旧友(86)がすっかり老けこんでしまったのに驚いた。3年前あった時は元気で、集まりの後、僕を自分の車に乗せてホテルまで送ってくれた。ところが、今回会うと、杖をついてる。話を聞くと、息子さんの勧めで免許証を返還したのだという。その後、健康のために散歩をし始めたら,庭で転倒して右足を骨折、1か月入院していたとのことだ。今は要介護3の認定を受け、週に4回デーサービスを受けているという。
老妻の実兄も昭和4年生まれで旧友と同じ年だが、彼も急においてしまった感じだ。腰を痛めて趣味の社交ダンスが出来なくなったのが原因らしい、やはい介護3の認定を受け週に2回、車の送迎でデーサービスを受けている。義兄は義姉に先立たれ、独り暮らしをしている。日常生活には支障はないが、多少、老妻に言わせると、認知症気味ではないかという。
他人事ではない。今回の1泊旅行は、僕らにとって、やはり老いを実感した旅だった。。ホテル代をけっちって安宿に泊まったところ、部屋がバリア―だらけで危ない。バスタブは深くて、人工関節の僕にはまたげない。甥が僕ら夫婦を季節のきのこ料理に招待してくれたが、お座敷で僕には座れない。信州方言で、元気のないのを”ずくなし”というが、すっかり”ズクなし”老人になってしまったものだ。
老妻の実兄も昭和4年生まれで旧友と同じ年だが、彼も急においてしまった感じだ。腰を痛めて趣味の社交ダンスが出来なくなったのが原因らしい、やはい介護3の認定を受け週に2回、車の送迎でデーサービスを受けている。義兄は義姉に先立たれ、独り暮らしをしている。日常生活には支障はないが、多少、老妻に言わせると、認知症気味ではないかという。
他人事ではない。今回の1泊旅行は、僕らにとって、やはり老いを実感した旅だった。。ホテル代をけっちって安宿に泊まったところ、部屋がバリア―だらけで危ない。バスタブは深くて、人工関節の僕にはまたげない。甥が僕ら夫婦を季節のきのこ料理に招待してくれたが、お座敷で僕には座れない。信州方言で、元気のないのを”ずくなし”というが、すっかり”ズクなし”老人になってしまったものだ。
やはり散歩で転倒し、入院してから気力体力も弱りました。
若い時のようにはいかなくても、気晴ら趣味などで、社会との接点があると、老け込まないようです。
最近は、スポーツクラブが運営するリハビリ兼デイケアもあります。
そういうものを活用しても良いかもしれません。
適切な食事と運動(室内外での転倒には特に注意)を続けられて、ぜひとも稗田阿礼ではありませんが、孫世代・曾孫世代にも、歴史の真実を伝えるべく、ブログを書き続けてくさいますようお願いたします。
先日、国連での9月、翁長知事知事のスピーチに対して、沖縄で生まれて育った若い我那覇真子さんが、「沖縄県民は先住民ではなく、日本国民として、最高度の福祉・教育を享受し、人権も守られている」と国連演説を通して、反論をしていました。
https://www.youtube.com/watch?v=WYwizSCDdos
このように日本女性が英語で堂々と国際世論に向けて、主張できる時代が来たのも感無量です。
自動車は便利ですし、地方居住者には必需なのですね。これを取りあげられるのは酷です。かといって、高齢者の運転は危険です。お知り合いに同じような方がいると知り、同じような方がもしかすると沢山いるかもしれません。車を運転する方は、若い時から、あまり歩かないから、足が弱うのかもしれません。検討材料です。
ご激励有難うございました。やはり老いは足腰から来るようです。閉じこもりになると、社会と接点がなくなります。
占領下の沖縄で、僕が勤務していた新聞社は「沖縄タイムス」と契約(もしかすると同社記者個人)していましたが、今のような反日論調はありませんでした。琉球大学の高嶋伸欣喜名誉教授が平成の初め同大学に赴任してからのようです。沖縄二紙の幹部は、ほとんど琉球大学で高嶋の教育を受けています。
翁長知事は、もともとは自民党の県幹部だったそうですが、何が彼の考え方を突然変えたのでしょうか。JICAの仕事で長期、沖縄に滞在したことがありますが、当時大方の方は、我那覇迫さんのような考え方でした。高嶋の家永史観的影響が強いのではないかと感じます。