孫たちも成長して、ここ数年恒例になってしまった老妻と二人だけの新年の宴をお屠蘇(とそ)で祝った。そのあと友人知人から送られてきた賀状に目を遠し、お昼すぎ、新しく頂戴した方へのお返しを出しながら郵便局へ出かけたが、昔の日本のあの独特のな元旦風景はなかった。戦前の「1月1日」の歌詞には”松竹たてて門ごとに”とあったが、門松の家はほとんどなく、代ってクリスマスの飾りのようなオーナメントの家やポスターだけの商店もあった(写真)。
昔と変わったのは、初詣風景だ、郵便局へ出かけた後、足を延ばし地元の氷川神社へ参拝したが、一の鳥居から社殿までの沿道は参拝客が列をなしていた。(写真)戦前から初詣はあったが、東京で言えば明治神宮とか靖国神社といった有名な神社だけで、家の近くの鎮守の杜へ昼間詣でる風習はなかった気がする。とくに、戦後すぐの時代には、食べるのが、精いっぱいで信仰どころではなかった。
70年前、昭和22年1月1日の亡父が残した日記には”曇り日の元旦こそは日の本の今の姿をありのまま”と下手な自作の歌が添えられている。明治17年生まれ、毎月1日と15日には近所の神社に詣でていた父だが、この年は曇り空だったこともあってか、初詣の記述はない。
戦時中、この戦争は最終的には「神風」が吹いて日本が勝利すると固く信じていた僕らの世代は、敗戦はショックだった。そのためか”神も仏もあるものか”といった”信仰心の薄い世代である。昨日も初詣の列を見ると、僕ら老人よりは若い男女が多く見かけられた。
戦前の元旦と現在の最大の変り方は、国旗「日の丸」が見られなくなったことだ。戦前は門松と同じように翻っていた「日の丸」が東京の空からは消えてしまった。最近までは、都内を走るバスに「日の丸」が飾られていたような気がするのだが。これも”昭和は遠くなりにけり”現象なのだろうか。
年代の違う方が綴っていらっしゃるお話が、とても興味深く勉強になると思った事が、キッカケだったと思います。
まだ2〜3年のように感じます。
改めてよろしくお願い致します。
お正月風景は、確かに薄れていっています。
あの特別な空気は、もう平成になってからないかもしれません。
スーパーもショッピングセンターやデパートも1日から開いていて、普段と変わりません。
スーパーが開いているので、数日分のおせち料理も必要なくなりました。
着物の人も減り、羽子板や駒回しなんて遊びも見かけません。
昔は、正月に新しい服を着たりしたものですが、そんな特別感はありません。
便利さが優先されると、文化も変わっていくのでしょうね。
隣近所への年賀周りや、上司への家への年始もなくなりました。好いのか悪いのか解かりませんが、寂しい気もします。この50年の正月行事の変化は、史上最も大きいのではないでしょうか。