「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      杖をつきつき80老の海外独り旅 シンガポール(2)

2012-11-16 07:05:22 | Weblog
11年ぶり8回目のシンガポールへの旅だった。1990年代僕はシンガポールに近いインドネシア領のレムパン,ガランという二つの島を数回訪れ、その度にシンガポールに数泊した。レムパン、がラン両島は、さきの戦争で敗戦後、南方地域にいた日本軍兵士が復員までの間、抑留され飢餓と疫病で数十人が死亡した。歌手の藤山一郎もガラン島から復員しているが、今はこの世代の方も、ほとんどがお亡くなりになりレムパン島に残る慰霊碑を参拝する人も少ないようだ。

シンガポールの僕の定宿はタンジュン.カトゥン(亀ケ岬)通りにあったライオン.シティ.ホテルであった。マレー系住民の集合住宅に近く交通にも便利だった。しかし、残念ながら、このホテルは老朽化からか閉鎖されていた。タンジュン.カトウンという名前の通り昔は海に面していた地域であった。戦前の本を読むと、日本からの渡航者はまず、ここで旅装をといたらしい。その関係からかか"からゆき”さんの店もおおかった。そんな過去への郷愁みたいなこともあって、僕は今回もタンジュン.カトウンに比較的近いJoo Chiat通りにある「Hotel 81 Sakura」という安いホテルをネットで探して泊まった。写真のように障子を模した壁や模造の桜も置いてあった。

高層なゴージャスなホテルが多い中心部と違って、このホテルは4階てで部屋も狭くお世辞にも立派ではない。しかし値段も安く、ホテルの界隈の雰囲気は昔のシンガポールが残っている。僕の面倒を見てくれた陳秋水さんの話によると、この辺りは華僑とマレー人との混血であるプラナカンの住宅があったところだが、最近再開発され建物はそのままにして商店や飲食街に様変わりしたのだという。たしかにシンガポールが進めている街並み保存政策なのだろうか、でよくみると昔が保存されている。

ホテルでは食事はできないが、近くには早朝から安い朝食をとれる店がいっぱいあった。僕も4シンガポール.ドル(約260円)で中華風のおかゆを食べたが、とても美味しかった。大ホテルではこの味は味あえない。すべてが快適だったが、老人の僕にとって困ったのは、ホテル内も周辺の道路もバリア.フリーではなかったことだ。杖を持参したのは正解であった。





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2 コメント

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行ってみたい国 (chobimame)
2012-11-16 15:52:53
シンガポールといえばマーライオンとかガムや吸い殻を捨てたら刑事罰と思い浮かび、全体的に白く近代的なビルがある国というイメージです。しかしどこかマレーシアとイメージがごちゃごちゃになります。
お泊まりになったホテル付近の街は、確かに郷愁を誘うような空気がありますね。どこかモダンで、少し退廃的な匂いがし、猥雑な感じがする古い街という感じで良いです。これからも残して欲しい町並みです。
しかし、華橋というのは本当に何処にでもいるのですね。驚きです。
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お薦めの場所 (kakek)
2012-11-16 17:07:27
chobimame さん
もともとはマレー人の土地ですからマレーシアと同じわけです。英国がここを植民地化するため、労働力として華僑(おもに広東、福建)を呼び、インド(主として南インド)を使用したわけです。この国を理解するためには、華僑、マレー、インド文化を知らなければなりません。僕が定宿とする地区は、三民族のホーカー.センターがあります。ホーカーセンターというのは、昔の屋台を集合住宅の一階に集めた食堂街です。三民族の食事を安く食べられるという意味では絶好の場所です。治安も良いからお薦めの場所です。
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