかっていた。当時は長寿のお祝いは喜寿が最後であった。祖母が白扇に「寿」の字を書いて、お祝い返しにしていたのを子供心に覚えている。
超高齢者社会で今は喜寿など長寿のお祝いの始まりの始まりである。友人は生涯独身でかくしゃくとして元気である。白寿のお祝いだけでなく珍寿のお祝いもまんざら夢ではない。