「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

    大東亜戦争 初の落下傘部隊の映画上映

2010-01-09 07:30:13 | Weblog
川崎市民ミュージアム(www-kawasaki-museum.jp)で、今日(9日)から11日
まで戦争中の珍しい記録映画とニュース映画が上映される。記録映画は「セ
レベス、海軍報道班員の報告」(昭和19年、監督秋本憲、音楽大木正夫、日
本映画社 白黒177分)。ニュース映画は「日本ニュース」第89号(昭和17年
2月8日)。いずれも製作に当たった故秋本氏のご遺族が川崎市に寄贈、ミュ
ージアムが最近、フィルムの不燃化作業を終えて上映の運びとなった。

「セレベス」(現在のインドネシア・スラウェシ島)は大東亜戦争緒戦の17年1月
11日、日本初の落下傘部隊(海軍)が島北部のメナドに降下した地である。とこ
ろが、当時の大本営は、この戦果を1か月後、陸軍部隊がスマトラのパレンバン
に降下した2月16日になって国民に明らかにしている。その理由は軍事上の機
密とされている。

銃後の小国民だった僕らは、落下傘部隊の活躍に”血わき肉踊り”させたものだ
が、なぜかメナドの海軍部隊よりはパレンバンの陸軍部隊のほうが強く印象に残
っている。その理由の一つは”藍より蒼く大空に大空に”で始まる軍歌「空の神兵」
(梅木三郎作詞、高木東六作曲)の影響があったのだろう。

川崎市民ミュージアムで上映される「日本ニュース」の上映日時も17年2月8日であ
る。大本営発表の1週間前だが、多分、発表にあわせて実際の上映は17日以降だ
ったと思う。

大東亜戦争下、蘭印(現インドネシア)では、メナド、パレンバンの他に西チモールの
クーパンにも降下しているが、三番目(2月21日)のためか、一般にはあまり知られて
いない。そのほか、クーパンでは降下のさいかなりの犠牲者が出ている。メナドの際
にも降下部隊を乗せた一機が誤って友軍の飛行機に撃ち落され犠牲者が出ている。
大本営の発表にはないが、歴史の裏面にはいろいろとある。


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2 コメント

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落下傘部隊 (kakek)
2010-01-10 10:05:44
chobimame さん
軍国少年ではなかったので軍隊にはあまり関心はなかったのですが、例えば東京の二子玉川の多摩川べりに落下傘という”遊園施設”がありました。高さ30㍍ほどの塔から落下傘をつけて降りるだけなのですが、かなり賑わっていました。それだけ落下傘は国民的な関心がありました。陸海それぞれに特殊部隊で訓練していました。でも敗戦直前は部隊を運ぶ肝心の飛行機がなくなってしまいました。
確かに戦線の拡大です。結局これが命取りになってしまいましたね。
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興味深い (chobimame)
2010-01-09 20:54:26
実に興味深い映画です。落下傘部隊のことは、あまり本などにもなっておらず、なかなか目に触れることがありません。どういった部隊だったのかぜひ知りたいです。しかしこういう映画は、まず全国上映にもなりませんし、上映期間も短く知らないまま過ぎ去ってしまいます。日本の戦記を知る度に思いますが、日本は手を広げ過ぎていますね。世界と戦っているようです。
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