「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”恐れ入谷の鬼子母神”消えゆく江戸の洒落言葉

2015-07-08 05:22:36 | Weblog
東京に初夏を告げる入谷の朝顔市がいま台東区の言問通りの鬼子母神(真源寺)界隈で催されている。江戸時代、この当たりに朝顔栽培農家があった頃の名残だそうだ。一時、都会化の波で農家がなくなり閉鎖されていたが、戦後復活されて今では毎年、各地から百軒以上の店が集まり、開催中(7月6,7,8日)3日間に40万人もの人が集まる。

この朝顔市に関係なく、僕は子供の頃から”恐れ入谷の鬼子母神”とい言葉を聞いていた。しかし、この駄洒落言葉の後に”びっくり下谷の広徳寺”があったのは知らなっかった。広徳寺は昔、今の台東区役所あたりにあったが、関東大震災で焼失、練馬に引っ越してしまった。江戸っ子は、こういった地名を駄洒落化するのが好きだったようで、少し下品だが”火事はどこだ、牛込だ。牛の○○丸焼けだ”というのもあった。

明治26年生まれの母親は、東京でも”在”の大崎町の生まれだったが、僕の子供が幼かった頃、昔からの駄洒落を言って笑わせていた。子供が”汚い”というと”北がなければ、日本は三角”とか、これも下品だが”たいしたものだよ。野馬のしょんべん(小便)といった類。大人になった子供たちは今でも亡母の駄洒落を憶えている。

たまたまNHKテレビの”みんなのうた”を見たら「へへののもへじ」を放送していた。「へへののもへじ」東京だけのものではないが、戦前よく東京の下町にあった木塀に落書きされていた。女の子の下町の横丁の遊びには”とおりゃんせ”や”隣のぼたん”など、江戸時代の遊びが受け継がれていた。江戸時代のものではないが、当時、男の子は舗装された道路の上に”左回り、右回り、応援団がチャチャ”の絵を描いたものだ。今では消えた戯画だが、当時の遊びのひとつとして記しておく。

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2 コメント

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木の塀 (chobimame)
2015-07-08 09:25:49
昔は、木の塀や道などに子供の落書きがありましたが、今は見かけません。
もっとも子供の外遊びが難しい時代になってさしまったので致し方ありませんが。
最近の塀に落書きといえば、スプレー缶でアメリカのスラムやダウンタウンから出たような絵で、書かれた家は笑い事ではありません。
子供の遊びにも情緒がありませんね。
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気味の悪い落書き (kakek)
2015-07-08 11:28:19
chobimame さん
街のあちこち世最近でも見られる、あの変な書体の落書きはなんですか。気持ちが悪いですね。10数年前、イタリアを旅行したさい、列車の車体にあれと同じ書体の落書きを見たことがあります。宗教団体に関係しているのかもしれませんね。
そういえば、東京には落書きしたくとも木の塀などなくなりました。戦前、東京には”へへののもへじ"を商標にした大きなキンツバ屋さんがありました。
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